表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

78/83

第78話 うたた寝






     十二月六日




 目を覚ますと見慣れた庭が広がっていた。といっても、こじんまりとした敷地に植え込みが数えるほどしかない庭だった。唯一の楽しみは一本ある山躑躅やまつつじだったが、見頃はまだ何か月も先である。


 あえて言うなら、今は苔がいい。枯れ木ばかりのところに形の悪い石があり、まずはその石に目がいく。表面にはもっそり苔が生えていて、それから目を配ると庭全体が薄暗く、日当たりが良くないのが分かる。川の傍なのも影響しているのだろう、刈り込んだ芝のように見える緑はすべて苔なのだ。


 まぎれもなく、ここは我が家。それで六日の昼間はまさにこんな風に庭を見て、うたた寝していた。


 戻ってきたか、と新兵衛は思ったその矢先、背中に綿入れがかけられた。傍らにゆきが立っていて、あって顔で見ている。


「起こしてしまいました」


 新兵衛は喜びを隠さずゆきに抱きついた。もう何日も会っていないような気がする。いや、事実そうなのだ。ぎゅっと抱き絞め、その感触、その温もりを感じる。


「え? どういたしました?」


 戸惑っているゆきであったがそんなことはかまわない。抱きしめたい。


「あなた。し、新兵衛さん、新兵衛さんてば」


 ゆきは苦しそうだった。それにもまして新兵衛の、この行動になにか怖さを感じたようだ。おびえているのに新兵衛は気付くと、ぱっとゆきを離した。


 そうだ、言わなければならない。


 あの樋口真吉が訪れた夜、といっても『月読』の中では明日の晩、七日の出来事になるのだが、あの時ゆきは言った。なぜ、お友達のお誘いをお断りなさっていたのですか? と。


 新兵衛は端座し、まだ立っているゆきの手を引いて座るようにうながす。


 二人は真正面に見合う。あまりの急なことにゆきは身構えていた。


「いやいや、別段小難しい話しではない。夢に龍馬が出てきたんだ」


「あの、お友達の?」

「そう、文をよく送ってくるやつじゃ」

「その御方は亡くなられたのでは?」


 ゆきの顔は青ざめていた。それはそうだ。ゆきはわしが腹を切るんじゃなかろうかと思い詰めているはず。


「そうじゃ、そいつがな、おれに悪戯をした。それが愉快でな。そのおかげでわしは家伝の奥義を習得した」


 ゆきは何を言いたいのかよく分からないようであった。きょとんとしている。


「つまり、あいつはあの世で楽しくやっているちゅうこっちゃ」


 そう言うと新兵衛はげらげら笑った。


「心配すんな。わしは幸せじゃ。おまえもそうだろ?」


 ゆきは、えっとした顔をしたが、目が潤んできているのが見て取れた。


 言いたいことが伝わった。安心した新兵衛はまたゆきを抱きしめた。するとゆきの温もりからか、急に眠気に襲われた。この肉体で実際戦っていたのではないけれど、心底くたびれた。


「ゆき、膝を貸してくれ」


 返事を待たずして新兵衛は、その膝にうずもれた。瞬く間に、深い眠りに落ちて行った。






 目を覚ますと、縁側は夕日に染まっていた。


 あっと新兵衛は思った。飛び起きるとまだ、ゆきはいた。ずっとその膝を使っていた。


「きょうは帰れんかもしれん」


 着流しの上に羽織をはおった。そこから袴に足を入れるのと、羽織に袖を通すのとを一緒にした。いっぺんに、というのは無理がある。身の釣合を失って、おっとっと、となって、ぴょんぴょんと飛ぶ。


 ゆきが笑った。


 新兵衛は驚いた。驚きすぎて硬直し、こけた。ゆきが声をあげて笑っている。そんな姿、連れ添ってこの方見たことない。


「わしゃぁ、おかしいか?」


「急にお変りになりました」

「わしがか?」

「いつも庭を見てばかりでした。さみしそうに、ずっと」


 そういうことか、と思った。ゆきはそのわしの背をずっと見ていたんだ。


「すまなかった」


 ゆきを追い詰めていたのはわしであった。わしが墓の前で腹を切るとゆきは心配していたが、ありゃぁやっぱり、ゆきの想いじゃった。時が来ればゆきは自らの喉を切るつもりじゃった。なんて罪作りなんじゃ、わしは。


「じゃが、わしは急がなければならん」


「御用が?」


「友達が待っておる」


 ゆきが満面な笑みを見せた。「あなたさまがそのようなことを言うのも初めてです」


「そうじゃったな。わしゃぁ友達がいなかった。いや、いまはいる。安吾っていうんじゃ」


 袴の紐をあわただしく結んで、「じゃ、いってくる」と新兵衛は屋敷を飛び出した。ゆきが言った。


「お気をつけて!」


 ゆきのことは安心した。が、心配なのは安吾とたえだ。わしが死んでから後、どうなったのだろうか。新兵衛は弘瀬村へ向かって懸命に走る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