第43話 お嬢様
桐の箱がいかにもという感じで、中に高価な物が入っていることはうかがい知れる。蓋の中央で結ばれている紐も見たことのない組紐であった。染められた絹糸が多彩に絡まり、端のフサはというと金糸でしつらってあって、それが蝶のように結ばれている。なんともあでやかであったことか。
それでたえは、盗んできたものではないかと思った。安吾に問いただすと川で拾ったという。それにしてもこのような高価な物、落とし主が探さないわけがない。当然たえは、もらえない、と安吾に断った。そして重々言い含め、それを預かると庄屋職の父に手渡した。
ところがである。十二月六日の昼のことだった。父にちょっとしたことで叱られてしまって腹立たしく思い、たえは逆らった。そして運悪く、あの桐の箱に目が止まってしまった。なぜそうなったのだろうか。いま思うと口惜しい。たえの父は、うるさいと言っただけなのだ。それなのに箪笥の上にある桐の箱を手にとってしまっていた。
屋敷を出て、無我夢中に走っていると野良で休む安吾とその父親を見かけた。早速声を掛け、安吾と一緒に廃寺に向かった。あとは安吾が話したとおりである。いや、安吾は嘘をついていた。だが、あれは、たえを想ってのこと。本当は乾の言うとおり、たえが桐の箱を開け、札を二枚捲った。
その二枚のために多くの人が死んだ。いや、たえのわがままのために、と言った方がいいのか。少なくともたえはそう思っている。持ってきた桐の箱を安吾に見せた時、庄屋職に返したほうがいい、と安吾は言った。逆に諭される形となったのがまた、しゃくにさわった。安吾のくせにと内心、口汚く罵ってしまっていた。あれだけいたわってくれた安吾を。牛鬼に村人が殺された時も、境内至るところ死体が転がっている中で父を探す時も、屋敷で隠れていた時も、そして罪をかぶろうと元大監察の乾に嘘をついたのも、全てわたしのためだった。
そもそも弟のように想っている、なんてことを安吾に言うこと自体、卑怯ではなかろうか。世間体をつくろう。ただ単になんでも言うことを聞く安吾を使いっぱしりにしていただけではないのか。わがままなお嬢様と言われるのをことのほか気にしていた。
乾らが二手に分かれて殺し合いを演じようとしていた時も、怖かったから泣いたのではない。自分のせいで、自分のせいで、と繰り返し思っているうちにこみ上げてきて、涙が止まらなくなった、というのが事実である。泣いている、そんな時でないことは分かっていた。ここにはこの惨劇を終わらせるつもりで来た。大人たちの喧嘩も終わり、泣く理由もなくなったはずだった。でも、涙は止まらなかった。
結局わがままなお嬢様なのだ、と自分でも思う。この期に及んでも、札に触れることが出来ない。それどころか、なにがなんだか分からなくなってしまっていた。どれなの、どれなの、だれか教えて、と思うと涙が頬をつたう。やっぱりわたしはわがままなお嬢さん、自分では何もできない。
唐突に、轟音に襲われた。反射的に音の出どころへ向けて振り返る。硬直した。天井から大量の瓦と白いものが落ちてきたかと思うと床直前で白いものだけが滑空した。その姿は滝を思わせ、まるで川のごとく蛇行してこっちに向かってきている。
目の前に安吾が現れた。立ちはだかると、蛇行するそれをぎりぎりまで引きつけ、拳銃を撃っ放す。その腕は確かであり、そして、勘が良かった。安吾は火縄銃を扱ったことが何度もある。父に教わっていた。小作をする傍ら山へ入り、猟をしていた。
安吾の銃弾は見事、うわばみの片目を破壊した。時間を巻き戻すようにうわばみは天井の上へと姿を消す。新兵衛はというと、唖然と見送った。うわばみは乾らが外で牽制を掛けていたはずである。それなのになぜ?
「おねいちゃん! 早く!」と安吾。
はっとしたたえは無我夢中に札を捲った。
雲に乗る公家風な男と『雷神』
いきなり本堂の中は、真っ暗闇となった。太陽を雲がおおったのだろう。うわばみが天井を突き破って漏れ出る光を見つめていたところに突然の暗闇である。新兵衛らは視界を全く失ってしまった。
そこへ閃光が襲う。そして、巨大ななにか、まるで寺院か城が天空で崩れているのかと思わせる轟音。咄嗟に新兵衛は、たえに覆いかぶさり懐に隠した。
雷である。
条件反射で、池田陽三郎が黒焦げになったのが脳裏に浮かぶ。それがなんで襲ってきた?
また稲光、そして、雷鳴が轟く。そこで新兵衛ははっとした。
よくよく考えれば、光と音は同時ではなく時間差がある。少なくとも稲妻は、直接たえを狙ってはこないようだった。ほっとしたのも束の間、桶をひっくり返したような豪雨である。うわばみが天井を穿った大きな穴のところが、例えでもなんでもなく滝となっていた。




