第58話 電撃
乾が見つめるのに愛想笑いで答えた空心であるが、その手にはちゃっかり桐の箱がある。大石弥太郎はというと、怒りは収まらない。どうしてくれようかと思ったが、相手は客人である。斬って捨てるというわけにはいかないと思い直した弥太郎はそれでも、嫌味の一つでも言ってやろうと考えをめぐらした。すると、ふと、あることが頭をよぎった。
「決まりでは、不正は雷と言ったが、この結界だ。逃れられるのではないか? どうじゃ、院主!」
一、『遊んでいる者』以外、触ってはいけない。助言もいけない。もしこれを犯したならばその者は雷に撃たれる。
確かにもっともだ、と誰もが手をぱんと叩いた。もしそうなら誰でも横から口出し出来る。特にたえなぞはいざという時、不甲斐ないので指示通り捲らさせる方がいい。
だが、空心は分かっていた。罰の雷は、落雷というより電撃なのだ。それでも、この言いがかりを逆手に取るのも策としてありか、と考えた。丁度、確認したいこともあった。わざと話に乗ってやって、こちらの用事を済ませておこう。
「懐栄!」
空心は、配下の者を呼ばわった。
結界の外で修法を行っている僧らの中から、一人が返事をした。それが空心のもとに駆け寄る。
「札を触ってみい」
僧は戸惑う素振りを一切見せず、何事もないかのように札に触る。
!
消えた。息でふっと蝋燭の炎をかき消したようにその姿が消え失せてしまったのだ。やはり思念体だからか、と空心は思った。結界は先人が一度使って役立つのは承知だったが、この思念体に関していえば、高野史上使うのは今回が初めてだった。
弥太郎が言った。
「死んだのか?」
皆、目を白黒させている。
いや、死んだわけではない。「あちらの世界に戻されたのだろう。『月読』はわしらを侵入者だと判断したようだ」
思念体は画期的であったが万能とまではいかなかったようだ。眉間に皺を寄せる空心の表情から、乾はその心のうちを察した。雷に打たれない、言い換えれば罰を受けない。そして、排除。それはこの宇内での存在そのものが認められていないということ。空心らはどう転んでも『遊び』に参加出来ない。逆を言えば、新兵衛らに危害が加えられることはなくなった。あるいは、なんらかの間接的な手を打ってくるか。
はっとした乾は、待てよ、と思った。参加、不参加でいうならば、雷に打たれた池田陽三郎は参加したということ。つまりはそういうことか。
弥太郎が言った。「雷はどうか? これじゃぁ、分からずじまいじゃ」
うっとうしいな、このガキはっ、と思いつつ、空心は言った。「調べようもあるまい。なにか? お手前らの誰かが雷に打たれてみるか?」
弥太郎は、そもそも空心の態度が気に入らなくて結界について質問したのだ。それなのに空心のこの言いよう。やはり、斬って捨てよう。
「院主、今の言葉、聞捨てならんぞ!」
乾が言った。
「まぁ待て大石君、僕が思うに雷は札から発せられている。陽三郎が札に触れた時、天井は無傷であった。そうだろ、田辺君」
「たしかに」と田辺豪次郎はうなずいた。
ちっと舌打ちした弥太郎であったが、雷には納得出来たようだった。
空心はというと、なかなか鋭い、と乾の観察眼と知能に感心した。が、油断ならぬとも思った。こちらの腹の内を悟られてはならない。取り敢えずここは目先を変える。
「しょうべん」と結界を出た。
たえと安吾も、思い出したように席を立った。それを見とがめた空心は安吾が追ってくるだろうと立ち止まって待った。男同士である。並んで用を足すに違いない。しょんべんをしながら、揺さぶりをかけてみるか。今後に役立つかもしれん。
そんな考えをよそに、たえと安吾は空心と別の方向に進み、斜面を下って行ってたえの屋敷に向かった。期待と裏腹に、空心を追って来たのは阿部多司馬であった。自然を装う空心は仕方なく多司馬と茂みの前まで進んで、用をたす。多司馬が言った。
「わしは死なねばならないのか?」




