第31話 早指し
「いや、いい。行く必要はない」
化物があと六体も残っていると考えるから重圧に押しつぶされる。目の前にある札の数はたった十九枚なのだ。ちゃちゃっとやったらそれこそ直ぐに終わるのだ。ならば化物の出番はない。陽三郎の騒ぎで目先が変わった新兵衛はそう思った。
「乾さん、少し世間話をしたいんだが、いいか」
珍しく頓狂なことを言う新兵衛に、なにかこの『遊び』について言いたいのだと乾は察した。決まりに反したと裁定されないように、かといってだれがどうやってその裁定を行うかは定かではないのだが、とにかく安全を期したいのだろう、新兵衛は暗にほのめかすつもりなのだ。乾は、どかっと腰を落ち着けた。
「いいねぇ、で、君の嫁さんの話かい? それとも君自身のかい?」
新兵衛はちょっと吹き出した。
「いやいや、親父の話だが、いいか」
乾は手を打った。「親父の話なら僕はたぶん君に負けないけど、」
乾も変人で通っていたが、その父親も変わっているので有名だった。幕末を予期していたかのように兵法書を読みあさる一方で、馬廻の身分であるにもかかわらず先代まで家老だった林家に、あんたの娘を後妻にくれと頼み込み、いや、脅し、奇跡的にそれが成るとその初夜に、その娘に向けて刀を突きつけたりした。
「いいねぇ。さ、話してくれたまえ」
新兵衛が言った。
「乾さんの親父様の話も面白そうだが、わしの親父も面白い。唯一の趣味が将棋じゃ。四六時中、本を片手に勉強しとったが、なぜか早指しは不得手じゃった。わしは五回に一回は勝てた。根がせっかちなんじゃ。それに加えて負けず嫌いなもんで、いつのまにか王を取るより早さの勝負になってしまう」
乾は大声で笑った。「早指しか!」 そして、安吾とたえを凝視すると言った。「西森君、弘瀬君。将棋で小松君の親父さんに勝つなら早指しに限る」
なんにしろ、遊びのことである。ならば子供はみな、その専門家。新兵衛の言わんとすることが分かったようだ。うなずいた二人の目が輝いていた。
「さ、やろう!」
そう言うと新兵衛は、場に手を伸ばす。が、またそこへ横槍が入った。
「見るだけだからかまわんだろうが」
陽三郎が新兵衛の横にどかっと腰を落とす。その後ろから、陽三郎に席を立たせようと田辺豪次郎が掴みかかる。が、陽三郎は気に入らない。その手を払い除け、やめろとわめく。
「田辺君、もういいよ」
乾はそう言うと、横に置いておいた太刀を手に取り、その鐺を陽三郎の鼻先に突きつけた。
「本当に見るだけだぞ。もし邪魔するようなことがあれば二人の兄の仇は取れないと思え」
この隊の除隊はおろか、討幕の軍に入れないということなのだ。脅されて陽三郎は、かっときたのであろう、わかったと口では言っているものの、目の前にある鐺をはたいて払った。
嫌な雰囲気となった。たえは伏し目がちで黙っているが、安吾の方はというと、怒りをあらわにしている。ぎろりと陽三郎をにらみつけていた。
こういう輩はほっぽっておくのが一番。「始めるぞ」
二人の顔色を確認しつつ新兵衛は手を伸ばす。そして、その手の甲に二人の視線が集まるのを待って新兵衛は、「行くぞ」と二人に声を掛け、札を捲る。
九本の尾を持つ金色の狐と『九尾』
息をのんだ。
次々行くはずだったがそれを目の当たりにして新兵衛は固まってしまった。間違いなく、絵の中の『九尾』は真っ赤な炎を吐いている。そのうえ、空を飛んでいるのだ。いままでの化物とは明らかに違う。こんなのとどう戦えばいい。




