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第73話 『月読』


 そうじゃ、そうじゃ、と己の意見に賛同する声が沸き立つ。悦に入る大石弥太郎だったが、そうなると気になってくるのが焼死体だ。乾にしてはぶざまじゃないか。


「なんで、乾さんは?」


 小畑孫次郎が言った。


「たぶんな、今から思えば新兵衛にたえが捲った札を教えようとしていた。ほれ、新兵衛は鞍馬天狗と戦っていただろ」


 そうだった、と弥太郎は思い出す。鵺の鳴き声で弥太郎は記憶があやふやになっていた。さすがは乾、と言わざるを得ない。


 場が落ち着いたところで島村寿太郎が言った。


「さ、再開だ。新兵衛」


 あまりの恐ろしさに安吾、たえは硬直していた。手を膝の上に置き、唇をギュッと結んでいる。新兵衛はというと、気力でなんとか命を長らえているといった風である。背骨は稲穂のごとく前ノメリに垂れている。


 寿太郎が言った。


「新兵衛、聞こえているよな。わしゃぁこの子達には手を出したくない」


 田辺豪次郎らを殺したときから正気を失っているとは思っていた。もしかして寿太郎たちとやり合うことになるかもしれん、と新兵衛は覚悟を決めて、最後の一枚を捲った。


 円形に並べられた三十個の満ち欠けした月と『月読』。


 少し間があった。札を捲っても化物がすぐに出てこないのは先刻承知だった。いつもはその間、化物が出てこないことを願っていたが、今回ばかりは気の遠くなるような時間を感じた。


 誰もが固唾を呑んでいた。そこへどこからともなく馬のいななきが響き渡ったかと思うと蹄の乾いた音がこっちに向かって来ている。皆、空を見上げる。蹄の音は明らかに空から発せられていた。


 宙を馬上で駆ける貴公子。


 それが、新兵衛の前に降り立った。手綱を引いて馬を止めるその姿は他の化物と一線を画し、『月読』の支配者たるに相応しい圧倒的な存在感を見せていた。太刀を佩き、紫衣をまとう。袴を膝下で縛る足結の緒には、金糸が織り込まれていた。


 頭部には、満月とそれを支える二匹のシャチホコを象った冠がきらめき、両の耳元でそれぞれ束ねた髪が吹かぬ風にゆらゆら揺れていた。その面差しはというと、色白で切れ長の目に、薄いが血色の良い唇の美青年。そう、その顔は空心に瓜二つ。


 だが、驚くことはない。明らかに空心は、月読がどのような姿をしているかまで知っていた。そして、その喋り口調から向うの世界の空心は老齢であろう。思念体としてこの世界に入り込んだ時、空心が選んだ姿がこれだった。


 馬鹿にしているのか、あるいは挑戦的なのか。誰もが、それを考え付いた空心の人格を疑い、唖然とする。当の本人はというと、ご満悦である。にたぁっと歯を見せて食い入るような目つきで月読の言葉を待っている。


 月読が言った。


「願いを言うがよい」


 ただ、それだけだった。ぶっきら棒というか、そっけないというか。ややもするとその言葉になんの重みも感じさせない。願いを叶えることなんて難しいことでもなんでもない。息を吸ったり吐いたりするように月読はなんでもやってのけてしまう。


 そう思うとそれがなおさら月読の非日常性、超人間性を感じさせ、弥太郎らを戸惑わせる。馬上にいる化物はまるで、神なのだ。


 固唾を呑む皆を尻目に、空心が言う。


「願い事とはつまり、進むべき時間空間を望んだ方向へ捻じ曲げるということ。それには想像を絶する強大な力が必要じゃ。丸一日でも大変な力なのに今回貯められたのは四日分。喜べ、月読はそれをつかうんじゃ。向うの世界はどのようにでもなる。つまりじゃ、望みはなんだって叶う。未来を変えるなんて朝飯前。進むべき先どころか過去の事実さえ変えてしまえる。ということはじゃ、死んだ人間だって生き返らせるっていうことじゃ」


 皆、息を呑んだ。


 世迷いごとではないことは神々しいまでの月読から十分すぎるほど分かるし、後醍醐帝がわざわざ数千の軍勢を要したのも時間をかけるための人身御供とみていいだろう。肝心なのは苦しみの量なのだ。最低限、願いを叶えたいなら化物を一体たりとも端折ってはならない。とんとんと終わらせたらいけなかった。苦しんで苦しみ抜けという、なんとえげつなく、恐ろしい『遊び』であるか。だが、幸か不幸か、偶然にもどんな願い事でも叶えられる資格は得た。問題はだ、この記念すべき一瞬をだれの言葉で迎えるかということ。


 大石弥太郎は、もちろんわしじゃと思っていた。首領の武市半平太がいない今、土佐勤皇党の席次は弥太郎が一番上なのだ。


 それにもまして半平太を首領にすえることから企画し、いまや日の下の隅々にまで聞こえる土佐勤皇党にしたという自負がある。誰もが、弥太郎さんに、と言うに決まっている。余裕綽々であった。


 一方で、新兵衛はというと、妻のゆきを想っていた。体が弱くて苦しんでいるのを治すことが出来る。いや、そんな事実さえ消してしまえる。とするならば、子がいたとしてもおかしくはない。人生自体も大きく変わっていよう。竜馬といっしょに神戸で、長崎で、軍艦を操っていたのかもしれない。


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