第61話 大はずれ
大石弥太郎の悲痛な叫びもよそに空心は、手を頭に置いて天を仰ぎみる。
「あちゃぁーっ、大ハズレじゃぁぁぁ!」
果たして太刀を抜いた鞍馬天狗は経を唱える高野僧の胸を一突きした。切っ先だけを肋骨の間に通したようで、動きに全く力感が見えない。
「結界は呪者の内側に出来る。他の化物ならいざしらず、見ての通りやつはおそらくそこをつく。なんせやつは戦鬼! 戦闘が喜び。戦闘自体がやつに課せられた役目なんじゃ」
見る間に、空心の配下は減っていく。その一方で刀鬼はというと、結界にへばりついてどうしてもこっちに来たいようだった。空心は言った。
「この大きさの結界を維持するには最低五人は必要じゃ。それまでにやつを止めなくては」
皆、慌てて銃を構えた。その威力なら十分牽制にはなる。とはいえ、とどのつまり、『鞍馬天狗』の相方の札を引き当てるしか止める方法はない。
要は新兵衛ら三人にその時間を与えればいい。さっきそうしたようにとんとんと進めれば、ものの二十数えるかどうかだ。しかし、その鞍馬天狗の姿がない。札を捲ろうとしたたえが蓮台に影が落ちたのに気付く。
「上!」
結界の頂点で鞍馬天狗が右、左とせわしなく腕を振っていた。その動作が新兵衛の目には手裏剣を飛ばしているように映る。だが、何も飛ばせてはいない。それなのに一人二人と、無い手裏剣で高野僧は消えて行く。瞬く間に結界は消え失せ、その結界を足場にしていた鞍馬天狗はというと、どんっと蓮台の上に落ちて来て、すくっと立った。
咄嗟に、たえと安吾を抱いてその場を離れたのは空心だった。新兵衛はというと、鞍馬天狗の蹴りをまともに食らって吹っ飛んでいた。
両前腕で的確に防御出来たはずだった。それがどうしてか、意識と肉体を切断した。正気に戻ったのは地べたに頬をうずめてからである。蹴り飛ばされて、背中から地面に叩きつけられ、それから後転を五つ六つさせられてのことだった。
なんとか立ちあがり、鯉口を切る。と、そこへ、鞍馬天狗の手裏剣を放つ、あの、手の動き。反射的に半身に交わした。にもかかわらず洋服の下襟に、肩口に、裾に裂け目が入る。
念!
それは新兵衛に『鞍馬刀法』を思わせた。言伝えにはこうある。鬼三太という厩役の下郎が主人源義経より伝授を受けたという。その鬼三太は小松家の始祖にあたり、一方の源義経はというと、源平合戦の英雄であり幼名を牛若丸と称した。伝説によるば牛若丸は鞍馬天狗に剣術を学んだ。
悠然と立つ鞍馬天狗の足元にはいまだ連台があり、札の場が広がっていた。新兵衛は思った。やつはそこで敵を待っている。『月読』を『遊ぶ』以上、札を捲らなければならない。そのことをやつは知っている。
追い払うべく行動を起こしたのは、五十嵐幾之助と望月清平であった。銃を構え、その照準に鞍馬天狗をとらえたか、に見えたその瞬間、どういうわけか突然二人がふたりとも卒倒した。
驚きのあまり一瞬、間があったにせよ、皆が駆け寄る。名を呼んだり、揺すってみたり、顔を叩いてみたりした。が、起き上がる気配もない。それもそのはず、目はかっと開かれたままである。
誰もが息を呑んだ。
死んでいる。が、何がなんだか分からない。確かに鞍馬天狗はなにもしていない。あっけにとられて皆、茫然としている。と、そこへ刀鬼の大薙刀が飛んできた。
まったくの無警戒である。そして、その殉難を一手に引き受けたのは池知退蔵だった。胴の半分まで白刃を食いこませていたそこで、その柄を握る。自身が両断されれば横にいる大石弥太郎と森田金三郎もその憂き目にあう。武骨な男で通っていた。武士の鑑とまで称され、土佐勤皇党に入る以前は山内容堂に徒目付を任されたほどであった。その池知退蔵ごと勢いの止まらない刀鬼の大薙刀は、池知退蔵を両断出来ないまでも、弥太郎、次いで金三郎と、三人を束にしてもっていった。
その間、他の者はというと、体勢を整える。構えた銃口が一斉に火を噴いた。刀鬼は至近距離からハチの巣となり、背中から大の字に地を打った。
一方で新兵衛は、鞍馬天狗を強く見据え、間合いを詰めにかかる。
この敵がいま現れた意味。新兵衛はそれがなんなのか知りたかった。といっても、この偶然の出来事が天与によって仕組まれた運命だと思うほど傲慢ではない。これはたぶん、なにかの悪ふざけ、あるいはいじめか、そういったたぐいのことなのだろう。いいや、家伝を捨てようとする新兵衛に先祖のだれかが罰を与えようとしているに違いない。それならそれでいいと思う。その罪を真っ向から受けてやる。やぶれかぶれ。新兵衛はそういった気分だった。




