02 食い逃げ王女と新米巡査(2)
「う~、寒ぅ……田中ぁ、コーヒー入れて」
彼女は俺より八つほど年長のはずだが、童顔と化粧のおかげか二十歳くらいにしか見えない。まだ付き合いは短いが、気さくで面倒見が良く、同僚としては頼れる先輩だ。
「おかえりなさい。現場どうでした?」
「ああ、なんか道端で勝手に撮影会やってるレイヤーのふたり連れがいてさぁ。通行の邪魔だったから、しょっぴいてきた。――ほら、とっとと入りな」
またコスプレイヤーか……。
俺は嘆息しながらマグカップにお湯を注ぎ、入ってくるふたりを観察する。彼らは先輩に腕を引っ張られ、不満たらたらといった表情だ。
「ちょっとあなた! どうして私たちが怒られなければならないんですか!」
「そうですよ! 僕たちはただ、ある方を捜し歩いていただけで――」
ひとりは濃緑色のローブをまとった、すらりとした長身の若い女性。
小さな丸フレームの眼鏡をかけ、手に身長ほどもある大きな杖を持っている。鮮やかな緑のロングヘアと、そこからぴょこんと飛び出す長い耳は、まさにエルフといった出で立ちだ。
もうひとりは金髪碧眼の美少年で、中世の騎士っぽい鎧とマントを……あれっ? これはひょっとして――
「おお、森本! 武井! 無事じゃったか!」
「ひ、姫様ッ!」
「姫ッ! ご無事でしたか!」
ふたりは自称王女の姿を認めるや、中に駆け込み、その足下にひざまずいた。涙も流さんばかりに手を取り合う三人。やはり、先ほど話に出てきた彼女のお仲間だったようだ。
途端に人口密度が上昇した交番内に、彼らの歓声がこだまする。
「田中……その子は?」
コーヒーを飲みつつ、先輩が立ったまま尋ねてくる。狭すぎて、彼女は自分の椅子に座ることすらできない。
「はあ。なんか食い逃げしようとしたとかで、そこのカレー屋の親父さんが連れてきたんですよ。未成年なんでとりあえず立て替えといたんですけど、よかったですかね」
「いや、これ……もしかしてあれなんじゃね?」
「あれ? なんですか、あれって」
「ほら、異世界の」
「……?」
「だから異人さんだよ。いやぁ、コスプレにしちゃ、やけにクオリティ高いなとは思ってたんだけどさ。そうか、これが異人さんかぁ……私も見るの初めてだよ」
うれしそうに言う先輩に、俺は怪訝な表情を向ける。
ちょっと何言ってるか意味が分からない。
「田中、おまえ……まさか、異世界のこと知らないなんて言わないよな?」
「はあ……異世界?」
「こないだ説明しただろ。近くに異世界との通路ができたから注意しろって」
「ああ、あれですか。新手のギャグだと思ってましたが」
「ギャグじゃねえよ!」
「いやいや……だって彼ら、日本語しゃべってるじゃないですか」
苦笑する俺。だが、先輩はあっさりと。
「異人さんは日本語をしゃべるんだよ」
当たり前のようなその口調に、俺はしばらく二の句を告げられなかった。
普段の冗談とはトーンがまるで違う。俺を笑わそうとも、騙そうともしていない雰囲気だ。
「……なんでですか?」
「さあ。知らんけど」
そんな……ありえないだろ。仮に百億歩譲って異世界というものの存在を認めるとしても、日本語が通じるのは納得いかない。
俺は相変わらず再会を喜び合っている彼らに向かい、
「あのー」
と、声をかけた。
「きみたち、本当に異世界から来たの?」
「だからそうじゃと、わらわは最初から言うておろうが」
「じゃ、じゃあ、その……なんで日本語しゃべってるわけ?」
「おぬしらこそ、どうして日本語をしゃべってるのじゃ?」
きょとんと首を傾げる少女に、俺は思わず頭を抱えてしまった。異世界のことだけでも混乱しきりなのに、ほかにも理解不能なことが多すぎる。
「先輩。よく分かんないんですけど、これって凄い大ニュースなんじゃないですか?」
「だから、大ニュースになってんだよ! なんでおまえ知らねーんだよ!」
「いや、俺ニュースとかあんまり見ないもんで……」
先輩に促され、自分の携帯でネットを確認してみる。
うわぁ……本当だ。
ニュースサイトのトップが軒並み異世界関連で埋まってる。
〉政府、異世界に関する公式見解未だなし
〉中露、日本の異世界駅建設を激しく非難
〉米、日米での合同調査チーム派遣を要請
〉JR東、山手線の異世界駅迂回を検討中
〉上野公園でまた惨殺死体、異世界生物か
「今、世界中その話題で持ちきりだぞ」
「そういえば最近、外国のテレビ局がやけに多いなぁとは思ってたんですよね……」
先輩によれば、異世界の人間は《異人》と呼ばれているらしい。かつては外国人を呼び表すのに使われていた言葉だが、異世界人と呼ぶのは長すぎるので、死語となっていたこの言葉が復活したのだという。
異人。
人権団体が発狂しそうな凄い言葉だ。
「姫。このような異郷の地でひとり……さぞ心細かったことでございましょう。何も危険な目には遭われませんでしたか?」
