第38話 首領
乾退助側には当然、元大監察の小笠原唯八とその弟謙吉がいるとして、乾の信奉者で樋口の弟子、五番隊隊長田辺豪次郎、そして、二番隊隊長五十嵐幾之助と四番隊隊長望月清平も加わる。さらには、うわばみに親類二人を圧死させられた島村寿太郎。それに小笠原保馬、森田金三郎、上田楠次の三人も加わり、合計九人。乾自身を合わせると十人だった。
大石弥太郎側はというと、河野万寿弥、森助太郎、そして、竜馬と親戚関係にある河原塚茂太郎の合計四人。
その一方で、太刀を抜いたがそのどちらにもつかない者もいた。三番隊隊長の池知退蔵に、小畑孫次郎や安岡覚之助。そして、『刀鬼』と新兵衛が戦った折に幾之助らと共に乾邸に駆け込んだ阿部多司馬もそれに加わり、合わせて四人だった。
「退蔵! 退蔵!」
乾側の十名から一時も目を離さずに大石弥太郎は、こっちにつけと中立の池知退蔵ら四人に催促している。仮にこの四人が弥太郎側に加わるとすれば、十対八で、数の上ではほぼ対等になる。
池知退蔵の動きいかんでは殺し合いに発展する。新兵衛は固唾を呑んだ。そもそも一事が万事、このような調子なのだ。この中でだれが一番偉いのか、よく分からない。皆がみんな、偉いのだ。土佐では身分制度が細かく取り決めてあるが、腹を切ることより己の意地を通す方を選ぶのだから結局、手のつけようがない。龍馬がよく、「腹を切ったら痛いぜよ」と諌めて言ったそうだが、新兵衛もそう思う。連中は痛くないのだろうか、痛くないわけがない。だったらもし、このわしが龍馬のようにそう言ったとして、どうなるだろうか。馬鹿にされるだろうし、かえって連中に油を注ぎかねない。龍馬だからそれが似合うだろうし、皆も納得出来た。
一方で、たえがしくしく泣き始めた。両手で顔を覆っているその頭上で、幾つもの白刃がいきり立っている。耐え難いに違いない。そんなことをしている場合ではないのだ。といっても、新兵衛には連中を止めることが出来ない。頼みの乾はというと、司令という立場でありながらことの成り行きを楽しんでいるかのようである。止める気配もないし、第三者的にみなを見回している。そして、その目は乾を守ろうとしている者にさえ向けられていた。
そんな乾の姿に、新兵衛は唖然とした。乾はここにいる者全員を使って倒幕しようとしていたのではないか。だが結局は、いがみ合うんだ。一瞬でも皆を頼りに思った己が馬鹿だった。
「退蔵! 退蔵!」
また、大石弥太郎が中立の者たちを急かす。
「だまれ!」
執拗に催促され、池知退蔵がついに切れた。「あんた、なにをやっているのか分かっているんだろうな。それによっては許さん」
各地の下士代表が寄り合い、乾を首領に、と決めた。池知退蔵は、それを言っていた。
「そんなこと、わかっちょるわ! 乾を切って、わしの腹を切ったらぁ!」
やはり、それが大石弥太郎の答えだった。
「大石! わしがみすみす腹を切らせると思ってか!」
弥太郎の身勝手さに池知退蔵は腹を立て、乾の側に移った。切腹なんて許さない、わしがぶった斬ってやろうというのだ。結果的にこれで乾側は十一人となる。だが、弥太郎は諦めない。
「多司馬! 孫次郎! 安岡!」
池知退蔵が乾側に移ってもなお、いまだ中立のままの三人に弥太郎が声を掛ける。それで、今度は安岡覚之助が切れた。
「われはそれで済むわな。でもな、孫次郎さんを見てみろ!」
安岡覚之助同様、中立を保っていた小畑孫次郎は、動揺を隠せない。牢に入れられ、出てきたのはこの九月だ。家を空けていたその間、家族は島村家にも借財をし、川原塚家にもした。乾側にも恩義があるし、弥太郎側にもそういうことになる。小畑孫次郎は、どっちにも付けなかったのだ。
安岡覚之助が、弥太郎側四人にそれぞれ視線を移し、続けた。
「それとなぁ、助太郎さん。あんたは慎太郎とどんな約束をした! 慎太郎が浮かばれんぞ」
森助太郎は、討幕のための陸援隊を組織した中岡慎太郎と京で会っていた。その時、島村寿太郎や池知退蔵、上田楠次もその場にいた。乾と気脈を通じて土佐を武力倒幕に導こうと皆で申し合わせたはずだった。それなのに、森助太郎だけが乾に付かず弥太郎側にいた。
まだ、安岡は収まらない。
「万寿弥。こんなところで仲間割れしててもいいのか? 龍馬が泣くぞ」
乾らと対立する側にいた河野万寿弥は、古くから弥太郎に可愛がられていた。そもそも、土佐勤皇党を立ち上げようと武市半平太を誘ったのは弥太郎と万寿弥の二人だった。実質、土佐勤皇党を始めた二人だったが、それを抜きにしても万寿弥は、龍馬とは仲が良かった。龍馬が脱藩するに至り、万寿弥は土佐郡の外れまで竜馬を見送っている。
安岡はまだ止めない。弥太郎側に付いた、竜馬と親戚関係にある河原塚茂太郎に向かって言う。
「茂太郎さん、死ぬなら国事に奔走してじゃろ? じゃないと龍馬が浮かばれんぞ、違うか? あんたもじゃ、大石さん。こんなことして武市先生がなんというか。あんたが始めた勤皇党なんじゃろ。最後まで責任を取ってくれ」
中立を貫く安岡覚之助は、乾と対立する河野万寿弥、森助太郎、河原塚茂太郎、そして、大石弥太郎のそれぞれに、そう呼びかけた。




