第28話 新月
「嫌なものを見ちまった。それが実感さ」
屋敷の一室で、乾は新兵衛に言った。聞かされている新兵衛もひどくこたえた。陽三郎は仕方ないとして、そんなことを安吾とたえにさせてよかったのだろうか。
「それで一つ相談だが、」と乾が言う。
隊の空気も重たくなっていた。これから先、安吾とたえに極力、刃傷沙汰を見せたくない。それがみなの本音だった。安吾の話からまだ、『うわばみ』と『大百足』がいるのは周知されていた。そのどちらかと、あるいは両方ともと、弘瀬村に向かう道中で出くわすかもしれない。それで隊は安吾とたえに先立ち出発したい、その後から二人を連れてきてくれ、と乾は言うのだ。
「なにかあればここの本宮神社に戻るといい」
昨夜、ことが落ち着くと乾は鏡、今井両村の郷士三人に監察府へ向けて出立させた。大砲一門と援軍を要請するためだ。そして、その収容場所を鏡村にある本宮神社とした。ほかの郷士は鏡村の篝火を絶やさず、軍が来れば迎え入れるよう命じてある。
「あっと、篝火といえば礼を言うのを忘れていた。助かったよ、小松君。あれがなければ全滅していたかもしれない」
そう言って頭を下げた乾は「では、行くとするか」と席を立つ。戸に手をかけたが、なぜかそこでうつむく。まだ何か言い足りないのか。いや、その雰囲気は自問自答しているようにも見える。その乾が意を決したか、話を切り出す。
「僕も確信が持てないんだが。それに、あまり君に責任を押し付けるのも厳正さを欠くしね、だから迷ったんだが、」
なにを言い出すのだろうか。新兵衛は食い入るように乾を見る。
「ところで小松君。昨夜、なにか気がつかなかったか?」
気づくもなにも、「それどころでは」
「暗闇だったろ、空は」
たしかに、そうかもしれない。
「新月だったんだよ。昨日」
「え? 昨日あたりは弓張月あたりじゃぁ」
「それが昨日だけじゃない。おとといもだよ。もしかしてさきおととい、六日の夜もそうだったのかもしれない。僕らは無意識に、月は雲で覆われていると思っていたのかもな」
六日といえばたえが初めて札を捲った日だ。乾は続けた。
「思い過ごしかもしれないが、宇内そのものが呪われている、あるいは、宇内の理が別のそれにすり替わったか。いや、そんなことがあるわけない」
西洋列強の到来で世間が広がった当時、この世を現すのに『天下』では用が足りなくなり、それをどうするかと選ばれた言葉が『宇内』であった。
「あるわけないが、ここ二三日、君は感じなかったかね、なにかがおかしいと」
新兵衛もそれは感じていた。小さくうなずく。
乾が続けた。「ただ言えるのは、絶対に終わらせなければならないっていうことだ。そうは思わないか、小松君」
感じてはいたが正直、新兵衛には世界のことなんてよく分からなかった。確かに『刀鬼』や『牛鬼』を考えると異常としか思えない。これからまみえる『うわばみ』や『大百足』なぞはもっと目も当てられない。それはそうとしてだ、あの巨大な二体の戦いの最中、安吾とたえを本堂に入れられるのか。どちらかというと新兵衛は、そっちの方のが気にかかった。




