14 異世界駅(2)
駅員に切符を渡してホームを降りると、周辺にはテントを張ってキャンプしている若者の集団や、記念写真を撮る家族連れ、屋台で食べ物を売る商売人など、大勢の人間がたむろしていた。誰の土地でもないと思っているのか、ロープを張って土地の権利を主張している者の姿まである。
その数、ざっと数千人。
「はぁ……。なに考えてるのかしら、この連中」
呆れたようにそう言って、桐島が溜息を吐く。
俺も同感だ。
「まあ、格安で海外旅行ができるようなもんですからねぇ」
物珍しさで訪れているほとんどの者は近くを散策して帰っていくだけだが、中には食料や水、マウンテンバイクなどを持ち込み、遠出を図る者もいるそうだ。そうした連中の中に、周辺の集落で問題を起こす輩がいるのだと王女は言う。
「我らが一番理解に苦しんだのは、白昼民家に侵入し、住人のいる前で堂々とタンスを開けたり壺を割ったりした男がいたことじゃ。泥棒するにしても、もう少しやり方があると思うんじゃがな」
そのもっともな疑問には、早乙女が答えた。
「この世界は、何者かが作り出した仮想現実だという説があります。それを信じた愚か者の仕業でしょう」
「ああ、我らの世界が空想の産物じゃとかいう、あれか。まったくけしからん話じゃ」
「殿下はどのようにお考えですか? 我々の世界と、この世界の類似性について」
「そうさのう。さして奇抜な考えはない。ネットの意見を総合すれば、未来説と並行世界説が主流のようじゃが、わらわも同意見じゃ。どちらかというと、並行世界説のほうに説得力を感じるがの」
人混みを縫うようにして歩きながら、俺たちは会話を続ける。
並行世界とは、俺たちの世界とは少しずつ異なる可能性を持った世界が無数に存在するという考え方だ。その中には、こんなふうに魔法が存在するファンタジーな世界があってもおかしくないというわけである。
大気の組成や生態系にかなりの共通点が存在すること。太陽と月の存在。なにより日本語が通じることを論理的に説明できる、数少ない説の一つだ。
「物理学の分野では、多世界解釈と呼ばれる概念だな」
ティナが仏頂面で補足してくれた。
彼女は迷子にならないようにと、お母さんに手を引かれて歩いている。
「真面目に提唱している学者もいるが、ほとんどは懐疑的だ。なにせ異世界の存在など証明のしようがない。――いや、なかったと言うべきか」
「じゃあ、ティナちゃんも?」
俺が聞くと、彼女は頷いた。
「ああ、私も並行世界説を支持する。未来説よりは、いくらか科学的だ」
「未来説はなんで駄目なの? 特に矛盾は感じないけど」
「星の位置などを見れば簡単に否定できる。そもそもタイムトラベルが不可能なことは科学者のあいだでは常識だ。とはいえ……仮にここが並行世界だとしても、類似点が多すぎる気はするな。例えば日本語だが、この世界にも日本という国があるのか?」
問われた王女は、少し首をひねりながら答える。
「いや、この世界では日本語の成立過程はよく分かっておらん。分かっているのは、我が国が太古から使っていた言葉というくらいでな。それで、わらわの先祖が世界を征服した折、世界中に広まったと聞いている。おかげで、こっちでは言語の壁が存在しないというわけじゃ」
……世界を征服?
