第54話 蓮台
皆、顔を見合わせた。考えたのは『刀鬼』である。太刀を渡せば丸腰だ。鉄砲もあるが、島村寿太郎と小笠原保馬の行動は納得できる。確かに、不得手な鉄砲では心もとない。ずっと呆けていたことが置いてけぼりを食ったようで誰もが不安に駆られた。我も我もと岩石群を登っていく。
だが、そんな勝手を指揮官の小笠原唯八が許すはずもない。声を掛けようとしたところ、乾が止めた。
「いいじゃないか、唯八」
相手が乾といえども、今度という今度は従うわけにはいかない。そのまま逃げられるということもありうる。唯八は食い下がった。
乾が言った。
「なら、少なくとも幾之助と清平、それに楠次は戻してくれ」
はっとした。ノコギリの作業がまだ途中であったのを唯八は思い出す。田辺豪次郎と小笠原謙吉は残っていた。行ってしまった三人を呼び寄せるため、唯八は慌てて走ってゆく。
一、完結すれば遊んでいた時間は失われる。ただし『遊び』に参加した者はその限りではない。
安吾とたえはというと、ずっと体を硬直させていた。『遊び』に参加した者はその限りではないという部分。それを聞いて、忘れよう忘れようと思っていた六日からの出来事が克明に、いや、目の前にまざまざと映し出されていた。それだけでない。血の匂いも鼻についてきて、悲しさ、そして怒りの感情を覚えていた。たえなぞはそれに加え、父と喧嘩しただけで桐の箱を持ち出したという後悔の念にもさいなまれている。
そのふたりの様子に乾は、推測とはいえあの時、言ってやるべきだったかと後悔していた。『遊んでいる者』が『月読』を知らなければ永遠に同じことが繰り返される。簡単な理屈である。遅かれ早かれ、知れることなのだ。だが、再会しようとする今この時点で、ともなると、この二人からどんな弊害がおこるか分からない。まずは新兵衛だろう。そもそも己の無い男なのだ。だから、人の感情に振り回されやすい。果たして乾の予感通り、新兵衛はふたりを前にして狼狽えている。
実際に新兵衛も、となるとそれはやはり問題だ。この三人には終わらせるだけでなく、『月読』を葬るのに協力してもらわなければならない。そういう意味でいうなら空心には桐の箱を渡すつもりはないのだが、いまはそれではない。乾は三人の前に立つと安吾の前にしゃがんだ。
「僕に仇討ちを頼みに来た時のことを君は覚えているかい。あの時、君は全てを失ってなんにもなかっただろ。その上で辛い思いがあった。それが今日、辛い思いは消えないと分かった。でも、家族は取り戻せると知れた。始めと比べてみなよ。差引一つ儲けじゃないか」
そう言うと乾は笑顔を見せた。納得したのか安吾も笑顔を見せた。たえもだ。新兵衛はというと、胸をなでおろした。が、内心、二人はなにひとつ儲けていないと思った。六日以前は幸せな生活を送っていたはずなのだ。
その一方で、もう大石弥太郎は空心と打ち解けていた。やはり後醍醐帝に勅命されたという点が彼に良い印象を与えたようだ。気持ちよく雑談しているとそこへ、阿部多司馬が割って入っていく。当初、破戒僧騒ぎの折、乾邸に五十嵐幾之助らと飛び込んで来た男であった。その多司馬がなんの脈絡もなく唐突に、『月読』が終われば全てが消えてしまうと言うけれど具体的にはどうなるのかを教えてくれ、と言うのだ。空心は言った。
「ぱっと光に包まれてその光ごと桐の箱に吸い込まれると伝わっているが」
「痛いのか?」
「痛くもないし、怖くもない。消えるだけだという」
「あの子たちは?」
「消えるときは御手前と一緒じゃよ。それで向こう側の宇内で、はっと気が付く。そして、そういえばこんなことがあったなと思う。それだけじゃ」
「そんとき、わしらはどうなっている。箱の中か? それとも閻魔に会っているのか?」
空心は笑う。
「知れぬわ。それはわしじゃなく、死んであの世から帰って来たもんに訊かんとな」
そんな二人のやり取りも、乾は聞き逃すはずもない。安吾やたえに笑顔を振りまきつつ、さて吉と出るか凶と出るか、と思っていた。空心らを加えたことは成り行き上、止むを得ないことではある。とはいえ空心らを縛りつけて洗いざらい吐かすことだって出来たのだ。そして、その方が勤皇党らの性にも合っているだろうが、とも思った。




