第30話 二十一枚
乾を先頭に五番隊が続く。それに遅れまいと新兵衛は、安吾とたえをその肩から強く抱き寄せ、付いて行く。堂々たる歩きぶりで乾はうわばみの正面を通り過ぎた。田辺豪次郎も臆するところがない。
だれが見ても、うわばみは満たされている。だが、そんな曖昧なことで危険を冒していいのだろうか。もし動き出したなら、と新兵衛は考えてしまう。何の意味もなく悪戯気分でということもあり得る。なにかの拍子、出会い頭っていうこともあり得る。五番隊がうわばみの鼻づらを順に抜けていき、新兵衛ら三人の番となった。
まるで大きな岩である。そこに人の頭ほどの目玉が横切る人の動きに合わせてギョロギョロと動く。二つに別れた舌先の、その一本一本は人の腕ほどあり、それがチョロチョロと一人一人の匂いを確かめるように空気をまさぐる。どういうつもりなのか。後で食ってやるからな、とでも言いたいのか。新兵衛は顔を覚えられたようで気味が悪かった。
そのうわばみの目がピタッと止まった。全身真っ白い鱗に、際立つ黒目が怪しく光る。それがたえに食い入っている。反射的に、たえは新兵衛にしがみついた。だが、それからが動けない。足がすくんでしまったのだ。新兵衛は抱き上げ、安吾の手を引いて本堂まで走った。
既に唯八らは、うわばみの後部に陣取っていた。ところがその中から、昨夜、兄を殺された陽三郎が飛び出す。隊長の清平の制止を振り切り本堂に向かった。清平の声は乾らにも届いていた。豪次郎が、しょうがないやつだと本堂に入る一歩手前できびすを返す。
引き返した豪次郎に構わず、乾は本堂に入った。それに新兵衛らも続く。床の、板目の筋をずーっと追っていくとぼやーっと暗い向こう、仏像の影の前にそれらしきものがあった。そこへ乾は一直線に向かう。
「なるほど、西森君の言ったとおりだ。ん? 待てよ」
床で無造作に、いくつもの札が広がっていた。唐草模様とか安吾は言っていたが、新兵衛の目からいえばそれは間違いなく図案化した雲であった。一方で、ひーふーみーと、乾はそれらを一個一個指差しながら数えている。
「おかしいなと思ったら、やはり十九だ。これじゃぁ最後に一つ余る」
新兵衛と安吾とたえは互いに互いの顔を見合わせた。余るということが何を意味するのか。当然、だれも答えられない。
乾が言った。
「それで桐の箱に二枚か」
広がった場の横にぽつんとある桐の箱は、札の大きさに寸分の狂いもない。覗けば底には雲の模様がある。何の札か? 針でもなければその札は取り出せないだろうが、それには及ばない。中にあるのは二枚で、『刀鬼』の札に間違いない。
これまで化物は四体出た。その内、一体が桐の箱に収まり、三体が発現したままということになる。つまりは、あと六体の化物が伏せられた札の下に隠されている。しかも、どういうわけか最後に一枚が残る。新兵衛のゴクリとやった喉の音が本堂に響く。
安吾やたえと弘瀬村に来る途中、不憫だと思った。子供が背負うには重すぎる荷になっていると二人を気遣ったものだ。だが、札の場を目の前にして、大人ぶって冷静にいられるか。別に大人が立派なわけがない。大人だって怖いものは怖いんだ。
乾さんが、たえ、安吾、わしで一巡と決めた。子供たちの力になれたなら、と思って後先何も考えなかったが、わしに何ができようか。わしは竜馬みたいなことは出来ん。このわしは、なにも成し遂げたことがないのだぞ。
「やるしかないのだよ、小松君」
乾のその言葉に、おずおずと新兵衛は、札の場の前であぐらをかいた。そうだ、やらなければならない、それしかないんじゃ、と心を決め、大きく息を吸う。
傍らに安吾がついた。そして何を思ったか、耳元に顔を近づけてくる。や否や、鞘ごと抜いた太刀の鐺が、二人のあいだに入れられる。乾の太刀だった。
「小松君にはなにも教えてはならん。もちろん、弘瀬君にもだ」
乾の言う通り、安吾はどの札を捲ったのか、それがなんの札なのかを、新兵衛に教えようとしていた。乾は、ふたりの間から鐺を抜いた。
「考えてもごらん。ちょっと度が過ぎるが、これは基本的に君たちが勝ち負けを競う『遊び』なんだ。ズルすれば罰はあるし、その罰も並大抵じゃない。たぶん、生死に係わるんじゃないかな」
安吾の顔がみるみる青くなっていく。見かねた新兵衛は、大丈夫、心配ないとその頭をごしごしっと撫で、笑顔を投げかける。しかし、それは安吾を勇気付けると言うよりは、新兵衛の照れ隠しだった。安吾は新兵衛が戸惑っているのを見かねて、新兵衛の手助けをしようとした。安吾の頭を撫でたのは、悪いことをしたという、きまりの悪さと謝罪が込められていたのだ。
わしが弱気なそぶりを見せるのはまずい。新兵衛は背筋を正し、目の前の札に視線を巡らせた。
例えば『大百足』を引いたとしよう。だが、もうひとつの『大百足』の場所をわしは知らない。そのありかは安吾の頭の中にあるだけなんだ。願うのは、ただ強力な化物を出さないことのみ。そればっかりを念じ、新兵衛はこれだという札を見つけた。
その札に手を伸ばす。南無八幡大菩薩、なにとぞ、なにとぞ。
ところが、外の騒ぎで気がそがれてしまう。陽三郎が、札を捲らせよと息巻いていて、頭にきた豪次郎が怒鳴っているのだ。念じれば念じるほどそれが耳に入ってきて、新兵衛はいらいらしてくる。止めた手を膝の上に置く。静まるのを待つつもりなのだ。乾はというと、悠長に構えてはいられないという風だった。陽三郎を黙らしてくるとその場から離れようとした。