少年の言葉に、エルフも続けて言った。
「私どもも先ほど現地の者に取り囲まれ、なにやら怪しげな光を浴びせられたのでございます。しかも、そのあとやってきたそこの女性に説教までされる始末で……そういえば、姫様はなにゆえこのような場所に? ここはどうやら、官憲の詰め所のように思われますが」
「うむ。それがじゃな――」
と、彼女はちらりと俺を見る。
「実は、この者に逮捕されてしまったのじゃ」
「ひ、姫様を逮捕ですってッ!」
「貴様ぁ……姫から離れろ!」
言うが早いか、少年騎士が腰の剣を抜いて斬りかかってきた。
「うわッ!」
俺はそれを間一髪で避けると、交番の外へ転げ出る。振り返ると、スチール製のデスクが真っ二つに両断されているのが見えた。
……冗談じゃない。
「待て! 逮捕はしてない! ちょっと補導しただけ――」
「うるさい! 死ねぇ!」
飛び出してきた少年が、間髪入れずに二撃目を繰り出してくる。俺はとっさに腰の警棒を引き抜き、それを受け止めた。
ガキィン! と硬い金属同士がぶつかり合う音が鳴り響き、痺れが腕を伝わってくる。
それから二、三度打ち合うと、周辺の歩行者から歓声が上がった。アニメのPRイベントと勘違いしてるのかもしれない。
中には、携帯のカメラで撮影している輩までいる。
年の頃は、おそらく少女と同じくらいか。
年齢を考えれば技量自体は高いレベルにあると思うが、剣が重いのか動きは遅いので、攻撃を捌くのにさほど苦労はなかった。
厄介なのは鎧のほうで、どこに打ち込んでいいやら皆目見当がつかない。
頭部はがら空きだが、子供相手に顔を殴るのは可哀想だしなぁ……。
残るは小手か。
俺は方針を定めると、相手の大振りにタイミングを合わせて全力で警棒を振り下ろした。
――ギィン!
と、宙を舞う大剣。
俺は呆気に取られる彼の腕を取り、そのまま素早く地面に押さえつける。
「くッ……馬鹿な!」
「剣道二段を舐めるなよ、クソガキ」
「おお~」
と、背後から先輩と少女のふたりが感心したように拍手を送ってきた。
「田中。おまえ、剣道やってたのか?」
「はい。採用試験で有利になるって聞いたんで、中学から剣道部でした」
答えながら警棒を腰に戻し、かわりに手錠へと手をかける。
「未成年ぽいですけど、これ逮捕しちゃっていいですかね? 銃刀法違反と殺人未遂の現行犯だと思うんですけど」
「ああ、ダメダメ。異人さんにはまだ法律適用できないんだよ。説教だけで帰せばいいから」
なんだ、初手柄だと思ったのに……。
「おぬし、田中とか申したの。武井を倒すとはあっぱれな腕前じゃ」
「はあ……そりゃどうも」
「察するところ、おぬしら役人じゃろ? 騎士のようなものか?」
「うん、まあ。騎士っていうか」
「わらわたちはこの国の王に会いに来たんじゃが、取り次いでくれぬか?」
王? 王って言われても……。
少年を引っ張り起こしながら、俺が彼女の問いに何と答えるべきか思案していると、先輩が代わりに答えてくれた。
「王様はいないね。天皇とか総理大臣ならいるけど」
「では、それでよい」
こともなげに言う少女の様子を見て、先輩はしばらく呆然としていたが……やがて、無言で俺に手招きしてきた。近づくと、いきなりヘッドロックをかまされる。
彼女は俺の首をぐいぐい締めつけながら、小声で囁いてきた。
「ちょっと、どういうことッ?」
「そ、そういえば、あの子さっき外交がどうとか言ってましたけど――」
「外交……そういや、姫とか呼ばれてたわね。姫って、あの姫? 王女様とかそういう立場ってこと?」
王女……外交……それが本当なら、彼女は異世界の超VIPということになる。
俺は背筋がぞっとするのを感じた。
「ど……どうしましょう、先輩ッ!」
「うーん、そうだなぁ。ここで放り出してもいいけど、あとあと問題になって責任取らされたら嫌だし――」
そこで、先輩は俺の肩にポンと手を置き、
「よし、田中。おまえ、この方々をご案内して差し上げろ」
「俺がですか? だけど、仕事が……」
「いいよいいよ。おまえ新米だし、仕事覚えるまでたいして戦力にもなんないしさ。とりあえず永田町とか? 連れてってみればいいんじゃね。分かんねーけど」
◇ ◆ ◇
永田町は秋葉原からほど近い。
南にある皇居をぐるっとまわった反対側――ざっと四キロほどの距離にある。
観光がてら歩いて行くことも考えたが、やはりちょっと遠いのでパトカーで行くことにする。彼らを連れて交番からすぐ近くの万世橋警察署に向かうと、先輩が話を通しておいてくれたのか、すぐにキーを受け取ることができた。
「さあ、どうぞ」
と、駐車場に停まるミニパトに三人を乗せようとするが、なぜか誰も乗り込まない。
