第75話 ばち当たり
獄につながっている間も、井上がそんなに悪いやつだったかという思いは森田金三郎にはあった。乾に出会ってからはというと、さらにその思いは強くなる。それにもましてあれほど憎んだ吉田東洋にも理があったと思え、逆に半平太を恨むようになっていた。それが生き返ってくる、いや、生きていたとなればそれこそ向こう側、現実の己の人生も危ぶまれる。もしかして、すでに向うの己は死んでしまっているのかもしれない。
「わしぁ、弥太郎さんに賛成じゃ」
どいつもこいつもぶっ殺せばよかった、と寿太郎は思う。「よし、分かった。多司馬はどうじゃ」
「わしゃ、どっちでもいい」
唖然とした。阿部多司馬という男はこんな軟な男だったのか、と誰もが今初めて思う。それもそのはず、半平太にかわいがられた弟子の一人であった。江戸へ剣術修行に出た際もお付きとして同道しているし、東洋暗殺にも一枚かんでいる。それがこの言いぶりである。多司馬が言う。
「両方とも結局おなじことじゃ。んなことより、新兵衛をなんとかした方がいいんじゃないのか。やつの嫁は病弱でいつ死んでもおかしくない」
そうだった。この緊迫した場面でよくぞそれに気付いた、と誰もが多司馬に感心した。新兵衛に勝手に願い事されれば元も子もないのだ。それでなくても空気のような存在なんだ。やはり多司馬は半平太にかわいがられるだけのことはある。
「殺してしまおうか」と保馬。それに寿太郎が異を唱えた。
「さっきも言ったじゃろ。坊主が全部を言っていない以上、なるべく状況を変えない方がいい。なにかと対応できる」
「よし。わしが見張ろう」
そう言うと多司馬は、落ちていた洋式銃を手に新兵衛、安吾、たえら三人の後ろに位置する。そして、言った。
「声を一言でも上げれば撃ち殺す。子供とて容赦はせん」
といっても、新兵衛は見た目、ほとんど虫の息であり、見張るまでもない。しかし、だからこそなのだ。新兵衛とは十中八九、命のやり取りはないし、もっと大事な理由がある。銃を構えるすぐ横に空心がいる。うまい具合に言い逃れしてきたが、このくそ坊主め! と多司馬は内心罵る。どうしたら元の世界に戻れるか、もったいぶらずに、はよ言えや。
朦朧とした意識の中で、皆のやり取りを聞いていた新兵衛であるが、ある意味、寿太郎の言い分には納得ができた。そして、ならば、と思う。
龍馬を生き返らせる。
もしそれが成ったとして、大海原もいいがおそらくは、わしの人生になんの変化も起こらないじゃろう。わしは竜馬の誘いを断り、竜馬は船で大海原にいる。それでいい。あいつが生きていたと思うだけでも世の中ぱっと明るく見えるし、だれ気がねなく今まで通り暮していける。
いや、それでいいのか?
八日の未明、家を出るときゆきが言った。
「わたしは死にません」
それはどういうことか? わしの墓守をちゃんとするから思い切ってくださいってことじゃなかったのだろ?
唐突に、竜馬の笑顔が頭に浮かんだ。あの鞍馬天狗との戦いの最中、思い浮かんだまんまの顔だった。
そうじゃのう、それでおまえが喜ぶはずはないか。それをいえば、ゆきだって同じか。わしゃ、いまでも十分幸せじゃ。それを変えるとなれば不幸せだったってことになるんじゃからな。そんなこと、欠片も思ったわしゃぁ、罰当りじゃわ。
「武士らしく戦って決めよう」
寿太郎が手製の槍を手元でぐるりと回した。「銃はなしじゃ。ありゃ、武士の得物ではない」
「受けて立とうじゃないか。どうせみな、死出の道連れじゃ。だが、悪いが先に行ってくれ。わしらは後から追い付いていく」
弥太郎も振り感を確かめるように木刀を片手に振ってそれに応じた。
数の上では四対四。島村寿太郎と小笠原保馬には小畑孫次郎、上田楠次がつき、大石弥太郎には河野万寿弥、森助太郎、森田金三郎が味方した。それが気勢を上げ、互いに討ちかかった。




