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第79話 たたきとしゅとう


 辺りが暗くなり、どれもこれもいっしょに見える小作らの家。その中で安吾のところはすぐ分かった。煌煌こうこうと明かりが漏れる家があり、そこから酔った男の歌声が聞こえる。そして、その家の前には馬が繋がれていた。土佐ではくらが乗った馬は珍しい。


 新兵衛はその馬を知っていた。致道館で借りたあの利口な馬だった。鼻筋を撫でながら馬に問う。「だが、なぜ」


 それに馬が応えるわけでもなく結局、新兵衛は恐る恐るその家を覗き込む。


「遅かったじゃないか、小松君」 引き戸がガバッと開いて乾が現れた。


 安吾も顔を出す。「おそいよ。小松さん」


 え? なんで乾さんが? 戸惑っているところを二人に背中を押されるがまま家に入る。


 囲炉裏端には刺身の皿や汁の入った椀が並び、自在鉤じざいかぎの鍋の周りには魚やら海老やら餅やらの串が所狭しと刺さっている。酔っているのは安吾のおやじさんなのだろう。


「小松さんじゃろ? さぁ、座った座った」


 酒を片手に、うるめイワシの丸干しで、ここじゃここじゃと空いている席を指す。上機嫌である。それはそうだろう。元大監察の乾がわざわざ息子の安吾に会いに来たのだ。


 おやじさんの傍らで、苦笑いして頭を下げている女は安吾のかあちゃんなのだろう。そして、五つか六つの子供は安吾の弟か。父親がどんなに乱れようともおかまいなしである。片手には餅、もう一方の手には車海老の串、口を膨らませてもぐもぐやっている。食うのに遮二無二なのだ。


 新兵衛は腰を落ちつけると、目の前の大皿に気付く。うつぼのたたきである。噛んだ瞬間、ふわっと甘みが口いっぱいに広がるが、それがしつこくなくていい。大好物であった。


 そしてもう一つ、好きなものが酒盗しゅとうである。鰹の胃と腸の塩辛でこれがまた、酒が進む。舌触りはとろーりで、噛むとしこしこ、コクと旨味が口いっぱいに広がる。それを酒か焼酎で洗い流すと微妙に味が口に残る。それでまたそのコクと旨味が恋しくなって酒盗を口に放り込む。因みに舌を洗うのは汁とかお茶ではなく、酒か焼酎でないといけない。酒を盗んででも飲みたくなると名付けられたゆえんである。それが小鉢に盛り付けられていて、思わず生唾を飲み込んだ。


 なんだか久しぶりに目にしたような気がした。恋しさのあまり、まるで茜雲を空からすくってきたようだ、と新兵衛に酒盗の小鉢は思わせた。


 安吾が目ざとく言った。


「小松さん、酒盗、好きなのかい。これ全部、乾さんが持ってきてくれたんだ」


 乾が気を利かせたというわけでもない。うつぼのたたきも酒盗も土佐者はだれでも好物なのだ。安吾がつづける。


「ほら、お米も」


 土間にどかっと二俵並んでいる。『月読』での褒美なのか、それとも安吾に対する敬服の印なのか。乾のことだから後者の方であろう。変わっているお人、いや、気持ちいい御仁じゃ。


 そんな新兵衛の想いもつゆ知らず、安吾のおやじさんが言う。


「乾さんは上士にしておくのはもったいないお人じゃ。そう思うじゃろ? 小松殿」


 それは褒めているのか、けなしているのか。いずれにしても答えかねない。新兵衛のつくった笑顔は苦い。


 とはいえ、解せない。なぜ褒美なのか、敬服なのか。乾は知らないはずである、『月読』のことは。『遊び』に参加していなかったのだ。


「ま、飲め飲め」と満面の笑みの乾。


 戸惑いながらも、乾の差出した茶碗を手に取る。そこになみなみと酒が注がれる。


「駆けつけ三杯だ」


 新兵衛は言われるがまま三杯飲み干す。一挙に酔いがまわったところへ今度は茶碗を取り上げられ、換わりにちりめんの風呂敷包みを手渡される。ずゅしりくる重さとその形。


 スミスアンドウエッソン。


 にこっと笑みを見せた乾が言った。


「君が手渡す方が洒落ているだろ」


 やっぱりこの人はなんでも知っている。だが、そんなはずはない。


「どうした、小松君。早く」


 言われるがまま、安吾に手渡した。


 渡された方も即座になにか分かる。これ以上ない笑みを見せた。「ありがとう。小松さん」


「ぜったい他人に触れさすな。あの時は痛かったぞ」とすかさず乾。


 安吾が苦笑いする。すでに二人はあの『月読』での出来事をすべて把握している。わしもすべて、最後まで、全部知りたい。


「乾さん、なぜ?」

「小松君、君にはちゃんと話すがそれは後だ。いまは飲め飲め」


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