01 食い逃げ王女と新米巡査(1)
秋葉原の隣に異世界ができた。
自分でも何を言ってるのかよく分からないが、ほかに言いようがないので仕方がない。とにかくJR山手線の秋葉原駅と御徒町駅の間が突然、異世界とつながってしまったのである。
俺はテレビも新聞も見ないので、ネットでそういう記事を見ても、最近はこういうネタが流行ってるのか……くらいにしか思ってなかった。
新米警官である俺は秋葉原にある独身寮に住んでいて、秋葉原の交番に勤めている。秋葉原から出ることはめったにないので、今まで気づかなかったのだ。
そういえば先輩から「なんか分かんねぇけど、近くに異世界ができたらしいから気をつけろよ」みたいなことは言われた気もするし、実家のお母さんから電話が来て「たっくんの住んでるとこ、めちゃくちゃニュースになってるわよ」とかも言われた気がする。
考えてみれば大問題である。
国内にシリアや北朝鮮が突然現れたようなものだろう。とはいえ、山手線は東京の大動脈だ。おいそれと止めるわけにはいかない。
異世界とつながっているのは電車で一秒にも満たない僅かな空間なので、最初のうちは政府もJRも特に対策は取らなかった。しかし、すぐに窓から飛び降りて異世界に侵入する者や、異世界から電車に飛び乗ってくる謎の生物が続出したため、突貫工事でホームと駅が造られ、現在はそこにきちんと停車している。
名称は異世界駅。
運賃は秋葉原から130円に決まった(ICカードだともうちょっと安い)。
異世界から乗ってくる人々はとりあえずタダで乗せているらしいのだが、こちらの駅を出るときや向こうに帰るときに揉めることが多いらしい。また、こちらの人間なのに異世界から来たと言い張って無賃乗車を企てる輩もいるそうで、駅員さんの苦労が忍ばれる。
政府がどういう対応を取るつもりかは俺にはよく分からないが、今のところパスポートが必要だとか、そういう話にはなっていない。どうも異世界が日本国領土にあたるかどうかでいろいろ揉めているようだ。
そんなこんなで最近、秋葉原にはおかしな人間が増えた。まあ、もともとおかしな人間が集まる街ではあるので変わりばえしないとも言えるのだが……。
俺と彼女が出会ったのは、その異世界駅ができて一週間ほど経った頃。
世界中がまだ混乱に包まれていた、冬のある日のことだった。
◇ ◆ ◇
「――じゃから、わらわは食い逃げなんぞしとらんと言うのに!」
妙な格好をした、妙なしゃべり方の少女がひとり。彼女は先ほどから俺に向かって唾を撒き散らしながら、必死に己の無実を訴えていた。
JR秋葉原駅、電気街口の向かいにある商業ビル――その一階隅に申しわけ程度に設置された狭苦しいスペースに、秋葉原駅前交番はある。中には、小さめのデスクと椅子、ロッカーがふたつのみ。詰めているのも俺と先輩巡査のふたりだけという寂しい職場だ。
そこに今、俺と少女は差し向かいで座っている。
「のう、おぬし……いいかげん解放してくれぬか? さっきから何度も言っておるが、わらわはちゃんと金を払おうとしたんじゃ」
「食い逃げ犯は、みんなそう言うんだ」
「じゃ~か~らぁ~……」
少女は、まだ中学生くらいだろうか。
ふわふわしたクセのある赤毛から小さなツノが二本、飛び出している。瞳まで真っ赤なのはカラコンでもしてるのだろう。真冬だというのにやたらと布面積の少ない派手な服を着ており、その上から黒いマントを羽織っている。
何のキャラクターかは知らないが、コスプレイヤーというやつだ。その細かい意匠や装飾は、素人目に見てもかなりクオリティが高いと思えた。
「そりゃあ異世界なのじゃから通貨が違うのは仕方ないが、金貨や銀貨が使えないのはおかしいじゃろ! それとも、何か? この世界では金や銀は価値がないのか? だとしても異世界の通貨なんて珍しいんじゃし、ご飯くらい食べさせてくれたってよいではないかッ!」
と、小道具らしき金貨や銀貨を机に叩きつけながら、彼女はまだ意味不明の供述を続けている。内容もそうだが、口調もヤバイ。
