第77話 純情
島村寿太郎と小笠原保馬が言った。
「新兵衛、分かっておろうな」
そうきたか、とため息ひとつ新兵衛はつく。半平太を蘇らせるという気持ちはわかるが、賛同はできない。できないが、もうどうでもいい。どうせ関係ないのだ。あちらの世界で目が覚める。すると半平太が藩を牛耳っていて、皆、右往左往している。わしの知ったことではない。
それは尋常ではないだろう。長州藩のように攘夷を実行しているのかもしれない。城下は丸焼けになって、ゆきと二人でエゲレスの船から発射される大砲の弾から逃げ惑っている。あるいは、幕府軍が押し寄せ、土佐藩は全滅しているのかもしれない。
いや、よそう。
寿太郎の願いを代わりに言ってやろうじゃないか。どうなってもしるまい。
「わかってるよ」
その言葉を聞いて寿太郎らはほっとひと安心する。反抗されることも念頭においていた。それがこのざまである。気持ちが落ち着けば快諾してもらっているはずの新兵衛が不甲斐なく思える。大石弥太郎の方が、気骨があったな。武術は家に引き継がれる。人間としてはやはり軟弱だった。そして、新兵衛を一瞬たりとも恐れた己が馬鹿だった、と寿太郎は自嘲する。
「新兵衛殿、『月読』を終わらせたのはお主だが、いっしょに進めた者らもいたんじゃないのかな。その者らを無視するのか?」
空心が口をはさんだ。そして、そう言う一方で傍らの多司馬にも囁く。「いましばらくは待て」
それを聞いて阿部多司馬はほっとした。約束が果たされようとしている。そのために洋式銃を持ち、新兵衛らの後ろに回ったのだ。約束を守れ、と空心に圧力をかけるために。ところがだ。
「はぁ? 不甲斐ない新兵衛はいいとして、いまのは聞き捨てならんな、坊主」
頭だけ振り向いて、己の肩越しに寿太郎が言った。「それで多司馬、なにを喋っていたんじゃ。おまえらつるんでおるのか?」
多司馬は、ぱっと後ろに飛びのいた。手には洋式銃があり、その銃口は寿太郎に向いている。
「言ったじゃろ。両方ともおんなじことじゃとな」
「おんなじならなんじゃ」
「願いを言ったところであの世行きってことは変わらんのじゃろ。わしゃぁ、生き残る」
「そういうことか。坊主なんぞにたぶらかされよって、情けないやつめ。じゃが、おまえにかまっている暇はない。生きるならそうせい。わしらの邪魔をするな」
新兵衛は脅えきったたえを見ていた。空心の口から褒美の話が出たとき、安吾は自分には望みがない、たえねえちゃんの望むことを叶えてやってほしいと言った。
そうだろうな、と新兵衛は思う。たえを姉のように慕っていたのではない。安吾がたえを守ろうとする気持ちは尋常でないのだ。
女として見ていた。
それをおねえちゃんと呼ばなければならない安吾のやるせなさ。そしてこの春、嫁に行ってしまうというつらさ。
そもそも安吾なぞ、たえの眼中にはなかったのだ。安吾はそれをよく分かっている。それでもたえの幸せを願っていた。間違ってもたえを自分のものにしようなぞと望んだりはしない。それがたえの幸せでないことを知っているのだ。安吾の純情。だからこそ、そんな安吾に報いたい。願いを叶えさせてあげたい。
だが、その想いはすでに遅かった。新兵衛は手も足も口さえも、何もかも動かすことが出来なかった。視力さえ失っていた。
「新兵衛、早く言え」
寿太郎が催促した。
新兵衛は答えない。それもそのはず、こと切れていた。




