第49話 仕切り直し
十二月十日
夢でもなんでもなく、昨日まで廃寺があったそこには濁流の爪痕がくっきりと刻まれていた。その破壊のほどは、過去にそこが何であったのか手掛かりすらつかめないありさまで、大小様々な岩がひしめき合い、その岩々の間隙にはどこも木々が挟み込まれている。一面乾いた泥に覆われていて、棚田も森も、見渡す限り赤茶けていて、雑草一つ見当たらない。まさに、世の末を暗示するにふさわしかった。
その濁流の爪痕に一際目立った巨大な石がある。群がり集まった岩の中で、まるで天を突くがごとくそそり立っていた。朝日を受けて東側半分は赤く染められ、西側のたもとからは細く長い影を伸ばしていた。
その頂点に、僧体の影がひとつ。
色白で切れ長の目に、血色は良いのだが薄い唇。きめ細かい肌質から歳の頃は十七八といったところであろうか。それが言った。
「来られたのはわしを含めてたった二十三か。百人もいてなんたるざまか、と言いたいところだがしょうがあるまい。にしても」
若い僧を取り巻くようにあちこちから屈強な僧が二十二人集ってきた。若い僧が続ける。
「その姿。そのまんま来たか。発想が貧困なだけなのか、はたまた修行が足らんのか」
若い僧は岩から飛んだ。そして、川の岩をわたるがごとくひょいひょいっと濁流が作った岩垣を、下へ下へと下っていく。その後から屈強な二十二人も続いた。
小笠原謙吉、望月清平、田辺豪次郎、上田楠次の四人は、床だけとなった本堂にノコギリを入れていた。札が張り付いた場を持ち運べるよう、その一角だけを切り離そうというのだ。
だが、崖直前の岩に食い込み、傾いた上、たるんでいるので、ノコギリの滑りが悪く、なかなかどうして刃が進まない。そこへきて力任せにやるものだから、歯は本来の仕事をせず、踊るばかりでどうしようもない。突っかかってクワンクワンとしなるのに腹が立って、己の腕が原因であろうとも清平は、ノコギリにあたる。その柄を薙ぐように蹴った。
ノコギリはよっぽど強く板に食い込んでいるのだろう、起き上がりこぼしを思わす動きを見せた。顔面を赤くした清平であったが、他の者らはというと、笑いもせずに冷ややかな目線を送る。
明け方、薄暗い内から目覚めた乾は、再開の順番をたえからと断じた。池田陽三郎を例にとって、安吾に罰がついたと皆に説明し、たえは遮られたのだから救済されないといけない、こんなことも分からないなんて気が動転していた、と乾は皆に謝った。それに対して当てこすりを言う者はだれもいなかった。当然だろう。昨日、一昨日の出来事で混乱していない方のがよっぽどおかしいのだ。逆に、動転した、とあの乾に言ってもらって皆はほっとするぐらいだった。
それから朝飯を食おうということになって、連れ立ってたえの屋敷に向けて斜面を下っていった。屋敷に着くと早速たえはたすき掛けをした。安吾を手先に米、食材を運ぶとかまどを起こし、米を炊く。続いて鍋に野菜やゴボウを放り込み、囲炉裏にかける。二人のてんやわんやの働きで、やがては鍋に湯気が立ち、お結びが大盆にてんこ盛りで運ばれてきた。
皆、待ちに待ったのか、どうぞと声がかかると先を争って貪り食い、瞬く間に平らげて、それで心も落ち着いたのか、もう関心は今後の手立てである。
『牛鬼』は恐るに足らぬ。なぜなら『遊び』を夜までかけるつもりはない。『刀鬼』はというと、ある意味やっかいだ。太刀を与えれば済むには済むが、その後の化物は太刀なしで戦うことを余儀なくされる。鉄砲という物があるのだろうが、いざ戦闘になるとどうも心もとない、やはり慣れ親しんだ武器が頼りになるというわけだ。
にしても、あの蛇や百足や狐、菅原道真にはどう考えても太刀では通用しない。ならば鉄砲かと言えばどうだろう、ということになる。
で、化物には化物をという結論に達する。つまり、新兵衛ら三人にばんばん札を捲れというのだ。そして、うまい具合に菅原道真が狐を雷で撃ち、蛇や百足を濁流に流してくれればなお結構。『雷神』の札の出方。そこが要点だというのだ。
一方で新兵衛も乾も、『雷神』はいざ知らず、そんなことは初めから考えていた。目新しいわけでもなんでもない。ただ、手際よく札を捲っていくということが皆の共通認識となったのは大きい。慌てず、騒がず、協力する。出てきていない化物がまだ四体も残っているのだ。
とにかくも、あの菅原道真に賭けようじゃないかというのが皆の意見だった。それで昨日みたく、化物もろとも土石流に巻き込まれるのは愚の骨頂。雨や濁流自体はあやかしであろうとも、それらはあくまでも自然の摂理にならっている。ならば対処もできようというもの。
ということになって四人が板張りに札の広がる一角を切り抜いている。そこから棚田を渡った向こう側、ちょうどたえの屋敷の裏手にこんもりとした高台がある。しかも、九尾の業火で舞った灰塵が種火となり焼け野原となっていて木々は失せている。また、濁流の形跡から水の流れはそこを避けていたようだし、見渡しという点から見ても、広さという点からしても、うってつけと思えた。皆の考えは、そこに場所を移して再開しようというのだ。
「どけ! わしがやるわ!」
頭から煙が出ているごとくの望月清平を、五十嵐幾之助が押しのけるとノコギリの柄を握った。見ていられないのだろう、幾之助が加わって五人になったのに対し、ただただ冷たく見守る他の者ら。笑顔でいろ、とまで言ったら語弊があるが、朝の活気というか、やろうという意気込みが今になってほとんどの者にはない。
世界の終り。朝食の時とは打って変わって、時間がたつとその言葉が皆の心をじわじわと浸食していく。乾の説によれば、『遊び』が終われば時間は巻き戻されるというわけではない。十二月六日から別れたこっちの世界は切り捨てられる。恐ろしくないと言ったら嘘になる。それはそうだろう。十二月六日の己と今現在の己とはまったくと言っていいほど、もう他人なのだ。




