第44話 『雷神』
瞬く間に山は鎮火した。偶然にも問題が一つ解決して安心はしたが、乾らはうわばみへの攻撃の手立てを失ってしまっていた。あまりにも強烈な雨で目をまっとうに開けられないのだ。そのうえ、体の穴という穴、それこそ毛穴まで水が飛び込んできているようだ。痛いし、呼吸さえも困難だった。銃なぞ撃てる状況ではない。
襲いくる雨粒の痛みに身をよじり、うわばみを茫然と見上げているとその向こうで稲妻が走るのが見えた。バリバリッと、天に亀裂が入るがごとくその先端が先へ先へと進んだかと思うと宙を行く九尾に当たる。
爆発音と共に、九尾が灰色の煙を上げ、篠突く雨の向こうへ向こうへと落下していく。
固唾を呑んだ。
うわばみはというと、まるで恵の雨だと言っているかのように鼻先を天に向けて舌をちょろちょろっと出し入れしている。つい先程まで山を覆う炎に囲まれていたのだ。のぼせ上がった体を冷やすにはちょうどいい加減だとでも言いたいのであろう。
それが一転、いきなり本堂に頭を突っ込んだ。元気を取り戻したのか一直線に、たえへと向かう。一方で、そうはさせじと待ち構えていたのは新兵衛である。今度は不覚を取らない。空いた天井からうわばみの頭が出るなり飛びつきがてら新兵衛は、その目に白刃を突き立てた。
目をつぶされてもうわばみはさほど驚かない。先ほどの銃弾で免疫が出来たようだ。刺さった太刀とそれにしがみつく新兵衛ごと、勢いを殺さずに進む。足を踏ん張って食い下がる新兵衛だったが、濡れた床で滑るにしても、そもそもがこの巨体である。人ひとりの力ではどうなるものでもない。
もうすでに名ばかりの屋根の下で、ずぶ濡れとなった安吾は迫り来るうわばみにたじろぎはしない。髪から垂れる雫も気にかける様子もなく銃口の先に付いた突起に目線を合わせると、うわばみが大口を開けたそこへ銃弾を叩き込む。
鱗で守られてない上あごの裏から眉間を打ち抜かれたうわばみが、驚かないわけがない。跳ねるように頭を上げたかと思うと梁から垂木、母屋、棟木と突き破り、屋根瓦を木材ごと天高く飛ばした。そして定位置、さっきまで鎌首をもたげていたそこに、戻った。
新兵衛はというと、うわばみが定位置に戻ろうとするや否や、太刀を持ったまま両の足をうわばみにあてがい体重をかけた。ずぼっと太刀が抜けたかと思うと、あとはもう床を打つ強烈な痛みである。喘ぎながら見上げるとうわばみの頭はすでに高々と空に浮いていた。また安吾に助けられてしまった。牛鬼の時もそうだったがたえを守ろうとする安吾の気概は一通りではない。執念さえ感じられる。瓦礫の中から立ち上がった新兵衛はなにが安吾をそうさせているのか知りたくなった。雨に逆らうように薄目で空を見上げる安吾はまだ油断の欠片も見せてはいない。
それが本能的にうわばみにも分かるのだろう。今度は不用意に飛び込んではいかない。残った片目で、破壊された屋根の上からじぃーと安吾を凝視している。
そこへ稲光と雷鳴、そして、頭をぶん殴られたような衝撃。瞬時に、新兵衛、安吾、たえの意識が奪われた。
落雷。
うわばみは黒焦げにくすぶって、棒が倒れるように本堂へのし掛かり、挙句、甍を左右真っ二つに分けたかと思うと、ぬかるんだ地面に水しぶきを上げて下顎を打ち付けた。
うわばみの派手な死に方もさることながら、乾らは空を飛ぶものに瞠目していた。ずっと上空で、公家風の男が小さな雲にあぐらをかいて飛んでいる。
その男は、まるで軍配を振るように笏を使っていた。どう見ても稲妻に指示を与えている様である。乾らは新たな札が引かれたことを察した。この猛烈な雨と稲妻を操ることと狩衣衣装で高烏帽子から、死して雷神になったという菅原道真を連想した。それが乾らの頭上を通り過ぎたかと思うと豪雨を残し、城下の方角へ飛んでいってしまった。
上空を見上げ、唖然と見送った乾らは事の重大さに慌てた。あの化物が城下で大暴れするのである。『牛鬼』は鏡村で縛られている。『九尾』と『うわばみ』は『雷神』に雷に打たれ幸運にも今のところは動けない。健在なはずの『大百足』はというと、あまりにも遠くでここに現れることはまずないだろう。
好機といえばそうだ。菅原道真が城下に到達するまでの間で勝負を決する。乾らは黒焦げのうわばみが覆いかぶさる本堂へ走った。
ところがだ。いきなりの地響きである。皆が一斉に足を止めると聞き耳を立てる。強い雨足に紛れてだれかが言った。
「山崩れ! 土石流!」
果たして木々を巻き込むように山の斜面がズルズル動いている。固唾を呑まない者はいなかった。明らかにこの廃寺に向かって木々は移動していた。




