15 初めての馬車旅(1)
異世界駅のある場所はかなり人里から離れていたようで、周囲には荒れた野山が広がっていた。
その中を、馬車はゴトゴトと音を立てながら進んでいく。
王女の話では途中で魔物が出るかもしれないとのことだったが、意外なことに森の外にいた騎士たちは誰もついてこなかった。
馬車は四頭立ての立派なもので、ドルガノン王国の国章だろう、幌に竜をあしらった紋章が記されている。荷台もかなり広々としており、両脇に設えられた長椅子に俺たちは腰を下ろしていた。
御者を務めるのは武井ひとり。
席の一番後方には早乙女とノーマンが向かい合わせに座っており、お互い警戒しているのだろう、先ほどから言葉少なににらみ合っている。
「――ほう。お母さんとは達也のお母さんじゃったか。さっきはお母さんとしか紹介されなかったから、てっきりあの世界の大地母神が受肉した姿なのかと思っておった」
「うーん……まあ、それに近い存在ではあるけど」
「いや、どういうことよ! てか大地母神って何ッ!?」
桐島のツッコミを無視して、俺はあらためて王女にお母さんを紹介した。
「いつも達也には世話になっておる。お母さんはよい子に恵まれたの」
「まあ、これはご丁寧に……。ありがとうございます♪」
膝の上にティナを抱っこしたお母さんが、愛想よく挨拶を返す――と、そのとき。
お母さんの周囲が突然、ピカーと光り始めた。
「ええッ! お母さん、何それ!?」
「まさか本当に神だったのッ!?」
みんなに注目されて、困ったように首を傾げるお母さん。
その中で、王女と森本のふたりだけが冷静だった。
「ふむ。だいぶ集まっておるな」
「お母さん、何か甘いものを持ってませんか?」
森本に問われたお母さんは、
「はい。実は、みんなで食べようと思ってクッキーを焼いてきちゃいました♪」
と言って、いつも持ち歩いてる愛用のトートバッグからお菓子の包みを取り出した。発光体はその周囲を飛び回り、ひときわ輝きを増していく。
「精霊をここまで引き寄せるとは――この菓子なら申し分なかろう。森本、ちょうどよい機会じゃ。あれを見せてやれ」
「はっ。では、お母さん。クッキーをひとつ頂戴します」
彼女は立ち上がると、コホンとひとつ咳払いをしてクッキーを頭上に掲げてみせた。
「火の精霊よ。汝、いにしえの盟約に従い我が言葉を聞き届けたまえ。はぁぁぁぁ……《暖房・強》!」
その叫びと同時に、クッキーが激しい光を残して消滅していく。と、今度は馬車の中の冷えた空気が途端に暖かくなってきた。
驚きに目を丸くする一同。
「おお……すごいですね! これも森本さんの魔法なんですか?」
「いえ、これは精霊術と呼ばれる代替魔法の一種です」
再び椅子に座りながら、森本が俺に向かってにこりと答えた。
――精霊?
そういえば王女が以前、ホテルで火の精霊がどうとか言っていたのを思い出す。
「彼らは実体化して姿を見せることはめったにありませんが、こうしてお菓子を捧げてやれば、たいてい言うことを聞いてくれます。あなた方の世界でいう、機械と電気の関係に近いかもしれません。お菓子の出来栄えによっては、上位精霊すら使役することが可能だといいます」
「まあ、あまり複雑なことはできんし、気まぐれな連中じゃから肝心なときに言うことを聞いてくれなかったりもするがな。魔法に比べて燃費も良いゆえ、わらわたちもよく利用しておる」
「へえー。それは便利ですねえ」
「電気代かからないのはうらやましいわぁ♪」
俺とお母さんは気楽そうに感想を言ったが、ティナと桐島はなぜだか青ざめている。
「いや、便利とかいうレベルじゃないだろこれ……。エネルギーをどう変換したら、お菓子でそれだけの熱量を生みだせるんだ」
「どうしよう。これじゃ家電を輸出しても売れないんじゃないかしら……。あの、森本さん? その精霊術というのは、どのくらい普及してるものなんですか?」
「いえ、普及というか、誰にでも扱えますけど?」
「えっ? でも、さっき呪文みたいなの唱えてましたよね。えっと、火の精霊よ、汝――」
「ああ、あれは気分で言ってるだけで、特に意味はありません」
クッキーを頬張りながら、しれっとそう答える森本。
桐島はまだ納得いかない様子で、
「いにしえの盟約がどうとか……」
「それもないです。ああ言っておくと、精霊が『えっ!? 盟約とかあるなら言うこと聞かないとまずいかも!』とか思って、効果や成功確率が少しだけ上昇するんです。別に言わなくても何の問題もありません。むしろ恥ずかしいので、言わない人がほとんどです」
「……そ、そうですか」
王女もクッキーをおいしそうに食べながら説明してくる。
「この方法が発見されたのは二〇〇年ほど前に遡る。魔導革命と呼ばれる大事件が起きてな」
「魔導革命?」
「うむ。精霊界に巻き起こった空前のお菓子ブームがそれじゃ」
「いや、意味がよく分かりませんけど……」
困惑する様子の俺たちを見て、森本が補足してくれた。
「当時、ひとりの若い菓子職人がいまして、真冬に旅先で遭難したんだそうです。そこに火の精霊が現れ、凍え死にそうになっていたその男を助けてやりました。それで男がお礼に自作のお菓子を振る舞ったところ、精霊はそれをたいそう気に入り――その後、お菓子をもらうことを条件に男の仕事を手伝うようになったといいます」
「はあ……ずいぶんファンシーなお話ですね」
「そこから精霊界に噂が広まったのでしょう。以後、それまでほとんど姿を見せなかった精霊たちが、お菓子欲しさに人里に現れるようになりました。今ではもう、こちらの文明はお菓子抜きに成り立ちません。今後、貿易を行うときにはそのあたりが鍵になってくるでしょうね」
「達也、おぬしらの世界に精霊はおらんのか? わらわたちも何度か菓子を捧げてみたんじゃが、反応がなくてな」
王女の疑問に、俺は首をひねりながら答える。
「うーん、さすがにいないと思うけど」
「そうか。それは残念じゃの。じゃが、もしかしたら――」
王女はそこで言葉を切り、どこから取り出したのか缶コーヒーの〈BOSS〉に口を付けた。森本もいつの間にか〈午後の紅茶〉のペットボトルを持っている。
「ええ。お菓子のおいしさに、まだ気がついてないだけかもしれませんね」




