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10 王女の日本滞在記(3)

 翌朝の王女たちはスーツ姿ではなく、まだ寝間着のような格好をしていた。


 王女はソファにごろんと横になり、携帯をぽちぽち弄っている。森本はその向かいの席で新聞を読みながら、コーヒーを優雅に嗜んでいた。彼女たちが日本に来て、きょうで四日目――ずいぶんこちらの世界に馴染んだものだ。


「おはようございます、殿下。大使館のほうはいかがでしたか?」


 桐島がそう切り出すと、王女は携帯から顔を上げることなく、


「んー、軽い挨拶ていどじゃが、どの国も感触は悪くなかった。我らの世界の資源や魔法について、興味津々という感じじゃったな。……それより、どうも武井の様子がおかしいんじゃが」

「彼が何か?」

「いや、それが、さっき起きてくるなりトイレに駆け込んでゲロを吐くわ、わらわの顔を見るなり真っ赤になって部屋に引きこもるわでな。昨日、なんぞあったのかと心配しとったところじゃ」


 と、携帯を弄りながら、さして心配そうでもなく王女は言った。


「……二日酔いじゃないかな。ごめん、ちょっとお酒を飲ませ過ぎちゃったみたいで」


 俺は心の中で、良心の呵責を感じながら答える。


「そうじゃったか。やれやれ、だらしない奴じゃのう」

「それで、きょうはどこを見て回る? まだ何も決めてないんだけど、ディズニーランドってところがあって――」

「ああ、きょうは外出はなしにしてくれ」

「なし? 部屋でのんびりするってこと?」


 なるほど、それもいいだろう。

 一緒に映画を見たり、ゲームで遊びながら、お互いの世界の情報を交換するのも有意義だと思える。みんなでわいわい遊べるゲームというと、桃鉄かマリオパーティが定番だろうか、などと考えていると――


「いや、ホテルで人と会う約束をしておる。えーと……森本?」

「はい」


 と言って、森本が手帳を取り出し、スケジュールを確認し始める。


「えー、このあと八時からの朝食会には、東京電力、NTT、トヨタ、三菱重工、ソフトバンク、各ゼネコン関係者など、国内主要二六社の代表が集まり、異世界駅周辺の都市計画その他について、意見を交換することになっております。その後、一〇時からはTIMEの取材と表紙撮影。昼食には電通と博報堂の役員の方をお招きしまして、我が国の広報用プロモーションビデオの企画について話し合う予定です。それから――」


 すらすらと森本の口から流れ出る言葉を、俺はぽかんとしながら聞いていた。

 隣で桐島も目を見開いている。


「い、いつの間にそんなところと連絡を?」

「うーん……わらわにもよく分からんのじゃが、このSNSとかいうものをやっとったらいつの間にかそういう話になったのじゃ」


 俺の疑問に、相変わらず携帯をポチポチしながら王女は答える。


「え、SNS……?」


 慌てて画面を覗いてみると、有名なソーシャルサイトに王女のアカウントが開設されており、顔写真入りのプロフィールが掲載されていた。そのフォロワー数はなんと――


挿絵(By みてみん)


「一億人ッ!?」

「な、ななな……なんでこんなにフォロワーがいるんですかッ!?」


 俺と桐島が、同時に声を裏返らせる。


「なんでと言われてもな。やはり、異世界の王女なんて珍しいからじゃなかろうか?」

「し、しかし始めてすぐにこんな……だいたいネットでは本物の王女かどうか、真偽を確かめようも……」

「うむ。最初は疑われとったが、昨日撮った各国大使との記念写真が決め手になったようじゃぞ。あと、森本が魔法の実演動画をいくつか上げたら、それも爆発的に広まってな。武井のおかげで、若いおなごにも人気が出たみたいじゃ」


 ……唖然。


「それで会見や取材の申し込みがあまりに殺到したもんで、わらわも困り果ててな。試しに権利をオークションサイトに出品してみたんじゃよ。それを、さっき森本が言った企業らが一社につき一〇億円ほどで落札してくれたというわけじゃ」


 ……呆然。


「さすが商人というのは、どこの世界でも利に聡い生き物じゃの。……ああ、夕食には、マイクロソフトとグーグル、AmazonとアップルのCEOも来るぞ。きょうはおぬしらに、通訳や出迎えの準備を頼みたい。よろしく頼む」


