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第8話 やつがれ


 なんとか破戒僧は押さえつけたものの、これではどうしようもない。とにかく足からふん縛れと、だれからともなく声が出る。それに答えるように、足の方の人山が動き出した。一方で、縄を持ってきた者が身構える。


 と、その時。両手両足を広げ床に伏している破戒僧が突然、動き出す。回転する銭が勢いを失って倒れる時になるような、くわんくわんとした不規則な動きである。それが次第に回転を強め、黒山の人だかりはその猛烈な勢いに振り切られてしまう。


 もう押さえる者がだれもいなくなったというのに、それでも回り続ける破戒僧は、川に沈んだ大薙刀共々、渦を巻きなから空に弧を描いて北の方角、土佐山の方へ向けて飛んでいってしまった。そして、それをだれもが唖然と見送った。一体あれはなんであったのか。橋の上で多くの人が放心していた。


 ふと、幾之助がつぶやいた。


「乾さんと樋口先生は」

「そうじゃ!」と清平が叫ぶ。


 二人は競い合うように走った。乾の宅へ向かうのだ。この混乱を利用して乾と樋口を斬ろうとする輩がいるかもしれない。昨日からの胸騒ぎは依然として終わらないのだ。いてもたってもいられず、路上だというのに二人は鯉口を切った。柄に手を置いたかっこで城下町を疾走する。


 その道中で、幾之助ら同様、全力で駆けている男の背を見つけた。阿部多司馬である。土佐勤皇党員で藩の参政吉田東洋暗殺事件にもかかわり、半平太の釈放運動にも力を注いだ男だ。幾之助ら同様、その遺骸引き取りにも同道している。


「多司馬!」と呼んで幾之助らはその気を引いた。走りながらもちらっと振り返った多司馬が言う。「おまえら! どこに行くのじゃ」


「乾さんと先生が気になって」と幾之助が返すと、「わしもじゃ」と多司馬が言う。幾之助らは三人揃って 乾宅へ向かった。


 最悪の事態は起こっていなかった。乾と樋口は無事であったのだ。それで、思いすごしだったのであろうかと幾之助は考えた。まだ胸騒ぎというか、気持ちの悪い感覚は消えない。清平も同じ思いである。ここ二日間の胸騒ぎと今日の出来事がどうにも納得出来ず、二人は乾と樋口にそれを話して聞かせた。もちろん乾に警戒をうながすためだ。


「これは僕にお呼びがかかるな」

 乾はそう言うと樋口を見た。「そのようですな」


  “僕”という一人称は通常、 “やつがれ”と読んで自分をへりくだって言う場合に使う。幕末の頃、それを“ぼく”と読んで使うのが尊皇を自称する者の間で流行となっていた。


「そうなったら人選は任せるよ。いや、待てよ。悪いが唯八と弟の謙吉もそこに入れてやってくれ」


 大監察であった小笠原唯八はこの年の五月に謹慎処分となった。徳川を見限れと前藩主容堂に公然と言い放ったのだ。


「乾さんと小笠原さま、それにわたくし。一隊は五人でそれが五隊。計二十八名」


 乾をさしおいて小笠原をさま付けで呼ぶには訳がある。岩佐番所の二十三人を徒党強訴とみなし、藩は兵八百人を送り込んだ。それを指揮していたのがこの小笠原唯八なのだ。とはいえその唯八は、捕縛した二十三人の助命を請うた。それをとってみても、唯八の本意がどこにあるかはうかがい知れる。が、それでもやはり下士には納得しきれないものがある。乾のように親近感を持って唯八に接することが出来なかったのだ。樋口が続けた。


「謙吉さまは指揮官ではなく隊に入れるとして、そのほかに加えたいのがもうひとり」


「ほう。そう来ましたか、樋口先生。なかなか面白そうな人選じゃありませんか。では、取り掛かるとしましょう。藩庁に呼ばれてからでは遅いので早速手配をお願いします。彼は樋口先生に任せるとして、ちょうどいいことにここに動ける人が三人もいらっしゃる」


 乾が、幾之助ら三人を見た。


「どういうことですか?」と清平。


「藩庁は今頃、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていることでしょう。歴々も事態の収束に頭を悩ましているに違いありません。そして、その化物がまだ生きているとなれば、むしろ僕らが傍観を決め込んだらそれこそあの人らの思うツボ」


「いや、しかし」と清平は口ごもった。乾は、今は無役であった。大政奉還がなる七日前の十月八日、歩兵大隊司令の任を解かれたのだ。容堂の指示だという。


「許しもなく勝手にということは。それに小笠原さままでともなると」


 清平は乾の身を案じた。傍観しろとまでは言わないが、あの化物は危険過ぎる。


「大丈夫。望月君、これは僕らの仕事になるよ、きっと。な、先生」


 樋口が声を上げて笑った。


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