第55話 結界
だが、さぐりさぐりでいい。今はその時ではないと乾は考えていた。現時点、終わらせるという目的は、辛くも空心と重なっている。そこまでは、力を借りるとしよう。しかし、いずれは空心らの尻尾を掴み、最終的には桐の箱は渡さない。『月読』はその成り立ちから、重大な何かの為に造られた、と容易に想像出来る。図らずも空心らの弱みは、そこにあるように思える。
小笠原謙吉、五十嵐幾之助、望月清平、田辺豪次郎、上田楠次の五人は、河渡しの蓮台を思わせる担ぎ棒のついた台を作り上げていた。当然そこには札の場があり、桐の箱も置かれていて、その蓮台が小笠原唯八を先頭に運ばれていく。
果たしてたえの屋敷の裏山で蓮台を中心に人垣が出来る。ある者は顔面蒼白となり、ある者は生唾を呑む。これからまた昨日のような災厄に見舞われるのか、と思うと誰もが冷静ではいられない。
ところが空心らはというと、修行の賜物か、はたまた思念体で命の危険がないためか、だれひとりとして眉一つ動かしていない。昨日を知る者にとっては片腹痛かった。札の化物がどんなものかを聞かされているのだろうが、聞くのと実際でその目で見るのとでは訳が違う。いざという時になれば慌てふためく空心らに足を引っ張られかねない。望月清平と五十嵐幾之助は高野隊の隊長となった大石弥太郎をうかがった。ちゃんとやつらを制御出来るのかどうか。清平も幾之助も、坊主を押し付けられて弥太郎も可哀相に、と思っていた。
当の弥太郎はというと、ひとり逸っていた。時代を超えて帝に御仕え出来る。その誇らしげな様子から、張り切っているのがありありと見えた。可哀そうでもなんでもない。それがかえって清平と幾之助に苦い笑いを誘う。
水を打ったような静けさ。たまに吹く風が足元の灰塵を巻き上げ、蓮台の上に舞い落ちたかと思うと、まるで掃かれたように板面を滑っていって宙に巻き上げられ消えていく。波打つ木目の模様と無秩序に広がる二十一枚の札。図案化された雲の絵が煤けた板目と妙に合い、美しささえ感じてしまう。
「始めよう」
乾がそう言うと、空心が待ったをかけた。
「その前に、結界を張る」
配下二十二人が一斉に散った。蓮台を中心に大きく円を描いてそこで座禅を組んだかと思うと経を唱え始める。
「雷や炎はやはり、やっかいじゃ。で、この修法は超自然的なものを一切受け付けないよう先人が考案なされたもの。つまり『雷神』はもとより『九尾』の侵入を阻む結界じゃ。しかも、やつらから放たれるその雷や炎をも遮断する。それでもって鬼の『刀鬼』や『牛鬼』にも効く。されど、いいことばかりではない。そっちに傾くあまり、『うわばみ』や『大百足』はもとより『九尾』の小狐には効かない。やつらにとってこの結界はないものと同じなんじゃ。良いのか悪いのか、それで我らも結界の外と中を自由に行き来は出来る」
すでに結界は張られていた。二十二人のすぐ内側を、結界が饅頭状に丸く象り、札が広がる蓮台を中心に乾らと空心を覆っていた。とはいえ、それは高野山の者らを除いて、乾らには全く見えない。
当然、感知できない乾らは空心の説明をあんぐりと口を開けて聞くしかないのだが、そもそもが別世界から来たということ自体、信じられないことなのだ。そういう点から言って、ある程度効果は期待できるし、札を前にしたときの態度からもその効果は想像できる。よっぽど勝算があるのだろう。彼らは百年以上、いや、もっと前からこの日のために準備をしてきたはずなのだ。
いけそうな気がしてきて、新兵衛と安吾とたえは蓮台を囲んで座る。二十一枚、それぞれの位置を目に焼き付けると互いに顔を見合わせた。
『遊び』が始められるとなれば、やはり緊張は尋常でない。捲り出したら、捲って捲って脱兎のごとく走り抜けなければならない。そのためにか、三人は自然と呼吸を合わせようと互いに息の調子を探り合う。ところが、それがいけなかった。三人がさんにんとも、かえって胸苦しくなる。呼吸は荒くなり、唇も紫色を帯びてくる。
見かねたのか、空心が言った。
「終わらせるのに後醍醐帝は数千の軍勢を要した。高野山金剛峰寺座主良運様はたった五名。吉宗公は高野僧、侍、合わせて三十余人。帝の場合はいたしかたなかろう。といっても、良運様はその法力ゆえ座主に就いた御方じゃ。そのおふた方は別として、凡庸な吉宗公が終わらせられたのじゃ。その時の陣容と今回はほぼ変わらぬ。やり方もその通り進める。実績があるんじゃ。心配するでない。肩肘張らず気楽にやれ」
正直、その言葉に新兵衛ら三人は勇気づけられた。怖いのもあったが、終わらせられるかどうかも不安であった。だが、空心らの先人はこの方法で実際に終わらせたという。これほど心強い言葉はあろうか。
「始めます」
と、たえらしくもない張りのある声で、札へと手が伸ばされた。
九本の尾を持つ金色の狐と『九尾』
さらに捲る。
黒々とした外骨格の百足と『大百足』
安吾も続く。矢継ぎ早に二枚捲った。
白い蛇に『うわばみ』
雲に乗る公家風な男と『雷神』