 ……愕然としたところで、桐島がようやく言葉を取り戻した。


「で……殿下? あの、お聞きしたいことだらけなんですが……まず、都市計画と言いますのは?」


 と、彼女は震え声で尋ねる。


「うむ。おぬしらが異世界駅と呼んどるところは丁度、何もないところでな。駅を中心に街を築き、貿易の拠点として活用しようと思うておる。せっかくじゃから、こちらの世界で施工を頼もうと思っての。異世界駅の重要性を鑑みれば、将来的に遷都もあり得る。おぬしらにとっても、悪い話ではあるまい?」

「それはそうですが……」

「なんじゃ? 意見があれば遠慮なく申してみよ」


 桐島は厳しい表情で王女の向かいに座り、


「では、殿下。今後、そういったことは我々を通しておこなって頂けませんか?」

「断る。役人を通すと、時間と金がかかってしようがない。最初はこの世界との戦争もやむなしと思っておったが、調べれば調べるほど厄介そうじゃったのでな。方針を変えて経済交流を優先することにした。ぼやぼやしとると、日本もろとも我が国も侵略されてしまいかねん」

「侵略? あの、そんな心配はないかと思いますが――」

「甘いな」


 そこでようやく携帯から顔を上げ、王女は俺たちに目を向ける。


「この世界の歴史については、書物とネットでだいたい学ばせてもらった。確かに第二次大戦以降、冷戦や代理戦争を除けば主要国同士の直接的な争いは起こっておらんようじゃが……なぜだか分かるか、達也?」


 いきなり質問され、俺は面食らった。

 高校で日本史を選択した俺に、そんなことが分かるはずもない。


「う、うーん……みんな反省したんじゃない? 戦争はよくないなーって」

「おぬしは、ほんに平和な男じゃのう……」


 憐れみを込めた目で俺を見る王女。

 それを見かねたのか、桐島が代わりに答えてくれた。


「国同士の経済的な結びつきが強まったためだと思います」

「そういうことじゃな。為替、株、貿易……利権が複雑に絡み合い、戦争によって生じる不利益が利益を上回った結果と言えよう。だが裏を返せば、そのしがらみさえなくなれば戦争などいつでも起こりうるということじゃ。異世界駅の存在を各国がどのていど評価しているかによるが、それいかんによってはいつ侵略を受けてもおかしくないぞ」


「お言葉ですが、殿下。ことはそう単純ではありません。確たる大義名分もなしに他国を侵略などすれば、国際社会が黙っていないでしょう」

「そうかな。口先だけの非難など意に介さん国も、いくつかあるように見受けるが。それに名目など、いざとなればなんとでもなる。わらわが諸外国の立場なら、まず我らの世界を悪玉に仕立てる。――見ろ。今朝、SNSにアップされたローマ法王の発言だ」


 言って、王女は携帯の画面をこちらに向けた。



  〉The tiny dragon, the serpent who is called the devil and Satan,

  〉the deceiver of the whole world. She will thrown down to earth.



「聖書の引用……わらわに対する牽制じゃな。まあ、あながち間違いとも言い切れん。我らの世界にはキリスト教的世界観で〈悪魔〉と形容される容姿を持つ人種や、危険な生物が多数存在する。実際、我が先祖には魔王と呼ばれた者もおるしな」


 と、自身のツノを撫でながら、彼女は自嘲気味に笑う。


「ま、しばらくは情報戦じゃな。SNSはそのための武器として活用させてもらう。戦争を回避するには、世論を利用するのが一番簡単じゃ。安上がりでもある」

「お話は分かりましたが……ならばなおのこと、日本政府との関係をもっと重視すべきではありませんか? 通路が日本に存在する以上、我々と組むのが最善なのはご理解いただいてるはずです」

「通路が一つなら、な」


 王女の言葉に、桐島の表情が一層険しくなる。


「それは……どういう意味でしょうか?」

「昨日、森本とも話し合ったのじゃがな。結論から言おう」


 王女はソファにふんぞり返ると、足を組んで俺たちを見上げてきた。


「通路を作ったのはおまえらじゃ」

「……は?」

「少なくとも、あれは我らの魔法や技術で作れるものではない」

「し、しかし、殿下……」

「では、偶然にできたとでも言うのか? たまたま別の世界の、生命のいる惑星……それも空中でも海中でも地中でもない、行き来可能な空間同士がつながったと? 科学技術に関して我らはそなたらよりも遅れておるやもしれぬが、それがどれだけありえないことかくらいは理解できるぞ。あれは間違いなく人為的に作られたものじゃ。作為的かどうかまでは知らんがな」


 ――カシャッ。


 と、腕を伸ばして携帯を掲げ、とびきりの笑顔で自撮りする王女。

 彼女はそれをSNSにアップしながら、冷たい声で言った。


「人為的に作られたものなら、また作ることもできるのではないか?」

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