第3話 一領具足
過去、土佐には一領具足なる兵制があった。農耕に従事している者が領主の命で直ちに集結する。前領主の長宗我部はそれを良く使い、四国を統一した。
その一領具足に対し言うにことかいて、お前らは農民だ、政治には口を挟むな、黙って年貢を収めていろと、言ったらどうだろう。彼らは怒るに違いないし、実際、反乱を企てた。それだけではない。それに伴って、『走り者』と言われた故郷を出奔する行為も横行した。そして、それらを解決するため大胆な手を打ったのは山内家二代忠義の奉行野中兼山である。一領具足を認めようというのだ。ただし、やることはやってもらおうということに、当然なる。
そうして新田の開発など、藩に功績を認められた彼らは表向き士分となった。といっても、幕府への体裁はやはり兵農分離の実施だから庄屋は農民の姿ではなく外見、侍となる。表向きとはそういうことで、実際にはごときな者たちである。ごときだから士格ではない。上士という言葉に対していうならば彼らは下士と区別され、その上士はというと、上士でない者を下士とは言わず軽格と呼ぶ。何かの咎で上士が取り調べられる場合、拷問はない一方で、下士にはそれがあり、熾烈を極めた。取り調べの最中に死んだって、別にどうってことはなかったのだ。だから、結審される前に死ぬ者が出る。土佐勤皇党弾圧の際、半平太といっしょに投獄されたその縁者、島村衛吉なぞは拷問の末、吐血して絶命している。
「そういえば樋口先生が城下に御越しだそうな」
思い出したように言う清平に対し、幾之助が返す。「武市先生がお隠れになって以来、おぬしはなにかというと樋口先生じゃのう」
私塾に弟子一千人を要する樋口真吉は下士である。諸国をめぐりながら学問を広め、武術を研磨し、砲術を学んだ。以前から開国倒幕の考えを持ち、それは長崎で攘夷の不可能を悟ったためだという。それでも攘夷である半平太には好意的で土佐勤皇党に己の弟子を何人も参加させている。その樋口はというと、疾うに五十を越え、いつ逝ってもおかしくない年齢に差し掛かっていた。
清平は逆上し、語気を強める。
「武市先生はいまも変わらずご尊敬申し上げている。転んだ訳ではない!」
清平がカッとするのはいつものことで、幾之助はというと、慣れたものである。
「ま、ま、冗談じゃ。じゃが、わしもおまえと同じよ。樋口先生と弥太郎じゃぁ人間の格というものが違うからの」
この弥太郎。性は大石といい、土佐勤皇党の血判に際しては半平太のすぐ後に続いた人物である。今はあるような、ないような、勤皇党に成り下がっていたが、それでもその席次が世間ではものを言う。時勢は風雲吹き荒れる気配。否でも応でも弥太郎の名が風に乗って耳に入ってくるというもの。
落ち着いたのか、清平が言った。
「あやつはあやつ。それより話を戻そうじゃないか」
「ああ。確か、樋口先生は乾さんに会いに来たんじゃろ」
「わしらも乾さんとこへ顔を出してみるか」
乾退助は上士で、勤王に尽忠することを上士仲間と誓い合っていた。ちょうど半平太の土佐勤皇党結成とほぼ時を同じくする。
幾之助が言った。
「どの面さげて行くんじゃ。まさかおまえ、倒幕の旗頭の、あの御二方に捕物なんて真似をさせよってんじゃないだろうな」