第56話 神がかり
二人は申し合わせ通り、場を広げた。次々に引く、と申し合わせていたにしろ、それをやったらやったで空恐ろしくなる。どの札も生半可ではないのはその身を以って知り得ていた。今更泣き言なんて言えないが、少なくとも新兵衛にはそのうちのどれかを引き当ててもらわなくてはならない。皆が生唾を呑んで見守る一方で、新兵衛はというと、皆の凝視も気にはならない。刀鬼や牛鬼と戦った時のような驚異的な、あの集中力を見せていた。
黒々とした外骨格の百足と『大百足』
おおーっとどよめきが起こる。よくぞ引いたとでもいいたいのか。しかし、そんなことは今の新兵衛にはどうでもよかった。たえが二回目に捲ったのはこの札!
黒々とした外骨格の百足と『大百足』
歓声の中、その二枚の札が跳ね上がり、すっぽり桐の箱に納まる。それに一瞥もくれず新兵衛は手を進める。
白い蛇に『うわばみ』
二度連続で初出の札の相棒を引き当てる。そして、今度も慌てることなく、安吾の一枚目に捲った札を引く。
白い蛇に『うわばみ』
絵の合った二枚の札が跳ね上がる。だれもが声をあげ、手をたたいた。あの巨体が暴れまわることを見ずにして終わったのだ。しかも、よくよく考えれば、結界も効かないと脅された化物だった。それを軽々と乗り切ったのだ。
驚くべきはいざとなったら発揮する新兵衛の集中力。もうすでに己だけの世界に入っていた。傍から見ていると何かに取り憑かれたようである。いや、祖霊か守護神かなにかがのり移ったと言うべきなのか。まるで人が変わって見える。その新兵衛がさらに続ける。
蜘蛛のような形で頭が牛の怪物と『牛鬼』
ここで初出である。だが、新兵衛は慌てなかった。捲り済みで残っているのは『九尾』と『雷神』。結界が効果を発する相手ではあった。この『牛鬼』もそれと同様、結界を越えられないという。しかも、こいつは夜にならないと襲ってこない。あわてる必要もないが、引いてしまったのだ。己の手でもう一方の『牛鬼』を是が非でも引き当て、続けざまに『九尾』と『雷神』を屠り、さらに完結に向けてまい進する。
そんな新兵衛の意気込みとは裏腹に、すでに狐はあちらこちらの山から湧いて出てきており、逃がさないというつもりなのであろう、高台を取り囲むとじりじりその間隔を狭めている。山中に逃げた大百足を襲った時はほとんど追い込み猟であった。今度は取り囲んでおいて、止めは首領の九尾にお任せしよう、という腹に違いない。
しかし、尚も新兵衛は目もくれない。札の場をじっと凝視して動かなかった。
どこを向いてもいきり立つ狐である。包囲を縮めるたびに個体同士が接近、やがては接触。見る間にもう、芋を洗うようである。高台から逃げ出そうにも、こうなってはもはや遅すぎた。
「はやくしろ、新兵衛!」とだれもがやきもきして空を見上げる。もうそろそろ九尾が現れる頃合いだった。
案の定、金色の狐が天駆けてきたかと思うと九つの尾を広げて足を宙に突っ張る。
開いた口から業火が噴出した。
肝がつぶれる。
燃え盛る火の渦が向かってくるのだ。だが、奇しくも業火は結界に遮断されて届かない。胸をなでおろすのも束の間、今度は豪雨である。
それにも結界が効果を発揮した。見えない壁に雨粒の弾かれる音が高台に激しく響く。昨日の雨はこれほどまでに強い雨だったのか。そして、誰もが思い出す。うわばみと対峙した時にうけた雨粒の痛み。あれに撃たれないで済んだんだ。ほっとし、まじまじ空を見上げる。それにしても、あまりにも激しい雨足。山崩れが起こっても何ら不思議ではない。そして、土石流も。
豪雨は結界表面で飛沫をあげ、流れ落ち、そして、その形状を浮き彫りにする。まん丸い半球状の屋根に、自分たちがすっぽり覆われていた。その雨水の流れる結界越しに、ずぶ濡れの九尾がふらふらと宙を彷徨っているのが滲んで見えた。
そこに閃光である。
また九尾が稲妻にやられたかと思ったが、随分経ってから雷鳴が響いた。雷神はまだまだ遠くにいる。九尾はというと、一目散に天から駆け降りる。次の瞬間、閃光と雷鳴が同時に起こった。
落雷したのは真上、結界にである。
だが、衝撃もなにもなかった。全くかき消されたのだ。ほっとして見渡すと狐の大群に紛れた九尾の姿がある。以前、稲妻を食らったのは大百足に気をとられていたからであろう。警戒している様子から前回と同じようにはいかないようだ。