ああ、乗り方が分からないのか……と気づいて、ドアを開けてやる。半ドアを防ぐため、閉めるのも全て俺がやった。激しく面倒くさい。
自然と助手席に王女、後部座席にエルフと少年騎士という配置になったが、軽自動車というのは重武装に身を包んだ騎士を乗せることはあまり想定していないらしく、武井が乗り込んだ瞬間、後部のサスペンションが不安になるくらい沈み込んだ。
シートベルトを着けさせようとすると、拘束されるとでも思ったのか王女は最初ビックリしていたが、今はベルトを引っ張ったりして遊んでいる。
「さっきから、その辺を走り回っとるやつじゃな。あの電車というものといい、この世界の乗り物は変わっとるのう」
「動力は何なのでしょうか? 魔力をいっさい感じませんが、えっと――」
森本の言葉に、俺は後ろを振り返り、
「ああ、自己紹介がまだでしたね。俺は田中達也と言います」
そう言って頭を下げる。彼女もペコリと会釈を返した。
「森本エヴァーラスティンです」
「……武井シェラハザードだ」
さっき負けたことをまだ根に持ってるのか、少年もむっつりと答える。
「森本は宮廷魔法使いをしておってな。我が国最高の魔法使いであると同時に、優秀な学者でもある。すまんが、達也。いろいろ教えてやってもらえるか?」
「はあ。えーと、これは自動車といって、この世界では一般的な乗り物というか」
「それはカニ的な――」
「カニじゃないです。ていうか生き物じゃなくて機械なんですけど」
「機械ッ!?」
俺の言葉に、森本は何やら仰天した様子で、
「えっ、じゃあこれ魔導工学で合成された融合生物じゃなく、単なる機械仕掛けで動いてるんですか? 精霊機関とかを利用してるわけでもなくッ?」
「言ってる意味がよく分からないですけど、とりあえずカニではないです。それで動力にはガソリンっていうのを使ってて――」
「ガソリン? 何ですか、それは?」
「すいません。石油から精製してるってことくらいしか俺には分からないです。あと、電車は電気で動いてます」
「……ふーむ、魔法の代わりにそういうものを利用してるわけですね。姫様、これは思ったよりも原始的な世界かもしれませんよ」
「勝ったな」
彼女の言葉はときどき意味不明だったが、魔法という単語がフランクに出てくるのに俺は内心で驚いていた。やはり異世界にはそういうものがあるのだろうか。
あとで頼んで、見せてもらおう。
「うーん、首相って首相官邸に行けば会えるのかな……。念のため聞くけど、約束とかはないんだよね?」
「ない」
「じゃあ会えないかもしれないけど、そのときはごめんね」
カーナビを操作しながらそう言うと、彼女はエアコンやダッシュボードを物珍しそうに触る手を止め、不思議そうな顔で俺を見つめてくる。
「こうして王族がわざわざ出向いておるのにか? 一国の主であれば、少しくらい時間を作るのが礼儀というものであろ」
「そんなもんかなぁ」
「まあ、本来は正式に使者を立ててから出向くべきなのじゃが、こういう状況では仕方あるまい。とにかく連れて行ってくれれば、あとはわらわが話をつける」
……まあ、いいか。駄目なら外務省にでも連れて行けば、あとは向こうでなんとかしてくれるだろう。
考えをまとめて、俺はアクセルを踏み込んだ。
ちなみに警察学校時代に免許は取ったものの、俺はほとんどペーパードライバーだ。運転するのは久しぶりなので、かなり緊張する。
内堀通りを南に進んでいくと、右側に皇居が見えてきた。といっても、堀と石垣、街路樹くらいしか見えないが。
このあたりでは、ジョギングするランナーや観光客らしき集団をよく見かける。
「ここに天皇陛下が住んでるんだよ」
「天皇……というのは、王のようなものですか?」
後部座席から森本が質問してきた。
「いや、何ていうか……実権は持ってなくて、象徴みたいな感じ?」
「実権は首相とやらが持っとるわけか?」
と、王女も会話に加わってくる。
「そうそう。俺もあんまり詳しくないけど」
「ははあ……なるほど。宰相に国を牛耳られとる状態なわけか。こちらの世界もいろいろ大変じゃのう」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね……」
「ひ、姫! あれをご覧ください!」
言って、今度は武井が後部座席から身を乗り出してきた。
前方に建ち並ぶ高層ビル群を見て、王女も興奮した声を上げる。
「おおッ、なんじゃあれは!」
「あのあたりは霞ヶ関。えっと、国の大事な役所がいっぱい集まってる感じのとこ」
「ふむ。では、戦争になったらこの周囲一帯を焼き払えば国家機能は麻痺するというわけじゃな。これはなかなか上手い場所に通路ができたのう」
「……まさかきみたち、宣戦布告に来たんじゃないだろうね?」
「それは首相とやらの対応次第じゃ」
そんな物騒な会話をしているうちに、車は目的地へと到着した。




