第53話 決まり
大石弥太郎が発した言葉は、空心にとって予想外、あまりにも唐突だったと見える。ずっと涼しい顔だったが、ぎょっとしている。しかも、その顔で「どうして」と口走っていた。が、その後は大笑いである。
誰もが呆気にとられていた。空心が弥太郎のことをばかにしているとは思えない。むしろ、感心しているように思えた。空心の、一瞬だが、その慌て様。核心をついたのはうかがい知れる。言った本人の弥太郎はというと、すこぶる気分がいいのだろう、良い質問だと褒められた弟子のように得意顔になっている。とはいえ、それも乾の論からの受け売りなのは明らかである。弥太郎が敢えて言わないところを見ると、全てが自分の手柄というわけだ。
空心が言った。
「御手前は、名はなんと?」
「大石じゃ。大石弥太郎だ」
「そうですか、あの大石様でごさいましたか。ご高名は日頃よりうかがっております」
空心は頭を下げた。弥太郎もそれに返す。空心が続ける。
「まずは事の起こりから話さなければなりませぬな」
そう言うと空心は、『月読』の縁起から始めた。造りだしたのは、鎌倉幕府を倒し親政を復活させたことで知られる後醍醐天皇。当時の名だたる呪術者らの助力を得、『月読』を生みだしたという。
以来、『遊ばれた』のは三度。一つに、当然のことながら後醍醐天皇、一つに、高野山金剛峰寺座主良運、一つに、紀州藩主時代の徳川吉宗。さらに『月読』の“決まり”にまで話はおよぶ。
一、捲った札が二枚合ったらその札は場から抜けて桐の箱に収まる。合わせた者はさらに続けて札を捲ることができる。
一、『遊んでいる者』以外、触ってはいけない。助言もいけない。もしこれを犯したならばその者は雷に撃たれる。
一、『遊んでいる者』の不正は一回。罰は始めからのやり直し。場は配り直される。順番は変わらず。一枚捲った後に不正が行われた場合でも再開後に本人が二枚捲る。ただし、『遊んでいる者』の二回目の不正は雷に撃たれる。
一、『遊んでいる者』が死ねば入れ替わることが出来る。
一、完結すれば遊んでいた時間は失われる。ただし『遊び』に参加した者はその限りではない。
「実は『月読』には裏の決まりがあってな、完結した時点で札を収納する桐の箱を手にした者は、『遊び』に参加しょうがしまいがその所有者になるという。桐の箱は所有者の前でしか開けられない。そして、完結後というのがみそじゃな。恐ろしいことに時間が失われるのじゃ。さすれば当然、ここにある全ては無に帰す。その瞬間にその場にいて冷静にいられるとは限らない、どんなに修行を積んだとしてもな。さらに言わせてもらえば『遊んでいる』その場に行けるかどうか。それでわしらの祖はある術を考えなされた。思念体をこの宇内に飛ばす。その場に行きさえすれば『遊び』に参加出来ずとも桐の箱は手に入れることが出来る。因みに安吾の場合、所有者がもうこの世に居なかった。それで安吾が所有者としてみなされたということじゃ」
弥太郎が言った。
「つまり、あなたたちの本体はまだあちら側の宇内にあると。ってことは今ここにいるあんたの他に、こちらにはあんたがもう一人いるってことになる。今はどうしているんだ?」
「じっと死を待っているじゃろうよ。そういう約束じゃからな。ま、今頃、瞑想にでもふけっているのじゃなかろうかの。と、いうわけでわしらも、わしらの前の代の者らも、さらに前も、桐の箱を失のうてからというもの、代々みな己の生きているうちに使うか使わぬか分からないこの術を日々磨いていたという次第」
大体のところは乾の論で間違いなかった。やはり成す術もなく絶望的で、ほとんどの者の顔が灰色に変わっていた。空心は内心、ほくそ笑む。かわいそうに、相当こたえているようじゃの、“消え失せる”のからは、逃れる手があるにはある。が、教えはせんて。せいぜい仲間同士で足を引っ張り合うんじゃ、勤皇の草莽らよ。
空心が言った。
「残り四体の化物についても知っているが、いま言うてもどうにもならんじゃろ。ただ、ここが海の近くでなくて幸運だったとだけ言っておこうかの」
唐突に、本堂の残骸がきしむような音を立てた。島村寿太郎が材木を引っ剥がそうとしている。傾いた柱に足を突っ張り、体重を乗せてバキバキッと長い木片を引っこ抜く。次にそれを確かめるように振ってみて、納得いったのか槍でも持つような構えをみせる。そこでやっと寿太郎は、皆の視線が己に集まっているのを気付いたようだ。ちらっと視線をこっちに向けただけで悪びれもなく座り込むと、木片を握りのよい太さになるよう削り始めた。
寿太郎の島村家は、槍術をよくするので名が通っている。暴れまわるうわばみに圧死した甲冑次の父島村寿之助などは半平太と共に道場を開き、そこで槍術を教授している。一つ付け加えるなら、その寿之助はこの九月、終身禁固処分がとかれると京藩邸の留守居役を命じられ、いまは京にいる。
手製の槍を造ろうとしている寿太郎になにか感じ取ったのだろう、小笠原保馬が人垣から抜けて岩の群脈を上がっていく。そして、木片を拾い上げ、振り回している。その振り感に納得できなかったのか、投げ捨ててまた岩石群を上がっていく。




