第36話 いじめられっ子
『九尾』の札のみが表を向いていた。
新兵衛やたえや安吾を除き、初めは二十八人いた。が、しかし、残っているのは十八人。彼らの顔触れを見れば、減った数への落胆以上に、やはりと新兵衛に思わせた。土佐各郡の指導者的立場にある者や土佐勤皇党弾圧の折、牢に入れられても自白せず生き残った兵たちである。このような苦境になればきっと並はずれた結束力と底力を発揮するのだろう。果たしてさっきはだれもが札を物珍しく見ていたのだが、いまは札を見る目が違う。何としてでも終わらせるという覇気が、そのまなざしからうかがい知れた。乾がこの者らに兵隊を持たせ徳川勢を撃破しようとしているのは納得できた。
やれる。が、そのまえに、と新兵衛は乾に目配せをした。
「わかってるよ。小松君」
乾は池田陽三郎が雷に撃たれたことを皆に話して聞かせた。顔を見合わせたり、驚きの声を飲み込んだりと反応は様々だったが、なにしろ黒焦げの陽三郎が転がっているのだ。ピンと緊張感が張り詰める。
その空気の中で、新兵衛は札の場に手を伸ばした。ごくりと固唾を飲む音が、新兵衛を取り囲んだ十八人の中からいくつも聞こえる。
見た目、どの札を捲っていいのか、新兵衛は正直分からなかった。背中から、皆の期待する視線をひしひしと感じる。それはそうだ。二枚合わせれば化物は消える。とはいっても、新兵衛はくじを引くとか、『こいこい』とか、そんな類のものが苦手というか、勝負運を持っていないと思っている。内心で、そのわしに求められても、と言うのだが、開き直ることも出来ず気持ちを萎えさせる。勢いというか、気合というか、そういうものが新兵衛には足りない。
いつも押し切られるだけ押し切られ、あとでしょげる。それでは勝負事なぞ勝てるわけがなく、少々乱暴でも相手のことを思わず我を通す気概がなければならない。だが、新兵衛はそれが嫌いだった。性分なのだ。いつものように、ついつい相手のことを考えてしまう。場の札より皆の目の方が気になり始めていた。
だめだ、これでは、と思い直す。そんな性根ではいい札を引けるなんてこと、望み薄である。安吾とたえの力になるためにこの場に来たはず。集中しなければ、と札の上で手のひらを泳がしてみる。その様子に、なにをうじうじやっているのかと河原塚茂太郎がしびれを切らした。四番隊清平の配下だ。
「早う、やらんか!」
新兵衛の手が止まる。そして、その口をぐっと結んでる表情から清平は、新兵衛が拗ねている、と取った。いい年こいてと思いつつ言う。
「そう急かすな、茂太郎。新兵衛がどういうやつかはお前が一番知っておろうが」
河原塚茂太郎は、姉が龍馬の兄に嫁いでいた。だから、幼き頃から龍馬も知っていたし、新兵衛もそうだ。その龍馬はというと、みるみるうちに男をあげ、しかも、半平太の同年代の茂太郎よりも早い席次で連判状に名を連ねた。それだけでない。実際に土佐のため武器を仕入れてくるという大仕事をやってのけた。因みに、大政奉還や船中八策などの発案が龍馬によってなされたことはまだ知られていない。
ところが、新兵衛はというと、まったく振るわない。いつしかああいう奴もいたなと記憶の隅に留めるだけの過去の人となり下がっていた。それがだ、むやみやたらに強い。妬みではない。だが、腹が立つ。いつも遊んでやった、いや、肩を持ってやった龍馬が殺されたというのに一体こいつはなにをしていたのか。河原塚茂太郎が言った。
「だからだ。なんでこいつはわしらの前ではこうなんだ。昨日や一昨日は違ったじゃないか」
「知るか!」と吐き捨てる清平。
「おじさんは強いのにいじめられっこなの?」
唐突に、安吾が言った。それで空気が変わった。新兵衛はなんと答えるのであろう。皆が同じ気持ちで新兵衛の言葉を待った。さっきと違った緊張感が札の場を中心に広がる。
「強いかどうかはしらんが、そうみたいだ」
目を伏したまま新兵衛がそう言った。それについてだれもなにも言わなかった。取り繕う気もないし、いまはそれどころではない。ただ、気付いていたんだ、と皆は思った。弁解するとしたら、それはずっと昔のこと、子供の頃で致し方なかった。
「気にしなくていいよ。わしも一緒だから」
そう言った安吾の顔を、新兵衛は見た。親が地下浪人。光のないその笑顔に、さみしさを読み取れない新兵衛ではない。己の母や妻のゆきが同じ地下浪人の出だけに、そのみじめさは十分過ぎるほど分かっていた。
「嫌な思いをさせて悪かった」
地下浪人は武士からも仲間とは思われてないし、農民からもそうだ。それは安吾のせいではない。そのうえ安吾の家は土地がなく小作まがいのことをしていたので生活は最悪で、自尊心もずたずたであった。そんな家庭の事情はわからないにしても新兵衛は、安吾の気持ちが沈んでいくのに引け目を感じた。安吾がいる時は精一杯、土佐者らしく振舞おうと思う。ぐっと場の札を睨むとこれだという一枚に目を付け、かばっと捲る。
円形に並べられた三十個の満ち欠けした月と『月読』