もっと聞きたかったが、俺たちはいつの間にか人混みを抜け、森の入口に到着していた。と、何やらそこに人だかりができている。
どうも二○人ほどの日本人が、外に出ようとして騎士団ともめているらしい。ビデオカメラを担いだ人間が複数いるところを見ると、マスコミの集団のようだ。
「おお、王女殿下! ご無事でございましたか!」
中年の騎士が駆け寄ってきて、王女の前に膝をつく。彼の鎧だけ少し立派に見えるので、おそらくリーダーなのだろう。
「うむ。この騒ぎは何事じゃ?」
「はっ。この者たちが外に出たいと暴れますもので、何名か――」
「殺したのか?」
「いえ。穏便にというご命令でしたので捕らえただけなのですが、今度はそれが横暴だとか報道の自由の侵害だとか、わけの分からないことを言いだしまして」
「ふーむ……よく分からん思考回路じゃの」
そのとき、マスコミのひとりがこちらに気づいて声を上げた。
「おい、王女殿下がいるぞ!」
「ほんとだ、王女だ!」
「王女殿下! コメントお願いします!」
カメラを向けて殺到してきた彼らは、あっという間に王女をぐるりと取り囲む。彼女に向かって乱暴にマイクを突き出し、
「王女殿下、なぜ森を封鎖するのですか!? 我々には知る権利が――」
「下がれ、無礼者ッ!」
武井は荷物を捨てると素早く剣を抜き、その腹で思い切り彼らを打ち据えた。何人かが叫び声を上げて地面を転げ回る。あの勢いだと、骨ぐらいは折れているかもしれない。
次いで、彼らが持つカメラや携帯がボンッといって炎に包まれた。森本が魔法を使ったのだろう。彼女もまた、杖を構えて怒りの形相を浮かべている。
「ああっ! 何てことするんだ!」
「おい、あんたら、その格好は政府の人間だろ! 抗議してくれよ!」
彼らはそう言うと、今度は俺たちに向かってくる。
すがりついてくるその手を、しかし、桐島は冷たく払いのけ、
「ここは日本ではないわ。現状、あなたがたは単なる密入国者であって、日本政府が保護する義務もなければ、その権利もない状態よ。……殿下、この国では王族に無礼を働いた者はどうなるのですか?」
「死刑じゃ」
「だ、そうよ。死にたくなければ、正式に国交がひらかれるまでおとなしくしておくことね」
彼女の言葉にマスコミたちはサッと青ざめると、そのまま蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。
桐島が王女に向き直り、深々と頭を下げる。
「誠に申しわけありません。我が国の者が、とんだご無礼を……」
「よい。が、おぬしらの国は民に対して少し甘すぎる気がするな。反乱を起こされぬよう自由や権利を与えるのは理解できるが、度が過ぎればそれも毒になるぞ」
と、そのとき。
パチパチパチ――と、誰かが拍手する音が聞こえてきた。音のするほうを見れば、少し離れた木に男がひとり、もたれかかっている。
見覚えのあるその顔を見て、俺は思わず声を上げた。
「ノーマンさん!?」
「やあ、ミスタ・タナカ」
にこやかに差し出された手を、反射的に握り返す。
彼は以前と同じくダークグレーの背広に身を包み、やけに頑丈そうなスーツケースを提げていた。
「まさか、あなたが使節団の団長だとは。官邸ではすっかり騙されてしまいましたよ」
「は、はあ。いや、あれは別に騙したわけではなくてですね――」
「ちょっと達也。まさか、こいつがあの……」
スーツの袖を引っ張りながら、桐島が小声でささやく。
ノーマンはそちらに向き直ると、今度は礼儀正しくお辞儀してみせた。
「異世界対策室の皆さんですね。はじめまして。私はアメリカ大使館付き駐在武官の、アルバート・ノーマンと申します」
「外務省の桐島雅です。先日はやってくれましたね、ミスタ・ノーマン」
王女を各国大使館に案内した件だろう。
桐島が目を細めて彼を見据えると、ノーマンはおどけたようにこう返した。
「誤解しないでいただきたいのですが、あれは王女殿下に相談されたからセッティングしたまでのことで――日本に悪意があったわけではありませんよ」
「それで、あなたがなぜこんなところに?」
「? もちろん、皆さんに同行するためですが」
「我々は聞いていません!」
「ああ、それは失礼。殿下から伝わっているとばかり思っていました」
「な……ッ!」
絶句する桐島をよそに、彼は王女のほうへと足を向ける。
ふと見ると、早乙女がこれまで見せたことのない厳しい表情を浮かべていた。ティナもどこか怯えたような顔つきで、お母さんの後ろに隠れている。
「間に合わんかと思っておったが――頼んだものは手に入れられたようじゃの」
「ええ。苦労しましたがね」
と、ノーマン。
彼が持つスーツケースに視線を落とし、王女は満足そうに頷いた。




