第82話 伏龍
「中岡君の創った陸援隊に田中光顕という男がいる。中岡君亡きあとその職責を引き継いでいるのだが、彼に頼んで高野山に出張してもらう。表向きは紀州公の威嚇だが、田中君は信用にたる男だ。その辺はちゃんと文にしたためておくよ」
見上げれば、夜空にある月はほぼ半月に近かった。まるで海中にいるかのように月光が辺りを青く染めていた。川近くに部落、山の手にたえの屋敷、棚田に段々畑。のどかな風景である。だが、あの世界ではそれとはまったく違う様相を呈していた。月も新月だったが、心象に残る月の姿はむしろ闇にぽっかり空いた穴だった。
「ところで乾さん。どうしてあなたはここへ? なんで記憶があるんです?」
「雷に撃たれただろ。あれで『遊び』に参加したことになるんだ。高野の坊主が札に触って消えたのを見てそれが分かったんだ。皆に教えても良かったのだろうが敵前逃亡されてもかなわんし、実のところ僕も雷に撃たれるつもりなんてこれっぽっちもなかったしね。最後まで見届けたかったんだ。でも、あれでよかったのかもしれん」
そう言って乾は口ごもった。そして、うつむき、言葉を続けた。
「いいや、君には本当のことを言わなければなるまい。僕は、あるいは寿太郎と変わらなかったかもしれない。新月の迷信が頭によぎったときから正直、揺らいでいたのさ。中岡君を生き返らすかどうかでね。その証拠に最後を君に託した。もしかして君なら坂本君を生き返らすかもしれない。ほら、坂本君も中岡君も最後は一緒だったろ。君がそうすれば中岡君も助かるかもという計算が咄嗟に働いたのさ。でもね、それはよこしまな考えだったよ。西森君が教えてくれた。運命は己で切り開くんだ。それこそ『月読』の札の絵ではないけれども、時を刻むように一歩一歩、まだ見ぬ先に向けて歩んでいく。帳尻合わせのようなことをしてはいけない」
「己で切り開く」
自分はそうしてないと新兵衛は思った。いや、むしろ逃げている。
その想いを汲んだのか、乾が言った。
「実はだれも知らないことだが、土佐藩が幕府に建白した大政奉還を発案したのは坂本君らしい。でも、参政がその事実を伏せたようだ。中岡君から聞いたから間違いない」
新兵衛は息を呑んだ。龍馬がそんな大それたことをやってのけたとは。だが、妙に納得する。鞍馬天狗との戦いの折、浮かんだ龍馬の笑顔を思い出す。それはいたずらっ子がしてやったりという顔であった。あいつはそういうやつなんだ。
「君はだれもかれもが国事国事と騒ぐ中、ひとり黙々と剣の修行に励んでいたのだろ。伏龍とはまさにこのことさ。天下をここまでしたのは坂本君で、高野山の連中はそれを無にしようとしていた。図らずとも君は、それを阻止したことになる。自分を卑下することはない。日々研鑽したその腕がこの日ノ本の役に立ったんだ」
耳を疑った。わしが龍馬の手助けをした?
「そろそろ大戦が始まりそうだ。徳川との戦いだ。一筋縄ではいかないだろう。そう言えば君は臆病者で通っていたね。僕はそういう男は嫌いだ。君は僕の軍には入れない、ということにしとこうじゃないか」
えっと思った。
「君ら夫婦は、これでもうだれにも気が引けることもない。ふたり静かに暮すんだ。それが君らふたりの本当の望みだったのだろ?」
そうなのだ。抑えていた感情がぱっと弾けた。新兵衛は涙が止まらなかった。
十二月十日
高野山金光院を取り囲む兵はアリの這い出る隙間さえなかった。
さる八日、朝廷より内勅を受けた侍従の鷲尾隆聚は高野山へと向かった。率いた隊は陸援隊を主とする数十名の浪士のみ。それが高野山に着くまでに千人にも膨れ上がる。世に言う高野山義挙である。
戊辰戦争に突入する以前、それも王政復古の大号令が宣言される前にどうしてわざわざ高野山なのか。紀州藩への牽制だったとか、高野山そのものへの攻撃であったとか、あるいはその両方か、後世に伝えられるかぎり定かではない。だがそれも当然、真の目的は知られてはならない。
時刻を確認した田中光顕は高野山金光院に火を掛けるよう命じた。朝四つ。安吾が月読に願いを言った時刻であった。ちなみに空心らだが、思念体で異空間を移動していた。したがって戻ってくるのには乾や新兵衛らに後れをとらざるを得ず、戻ってきた時には空心は炎に包まれている、という算段だった。
乾退助は一つ、誰にも言っていないことがある。桐の箱の所有者のことだ。空心は時空を超えてやって来た、いわゆる化身のような存在である。『遊び』の世界では『月読』に異分子と認識されていた。空心の弟子懐栄が札を触った時、電撃を受けず消されてしまったのがその証拠だ。その空心が『決まり』通り最後に桐の箱を手にしていても果たして『月読』は空心を所有者と認めるのだろうか。否、それはない。
とすれば、所有者になる方法はただ一つ。新たに所有者となる。つまりそれは西森安吾を殺害するということ。
『月読』が空心によってどのように使われようが乾にはもう知ったこっちゃない。友に危害を加えんとする者は許せない。徹底的に、完膚なきまでに叩き潰す。それが乾退助の生き様であり、流儀でもあった。
放たれた炎は瞬く間に燃えあがり、やがて院は、立て籠った僧もろとも灰燼に帰す。桐の箱は燃えることなく灰の中から拾い上げられ、時をおいて後に、田中光顕によって海に投げ入れられた。岩倉使節団の一員としてアメリカ合衆国を目指す旅の最中のことである。




