第74話 大海原
もし、それを願ったらどうだろう。向こうの世界で目が覚めたら、首や腕にまとわりついてくる子供たちがいる。そして、その子の産まれてからの葛藤やら事件やらで、当たり前のような人並みの思い出に浸る。
あるいは、竜馬と大海原で潮風に吹かれている。乗り越えた冒険の数々が二人を一心同体にし、語らうまでもなく互いに相手の気持ちが手に取るように分かる。
ゆきが元気であれば、わしも大海原に出ていた。竜馬が死ぬことだってなかったのかもしれない。
だが、そんな思いも島村寿太郎の一言できれいさっぱり吹き飛ばされてしまう。それは大石弥太郎もいっしょだった。
「武市先生を生き返らそう」
小笠原保馬が言った。「良き考えじゃ」
一同それこそ、時間が止まったように固まった。よくよく考えれば、そう言い出すのも分からないわけでもない。島村寿太郎と小笠原保馬は半平太を介して親戚関係にはあったが、二人には半平太の息の根を最終的に絶ったうしろめたさがある。
確かに、それはそれでむごいとは思う。だが、国の礎になったのだ。武市先生も本望だろう。それに腹切りの介錯は他でもない寿太郎、保馬なのだ。これ以上のことはない。なにをいまさら、と弥太郎は猛烈に反対をした。
対する寿太郎は、真っ向からそれに迎え撃つ。
「お前の言うことを聞く義理はない! 普通なら弥太郎! おまえがわしらの首領になっていいものを、中岡慎太郎はあえてわしらを乾に紹介した。どういう意味か分かるか? おまえはてんで役立たずってこと! 自分が創った勤皇党さえ守れなかった!」
弥太郎は顔を真っ赤にした。自尊心が傷つけられているのは言うまでもない。そこに保馬が追い打ちをかけた。
「それもこれもおまえが不甲斐ないせい」
「なんだと!」と弥太郎は腰に手をかける。が、太刀がない。あわてて木刀を拾う。
「やめましょうよ、大石さん、潔くない」
そう言ったのは上田楠次であった。中岡慎太郎と会談した折、その場にいた。「ほんとは武市先生がいなくなってよかったのでしょ。本来なら軍備役なんてものは武市先生がお勤めする役目。棚からぼた餅とはこのこと」
小畑孫次郎も黙っていない。「おまえまさか、弥太郎。武市先生がいなくなってよかったと思っとったんか。だったら、わしらはどういうわけで地獄を見たんじゃ?」
弥太郎のために拷問を耐え抜いたわけでもないし、家族も困窮を受け入れたわけでもない。返答によってはその頭をかち割ってやろうと思った。
それを、弥太郎は察した。ここはむやみに刺激しない方が無難だとばかりに言った。
「わしも武市先生の復活は賛成じゃ。じゃが、よくよく考えてみい。それで武市先生は喜ぶか? きっと永遠なる親政と、なぜ願わなかったかとお怒りになる。違うか?」
ふふふと保馬が笑った。というか、それは定かでなく顔面神経痛の顔は怒っているようにも見える。
「土佐七郡の代表が城下に集まったとき、牢屋を襲撃し武市先生らを他国に逃がそうと、だれだったかが言ったよな。それにおまえは反論した」
寿太郎が言った。
「あんときも武市先生が喜ぶか? とか言っていたよな。それで武市先生は他国へなんぞ逃げないとも言った」
孫次郎が言った。
「ますます怪しいな、弥太郎ーっ」
大石弥太郎は固唾を呑んだ。
不穏な空気が流れる中で、孫次郎と同じ獄につながれた河野万寿弥が言った。「それは言いがかりというもんじゃろ!」
続いて森助太郎が言った。
「この場面で、親族を生き返らせたいって私事を言うやつに、弥太郎、おまえはやることなすこと私事だと難癖をつけられ、そのうえ咎められているんじゃぞ。しっかりせい。親政はなんも間違ってはおらん」
森助太郎は、弥太郎と同じ家塾で漢学を学んでいる。二人は古くからの付き合いで、弥太郎が半平太に取って代わろうとか、私情に流されるような男ではないことを助太郎はよく知っている。
寿太郎が言った。
「上げ足の取り合いはもうやめようじゃないか。金三郎、多司馬。おまえらはどっちにつく?」
勤皇党弾圧の折、井上という男を殺害したとして森田金三郎は獄につながれた。井上は下士で半平太が暗殺した参政吉田東洋にその能力が見とれられて下横目役に抜擢された男だった。因みに下横目とは、不正を摘発する横目付の補佐である。