この期に及んでキャラクターを演じ続けるのは見上げた根性と言えなくもないが、ふてくされたようなその態度には、先ほどからまるで反省の色が見えなかった。これでは、未成年だからといって簡単に解放するわけにはいかないだろう。
オタクをこじらせるとこうなるのか……と、俺は内心で溜息を吐いた。
俺も人並みに漫画やアニメを愛する今どきの若者である。オタク文化に対する理解もそれなりにあるつもりだ。
だが、作品にハマるあまり現実と虚構の区別がつかなくなる、この手の人間が出てくるのであれば、何かしらの規制や対策は必要なのではないかと思えてくる。
ここに配属されてそろそろ一ヶ月が経つが、日に何度かは、こういうアレな奴が騒ぎを起こす。都内の交番勤務を希望した俺としては文句を言うのもお門違いなのだが、もう少しまともなところに配属されたかったというのが本音だ。
警察学校にもオタクはいた。当然、その中にはこの秋葉原勤務を志望した者も大勢いたはずである。にもかかわらず俺がここに配属されたということは、秋葉原にオタクを配属すると仕事に支障をきたすのではという、人事の思惑があるのかもしれない。
「それから、きみね。いくら秋葉原だからって、公共の場所でそういう露出度の高い格好をしてはいけないよ」
俺もここで働くようになり、先輩に聞いて初めて知ったのだが、撮影会やイベント会場以外でこうしたコスプレをする行為は『野良コス』と呼ばれ、レイヤー業界では最大のマナー違反とされているそうだ。
……まあ、メイド服姿の客引きが普段からうろついているこの街で言っても、あまり説得力はないかもしれないが。
「そうなのか? この世界の者に好感を与えようと思って、張り切ってみたのじゃが」
「一部の人たちには好感どころか性感を与えてしまうよ。――ほら、怒られてるときはこんなもの外しなさい」
言って、俺は彼女のツノをぐいっと引っ張った。
「痛い痛い痛い! なにをするのじゃ、貴様は!」
「あれ、取れないなぁ」
「取れるか、アホッ! これは生えとるんじゃ!」
涙目で俺の手を振り払う彼女。
「……生えている?」
「うむ。我が王家には魔王だの竜族だの、いろいろな血が混ざっとるからの。父上なぞ翼も生えてて空も飛べるし、闇属性の炎だって吐けるんじゃぞ」
えーと……。
こういうときはどうすればいいんだろう。公務執行妨害ということでぶん殴ってもいいんだろうか? 新人だからよく分からないが、俺はとりあえず我慢して警官っぽく調書など取ってみることにする。
引き出しからそれっぽい紙を取り出し、
「とにかく、これから俺の質問に答えるように。終わらないと帰さないからな」
「はぁ……分かった分かった。まったく、おぬしも強情な男じゃの」
どっちが強情なのかと思いつつ、日付と自分の名前を記入する。
そういえば、ひとりで調書を取るのは初めての経験だ。先ほど、近くで揉め事が起きたとかで先輩は出払っているので、今、交番には俺しか残っていない。
俺は高校在学中に警察官採用試験をパスしていたこともあり、まだ18歳。ほとんど妹とも呼べるこんな少女を取り調べるのは心苦しいが、治安を守るためには仕方ない。
「まず、名前は?」
「わらわは鈴木ポニャエッテリンデと申す」
ハーフか……凄い名前だな。じゃあ髪も瞳も、もしかしたら自前なんだろうか。調書にペンを走らせながら、俺は質問を続ける。
「年齢」
「14じゃ」
「職業は……学生に決まってるか」
「いや、学校には通っておらん」
「えっ?」
驚いて顔を上げる。
そういえば、きょうは平日だった。
「駄目じゃないか! 義務教育はちゃんと受けておかないと……あとで困るのは自分なんだぞ!」
「心配するな。家庭教師をつけて勉強はしておるから」
不登校児か。
まあ、普段からこんなしゃべり方をしているのなら、イジメられても仕方ないかもしれないが……俺はいくらか同情しつつも、職業欄に〈無職〉と記入する。それを覗き込んでいた彼女が、不満そうに口を尖らせた。
