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第57話 後醍醐帝


 九尾が健在となるとその眷属が問題である。業火も雷も、結界がしくも効果を発揮した。空心の解説通りと言っていいだろう。感服はする。するが、もしその通りならば、空心の小ばかにしていう『小狐』は紛れもない、脅威である。この数で一斉にかかられでもすれば目も当てられない。九尾の命令一つで結界から追い立てられて業火の餌食か、あるいはそのまま食い殺されるか。


 うまく引き当てていく新兵衛を感心していたのは遠い昔。いまは一転、皆がその名を呼ばわりながら、腑抜けとか、臆病者とか、日頃思っていることを口走っている。


 新兵衛はというと、それが気にならないどころか、聞こえてはいない。札を強く見れば、雲の文様を透かしてその向こう、化物の絵が見えてくるように思えた。すると、気持もどんどんそこへ入り込んでいく。果たして新兵衛の目に、ほしい絵が札にくっきりと浮かび上がった。


 蜘蛛のような形で頭が牛の怪物と『牛鬼』


 これだ! まるで表を向いていたように見えた札は、裏返すと間違いなく『牛鬼』であった。多分にもれず二つ合わさって桐の箱に飛び込んでいく。牛鬼はというと、旋風に巻かれて飛んでこなかった。札を捲ってから発現までに時間差があるのだろう。その時間差内で札を合わせることが出来た。この事実は、札の引きようによっては化物との接触を最小限に止められることを示している。見守る者らは打って変わって歓声の渦だった。新兵衛はさらに続ける。


 雲に乗る公家風な男と『雷神』


 まさに神がかりとはこの事であった。雷の元凶、その相方の札を見事引当て、安吾が捲った『雷神』であろう一枚を裏返す。


 雲に乗る公家風な男と『雷神』


 『雷神』の絵が合い、桐の箱に二枚の札が消える。


「おっと、しまった。結界が邪魔じゃて!」


 空心が桐の箱を手に取ったかと思うと走っていき、結界の外へ桐の箱を差し出す。霊的な物は結界を通ることが出来なかった。果たして箱から旋風が起こったと思うと雨水を巻き込み、渦巻となって公家風の男も同様、桐の箱の中に吸い込まれていく。辺りはぱっと明るくなり、見上げるときれいさっぱり、雲ひとつない青空が広がっていた。


 皆は体いっぱいに喜びを表現した。手を突きあげる者、しゃがみ込んで拳を握る者。たえと安吾は手を取って飛び跳ねた。


 そんなことになっているとはつゆ知らず、新兵衛が札の場に手を伸ばす。それを見た誰もがぴたりと動きを止める。そして、その指の先を凝視する。


 九本の尾を持つ金色の狐と『九尾』


 奇跡! 皆の喜び様はほとんど雄叫びである。だが、まだ『九尾』は二枚合わさったわけではない。固唾をのむ。新兵衛はすでに次に手を送っている。間違うべくもなく、それは、たえの捲った一枚目へ向かっている。


 きた! きた! きた! 


 新兵衛の指先が、皆が注目する札に触れる。そこだっ!


 九本の尾を持つ金色の狐と『九尾』


 途端、二枚は跳ね上がった。それが宙を舞ったかと思うと結界の縁にいる空心の手元、その桐の箱へ飛び込む。間髪入れず空心は急ぎ結界の外へ走る。九尾は結界を通れないのだ。


 桐の箱が唸りを上げた。結界の外で悠々と構える空心の手元で旋風が起こっていた。瞬く間に九尾はそれに巻かれ、その渦ごと桐の箱に吸い込まれていく。途端、目が覚めたように『小狐』たちは、はっとし左右見渡す。遂にはおどおどと山に戻っていった。


 年甲斐もなく誰かれ関係なく抱き合った。喜びは一通りではない。これで残すは十一枚。『月読』を除いたら化物は五体。あっという間に半分をやっつけたのだから残りもそう問題にはならないだろう。終わったも同然だと誰もが思った。


 いや、乾はそうは思っていない。最後の一枚になにか秘密が隠されているのではないかと思っている。これだけ大掛かりな『遊び』である。勝者に何もないと言うのも味気ないし、造った人が問題だ。後醍醐帝。呪詛で幕府を倒そうとした経歴の持ち主。


 その秘密がいかなるものなのか。新月にまつわる迷信がある。それから言って、だいたいの想像はつく。だが空心は現時点、どう転んでも『遊び』の勝者とはなりえない。『遊んでいる者』ではないのだから。そこでだ。こういう決まりがある。


 一、『遊んでいる者』が死ねば入れ替わることが出来る。


 つまり、新兵衛ら三人は狙われているということだ。空心が順番に入りたかったことからしてみても、誰かの代わりを画策している。


 果たして調子のよい新兵衛に、空心が待ったをかけた。落ち着いたし、これから長丁場になるかもしれないのだから一旦休憩しようというのだ。これには誰もが反対した。このままいかせたほうがいいというのだ。当然といえばそうだ。新兵衛は乗りに乗っている。大石弥太郎なぞは特にえらい剣幕である。高野山部隊を率いているのは自分だという自負もある。意見があるのならまずこの弥太郎に相談すべきではないか!


 しかし、それで、新兵衛の憑き物が落ちた。まるですっとんきょな顔を見せ、あの鬼気迫る迫力はどこへやら、気迫みなぎる表情は跡形もなく消え失せていた。


「どうします?」


 いつもの新兵衛がそこにいた。あっけにとられた弥太郎は指示を求める視線を、めずらしく乾に送る。


「休憩にしよう」


 そう言うと乾は空心を見た。「これで、よろしいですかな?」


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