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18 遭難(2)

 俺たちは森の中に見つけた小川のそばを拠点に定め、そこで夜を明かすことにした。


 すでに日は完全に落ち切り、周囲は闇に閉ざされている。その中で、焚き火の光だけが頼りなげに辺りを照らしていた。森のシルエットが不気味に揺れ動き、その先の闇をいっそう濃いものに塗りつぶしている。


 人工の灯りひとつない、こんな場所で夜を迎えるのは初めての経験だったが、闇がこんなに恐ろしいものだとは――都会で暮らしていた頃には、まるで想像もできなかった。


 焚き火の上には石を土台にしてフライパンが置かれており、その中でお母さんの作ってくれた鍋がぐつぐつとおいしそうに煮立っている。森のむせ返るような青臭さに混じり、味噌のいい香りが辺りに立ちこめていた――。


「ううっ、おいしい……あったまる……」


 桐島が鼻水を垂らしながら、お椀に注がれた汁を啜っている。この国は気候も日本とよく似ているらしく、夜になると凍えるような寒さが襲ってきていた。

 精霊術に頼りたいところだが、お母さんのクッキーはすでに品切れ。残っていたポッキーなどの市販菓子では、火を付ける程度のことしかできなかった。精霊というのは意外とぜいたくなものらしい。


「どうだ、桐島。お母さんがいなかったらと思うと、ぞっとするだろう?」

「け、結果論でしょ、こんなの! 私はまだ認めてないからね!」

「まあまあ、桐島さん♪ おかわりいかがですか?」

「あ……いただきます……」


 早乙女に言い返しながらも、ばつが悪そうにお椀を差し出す桐島。俺も汁に箸をつけ、その味に舌鼓を打つ。お母さんの料理はやはり絶品だ。


「はーい。精霊さんたち、火をちょっと弱めてくださーい♪」

「お母さん、精霊術をもう完全に使いこなしてるわね……って、あれっ? お母さん、これ豚肉入ってますけど……こんなものまで持ってきてたんですか?」

「やだわ、桐島さんったら。そんなわけないじゃないですか」

「えっ? いや、だってこれ――」


 箸でつまみ上げた肉片を見つめながら、桐島は首をひねる。


「ああ。それはさっき薪を集めてるときに見つけた子ですね」

「は、はあ……見つけた子?」

「ええ。そこにほら♪」


 お母さんが示した先――

 少し離れた草むらの中に、血まみれの死体が横たわっていた。


「ひいいぃッ!」

「おい、大きな声を出すな。その声で魔物が寄ってきたらどうする」

「だって! 死体ッ! ひ、人の……」


 それは確かに人の形をしている。

 が、よく見ればかなり異形でもあった。


 でっぷりと肉付きのいい肢体に、緑色の皮膚。猪のような頭部はフライパンの一撃を食らったのだろう、ぐしゃぐしゃに変形しており、片目が飛び出している。

 裂かれた腹部から露出する、骨と内臓――光を失ったもう片方の瞳が、恨めしげにこちらを見つめていた。


「そうそう、明日の分のお弁当も作らなくちゃいけませんね。早乙女さん、これは燻製にするのがいいかしら」

「そうですね。保存の利くものであればありがたいです。あとで手伝いますから、お母さんもそろそろ召し上がってください」

「はい。でも、これだけ済ませちゃいますから♪」


 そう言ってお母さんは死体をてきぱきと切り分け、せっせとタッパウェアに小分けしていく。


「ちょっ、待っ……ええッ? どゆこと!?」


 慌てふためく桐島を冷めた目で見つめながら、早乙女は何食わぬ顔で汁を啜った。


「勉強不足だぞ、桐島。あれはオークと呼ばれる、異世界ファンタジーでは定番のモンスターだ」

「……オ、オーク?」

「漢字では《豚人》または《猪人》と書かれることが多い。巨漢で体力に優れ、旺盛な食欲を示すことで知られている。また主な生態として、気丈な女騎士を孕ませる、などがある」

「それは生態なの……? よく分かんないけど詳しいのね、あんた」

「私も異世界対策室に配属されて、いろいろ調べたからな」

「えっと、だけどその、私が聞きたいのはそういうことじゃなくて……あの、お母さんがそれ、倒したん……です……か?」

「うふふ♪」

「いや、うふふって言われても――」


 朗らかに笑顔を浮かべるお母さんを不気味そうに見つめながら、桐島はゆっくりと箸を置こうとする。それを見咎めて、早乙女が厳しい口調で言った。


「お母さんがせっかく作ってくれた料理だ。残すのは許さんぞ」

「えぇ……」


 近くの沢で包丁の血を洗い落としながら、お母さんは気分よさそうに鼻歌を口ずさんでいる。さっきは焚き火の照り返しで気づかなかったが、エプロンに若干、返り血のような跡が見えた。

 顔中にまだ困惑の色を浮かべる桐島を安心させるため、俺は説明してやる。


「まあ、うちのお母さんには食材特攻がありますしね」

「食材特攻ッ!? て、ていうか、これは食材なの? 本当に食べて大丈夫なやつなの、マジで」

「当たり前でしょう? お母さんが俺に食べられないもの出すわけないじゃないですか」

「いや、そういう問題じゃなくて! 異世界生物の安全性はまだ――」


 一人でパニクる彼女を無視して、俺と早乙女は黙々と食事を続ける。そこへ片付けを終えたお母さんも加わり、和やかな団らんが始まった。

 平気で食べ続ける様子の俺たちを見てもまだ納得いかないのか、桐島は相変わらずぶつぶつ言っていたが……空腹には勝てないのだろう。やがてまた、おっかなびっくり箸を動かし始める。


「しかし、さっきはめちゃくちゃ勘違いしてましたね。ノーマンさん」


 ただの警官が使節団の団長になったのが、よっぽど変に思われたらしい。

 馬車でのやりとりを思い出し、俺はつぶやく。


「まあ、奴も人間だ。勘違いくらいすることはある。それに国防上、他国に力を買いかぶられるのは悪いことではない」

「そういえばあいつ、ティナに関してもおかしなことを言ってたわよね。そもそも、なんであの子をさらったりしたのかしら?」

「うむ。これはまだ未確認の情報なんだが――」


 早乙女はそう前置きすると、いくぶん声をひそめて話しだした。

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