「無職というのは気に入らんな。きょうだって、ここには仕事で来とるわけじゃし」
「仕事? なんの?」
「職業と呼べるかはよく分からんが……わらわ、姫をやっておる」
「オタサーの姫は職業じゃないだろ!」
まったく……同情して損してしまった。
「いや、オタサーノ姫ではなく、わらわの名前は――」
「いいから、次! 住所と電話番号!」
「住所はドルガノン王国、王都ドルガノン、魔王城西塔八階じゃ。ああ、手紙はドルガノン王国、鈴木ポニャエッテリンデ宛でも届くぞ。デンワバンゴーというのは分からん」
ドルガノン王国……聞いたことない国だな。
「なんだ、きみ外国人だったのか」
日本語が上手いから、てっきり日本人だとばかり思ってたが、外国人ならこの奇矯な言動も納得できる。おおかたアニメで日本語を覚えてしまった、痛いアニメオタクなのだろう。秋葉原にはその手の外国人も多く訪れる。
しかし電話番号が分からないというのは……最近は携帯電話のみで、自宅に固定電話を引かない家が多いから仕方ないか。
「まあ、そうじゃな。外国人には違いない」
「じゃあパスポート出して。入国目的は? 観光?」
「パスポートとやらは持っとらん。入国目的は外交じゃ」
「……ガイコー?」
俺は一瞬考え込み、彼女に聞き返した。
「うむ。わらわは父上の名代として、外交交渉のためにやって来たのじゃ」
「ああ、外交か……って、外交ッ!?」
バンッと机にペンを叩きつけ、彼女をにらみつける。
「きみねぇ。あんまりふざけてると、お兄さんもいいかげん怒るよ」
「別にふざけてはおらんのじゃが……」
困ったように眉を寄せる彼女。
「それなら、なんでカレー屋で食い逃げなんかしてたんだ? きみの国じゃ外国で食い逃げすることを外交と言うのか?」
ははぁ……これはアレだ。頭のアレな子だ。
だとすれば、ちょっと慎重な扱いを要するかもしれない。
「じゃあ、お父さんかお母さんの携帯番号は? とにかく親御さんに連絡するから」
「親御さんに連絡ッ!?」
途端に彼女は顔に恐怖の色を浮かべ、あわわと慌てだした。
「そそそ、それだけは勘弁してくれぬか……。外交に訪れた先で食い逃げして捕まったなどと知れたら、父上に殺されてしまう」
「そんなこと言ったって、きみをひとりで放っぽり出すわけにもいかないよ。お金も持ってないみたいだし、保護者の人に来てもらわないと」
「保護者というか、連れのふたりならおるんじゃが……迷子になってしもうたのじゃ」
「……迷子はきみなんじゃないのか?」
「無礼者。ひとりはエルフの森本というて、宮廷魔法使いの……ああ、エルフというのはじゃな。耳が長くて、普段は森に住んどる長生きの――」
「いや、エルフは知ってるけど」
俺の言葉に、彼女はぎょっと目を丸くする。
「なんと! この世界にもエルフがおるとは!」
「いや、エルフはいないんだけどね」
「ん? 今、知ってると言ったではないか。おぬし、嘘をついたのか?」
「うーん、その……ゲームとかに出てくるから、ほら」
「……ゲーム?」
怪訝そうに眉をひそめる彼女。
「まあ、よいわ。それで、もうひとりは騎士見習いの少年でな。鎧と青いマントを着とる。こちらの人間はずいぶん軽装のようじゃから、目立つと思うんじゃが」
……コスプレイヤーのオフ会か何かなのかな?
とにかく、そのふたりを見つけて彼女を引き取ってもらうのがよさそうだ。
「しかし、よくそんな目立つふたりとはぐれられたね」
「いや、あの電車とやらが人が多くて、わらわだけなんとか降りられたんじゃが……あれはなんじゃ? いつもあんなに人が多いのか?」
「いつもってわけじゃないけど……ラッシュ時に乗っちゃったのかな。まあ、そんな格好してるふたり連れなら、そのうち見つかると思うよ。ここで降りたのはふたりも知ってるんでしょ?」
「うむ」
「携帯は……持ってないのか。じゃあ、ここで待ってるのがいいかな。ここからなら駅前も見渡せるし。あっ、でも昭和通りのほう出られたらまずいな……」
考えているそこへ、先輩の平井茜巡査が戻ってきた。




