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19 遭難(3)

「異世界の出現には、おそらくティナが関わっている」

「えっ? なにそれ、どういうこと?」

「今から半月ほど前、スイスにあるCERN(セルン)――欧州原子核研究機構で大規模な実験が行われた。異世界との通路が出現する直前のことだ。関わったスタッフはすべてEU内の公的機関に所属する学者と技術者で占められているため、実験内容は漏れ伝わってこないが、その主要メンバーの中にティナがいたことは間違いない」


 早乙女の話が進むにつれ、俺たちの眉間にはシワがどんどん集まっていく。

 考えるように拳を口元に当て、無言で先を促す桐島。


「彼女は亡命が正式に認められるまでこの件について話すつもりはないようだが、実験データを隠し持っていることをほのめかし、政府に対して裏取引を持ちかけてきた。フランス政府の反応と、先のノーマンの行動を見れば、彼女が果たした役割の大きさは想像できる」

「……取引の内容は?」

「使節団への参加と、異世界研究における責任者の地位。そして、年間二〇〇〇億円規模の研究費用だ。政府は応じる方向で調整を進めている」

「な――」


 桐島は口をあんぐりと開け、しばらく固まった。


「なんで、そんな大事なこと黙ってたのよ!」

「事は国防に関わる問題だ。外務省でもトップの人間にしか知らされていない」


 俺もたまらず口を挟む。


「室長はこのことを?」

「もちろん知っている。現状でおまえたちに知らせる必要はないと判断したんだろう。この件については私に一任されている。こういう状況では……話しておくべきだろうな」

「じゃあ、王女殿下が言ってたように、あの通路を作ったのは俺たちだったんですね。でも、そんなことが本当に可能なんでしょうか?」

「細かい理屈は知らんし、知ろうとしたところで理解できないだろう。それは学者の領分だ。我々がいま考えるべきは、起きてしまった現実にどう対処すべきか――だ」


 早乙女はそう言うと、豚汁の残りを一気に飲み干した。


「つまりは、戻るか進むかだが」

「戻るべきよ」


 間髪入れずに桐島が発言する。


「まず、この状況を上に報告しないと。アメリカにも抗議しなくちゃいけないし――」

「その辺は織り込み済みだろう。日本との関係を悪化させてもなおメリットがあると判断したからこそ、ノーマンはあんな行動に出たんだ」

「それに、戻るにしても騎士団がいますよ」


 駅周辺の森は彼らによって封鎖されていた。

 戻れば、拘束される危険性がある。


「いや、あの規模の人数で森全体を監視することは不可能だ。遠回りすれば、駅までたどり着くことはできる。ただ、ちょっと険しい道のりになるかもしれんが」

「早乙女だけ戻るのはどう? あんただけなら、もっと早く帰れるでしょ。それで助けを呼んできてもらうってのは――」

「駄目だ。私の最優先任務は、みなの護衛だ。それに王女とアメリカの狙いが不明である以上、事態を挽回するための時間的猶予がどれほどあるかも分からん。戻って態勢を立て直し、再び王都を目指すことができたとしても最低三日はかかるだろう。その三日が致命的になる可能性は高い。この場所で我々を降ろしたことが、それを裏付けている」

「でも、進むにしたって私たちには王都がどこにあるかも分からないのよ? 戻るしかないじゃない!」

「王都の場所なら私が知っている」


 と、早乙女はこともなげに言い放つ。

 桐島はしばらく絶句した後、


「……なんですって?」

「異世界の出現から、そろそろ二週間だぞ。我々も遊んでいたわけではない。あまりこちらの内情を知りすぎていると、王女に警戒される恐れがあったからな。おまえたちにはあまり情報を下ろさないようにという、室長の判断だ」

「達也はともかく私にまでってのが気に入らないけど……で、どこよ?」

「小田原だ」

「小田原って……神奈川県の? どういうこと?」

「朝、少し話しただろ? ここは並行世界だ。それについてはもはや疑う余地がない。日本語だけでなく、地理的にも共通しているんだからな」


 そう言って、早乙女は服のポケットからおもむろに紙を取り出す。八つ折りにされたそれを広げると、そこには見慣れた地図が描かれていた。


「事前に潜入した工作員が手に入れた、この国の地図だ。見て分かるとおり、日本の関東地方とほぼ一致している。現在地はこのあたり。ここから王都までは、歩いて一日程度の距離だ。街道もあるようだし、迷う心配はないだろう」

「……もう隠してることはないでしょうね?」


 半眼で尋ねる桐島。

 その声には、若干の怒りが込められていた。


「ない。私の知ってる情報はこれですべてだ。さて、どうする達也」

「えっ?」

「リーダーはおまえだ。おまえが決めてくれ。我々はその判断に従う。戻るか? おそらく、それが一番安全な道だ」

「うーん、戻ったらどうなるんでしょう。怒られたりします?」

「怒られるって、あんたねぇ……」


 桐島は心底、呆れた表情を俺に向けてくる。


「まあ、対策室は解体されて、私たちは元の職場に戻ることになるかもね。このままいけば、異世界に関してアメリカ主導で国際的な取り決めがまとめられるはずよ。日本はアメリカに舐められたまま……これまでどおりと言えば、これまでどおりね」

「なら、進みましょう」


 俺はみんなを見回して、言う。


「俺たちの仕事は国益の確保なんでしょう? 王女殿下は積極的に彼の味方をしてるようには見えませんでした。どちらと組むべきか見定めていたのかもしれません。まだ、挽回の余地はあると思います」

「――そのとおりだ」


 と、突然。

 背後の茂みから男の声がして、俺と早乙女は反射的に振り返った。

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