第80話 征夷大将軍
乾や安吾にじゃんじゃん酒を注がれる。進められて飲んでいるうちに楽しくなってきた。何もかも忘れて喋り、歌った。
やがて夜も更け、安吾ら家族が寝静まっているところで乾は起き上がる。新兵衛もその乾の気配を感じる。二人は申し合わせたようにそっと家を抜け、満天の星の下に腰を下ろす。
「君はあの後のことが知りたかったんだろ?」
新兵衛はこくっとうなずいて見せた。
「僕も安吾君に聞いて考えさせられるものがあったよ。想いは同じでも起こした行動が如何なるものかで明暗分かれることがある。いずれにせよ、安吾がいなかったら今夜のような酒は飲めなかっただろうな」
そう切り出すと乾は続けた。阿部多司馬が洋式銃で島村寿太郎と小笠原保馬を撃ち殺したという。そして多司馬は空心に、新兵衛の空いた席を取れ、とそそのかされたそうだ。決まりにはこうある。
一、『遊んでいる者』が死ねば入れ替わることが出来る。
多司馬は新兵衛の遺骸を押しのけ、空いた席に着いた。そしてもう一つ、決まりにはこうある。
一、完結すれば遊んでいた時間は失われる。ただし『遊び』に参加した者はその限りではない。
多司馬は、己が『遊び』に参加した者となった、と思った。狂ったように笑っていたという。そのうえで、なんでも願いが叶うのだ。となればその喜びもひとしおであろう。
空心が言った。
「お主、なかなかのひきょう者じゃの。かえってわしの方が、気がひけるわ」
「気にすることはない」
「気にすることはない? 相手は木刀じゃぞ、大石らだって正々堂々と戦った。なのにいきなりってどうじゃ。わしだって銃で撃つとは思わなんだし、島村だってそう思ったじゃろう。それでもぬしゃぁ、やつらの仲間か?」
「昔はな」
「昔はなって、裏切ったのは昨日今日のことじゃろ。最後のさいごで迷いがあるやもしれんから、わしゃぁおぬしに気を使ったんじゃぞ。言ったじゃろ? 『月読』を終わらせたのは安吾とたえがいたからじゃと。それもこれも新兵衛と島村らを戦わせて共倒れさせようってな、わしの心配りじゃ」
「ふん、恩着せがましく言うな。新兵衛はとっくにおっ死んでるってぇの」
「因みに聞かせてくれんか? おぬしは何を望む」
「決まっている。この国で一番偉い男になる。将軍か、天皇か」
「そう言うと思った」
「ああ? 分かっていて訊いたんか?」
「おぬしは抜け駆けして助かろうとするひきょう者じゃ。その身が助かるともなれば図々しくもそれくらいの望みは言うであろ?」
「つくづく嫌味なやつじゃのぉ、坊主」
「誉め言葉と取っておこう。ま、嫌味ついでにいわせてもらうが、わしぁな、おぬしを頼りにしていたんはじゃぞ。縛られていたわしゃぁ、実際背に腹は代えられんかった。そんときゃぁそれでよいと思ったんじゃ。頼りにしていた男が人畜無害ならな。いまは後悔している」
「後悔って今更か? で、利用しといてか? おぬしぁぁ、信用成らん。黙って帰すわけにはいかんのう、坊主」
「まぁ聞けや。わしゃぁ、幕藩体制をこのまま維持したいのじゃ。大政奉還なされたじゃろ。そうなれば誰かが将軍になってもらうのが一番良いが、良いがのう、それがおぬしとなるとそこがまた問題じゃ」
「そうかのう。双方丸く収まっちょる」
「人間がなっていない」
多司馬はげらげらと笑った。「こりゃ笑えるわ。確かにそうじゃ。だが、望みは叶えさせてもらう。わるかったな」
「呆れたわい」
「坊主。呆れついでに今度はわしが教えてやろう。わしゃぁな、好きこのんでここに来たわけでない。だってそうじゃろ? 化物と戦わなければいけないんじゃ。そんな危うい思いはしたくないし、化物相手にずっと逃げてるつもりじゃった。ここにきた目的が他のやつらと違うでの」
「ほう、どんな目的じゃったんじゃ?」
「野中太内という男に命じられてきた。乾を殺せとな」
「ほほう。それは面白い。昇進が目当てか? それとも金か?」
「土佐勤皇党弾圧の際、命と引き換えにやつの使われ者となったのよ」
半平太の弾劾にあたって野中太内はその急先鋒であった。その男がこの年の十一月、乾を弾劾する訴えを山内容堂に起こした。時勢が不安定というのもあるだろうし、乾が容堂のお気に入りということもあった。それが受け入れないと見るや一転、野中太内は行動に出る。十二月七日、乾の屋敷に向かっていた阿部多司馬の目的は乾の暗殺だった。あの刀鬼が起こした混乱。それに乗じてことを起こせ、との野中の命令であった。
だが道すがら、ちょうど五十嵐幾之助と望月清平に出くわし、乾邸には樋口真吉もいた。それで事を成し遂げられず、野中太内に叱責され、ここに来る羽目となった。今日の今日まで人生ずっとこの調子だと阿部多司馬は己の不運を嘆いていたが、人間万事塞翁が馬とはこのこと。思いもよらない幸運に、今の阿部多司馬は有頂天、気分は最高であった。
一方空心はというと、『ひきょう者』が『裏切り者』だと正体を明かしたのにおかしくてたまらなかった。腹を抱えて笑っている。
「傑作じゃ、こんなやつが将軍だとはな」
「何とでも言え。よし! 決めた! 天皇は却下。わしぁ将軍になる」
多司馬は月読に向けて言った。
「この阿部多司馬を征夷大将軍の職に就けさせたまえ」




