第27話 天誅組の変
「伏せろ!」
乾らの声に、新兵衛は川に飛び込むように前へ飛んだ。と、同時に銃声が鳴る。乾らが一斉射撃したのだ。牛鬼が足を止め、哮り狂う。
射程があるだけに命を取れないまでも、牛鬼の目先を変えさせることに乾らは成功した。新兵衛はというと、その隙にごろごろと地面を横に転がって、家の影に身を隠した。
獲物より敵である。離れる新兵衛を横目で見つつも牛鬼は、それを捨て置く。目の前でがちゃがちゃやられたら、ゆっくり食事もとれやしない。とりあえず新兵衛は我慢するとして、乾らに狙いを定めると猛突進を開始する。
「引きつけろ! 頭を狙え!」
小笠原唯八の声である。牛鬼は砂煙を上げて向かってくる。
「まだだ!」
もう目と鼻の先である。
「討て!」
一斉に発射した。十九の銃口が火を吹く。地面に筋を作って、牛鬼は急停止した。だれかの弾がその目に当たったのだ。視界を失ってしまい一旦は逃れようとしたところ、そこにさらなる銃弾が加えられる。無数の弾に顔面を撃ち抜かれ、それであえなく命が奪われてしまう。
「縛りあげろ!」
刀鬼のこともあり、この醜悪な化物が間違いなく、直ちに息を吹き返してくるのをみな、察していた。乾ら指揮官を除いて発砲した藩兵十九人が鎖を手に取り、牛鬼に駆け寄ると唯八の号令よろしく、六本ある足をその背中側に持ち上げて一つにまとめる。
用意した鎖は刀鬼を縛り上げるためのものであった。長さが足りないならばそれなりの縛り方がある。円弧がかった牛鬼の爪先は通常の態勢では内側へと向く。それがこの場合、天を指しているのだから当然、外に向かって円弧がかる。偶然にも、それは縛るには好都合だった。背面で六本まとめた爪をぐるぐると鎖で巻き、幾つもの錠で固定する。これで牛鬼は目覚めても身動き一つ取れないだろう。
縛らり上げれた牛鬼の姿は、ギュッと絞られた巾着袋を思わせた。新兵衛はそれを、家と家の狭い路地から眺めていた。ほっと一息ついて抜け殻同然となる。壁に体を預けて大股に足を放り出し、軒と軒でさえぎられた細長い、真っ暗な空を仰ぐ。
一方で、牛鬼の周りでは四方に散っていた藩兵がちらほら集まりだす。おのおの顔を合わす度に、互いに胸をなで下ろすのだが、大切な人を殺された者もやはりいて、そこで騒ぎが起こる。そのためか、いや、単にその存在を忘れられたのだろう。それ以降、随分と長い時間、新兵衛は暗い路地に独り放置されることとなる。
十二月九日
朝になって新兵衛は、牛鬼を捕まえた後の顛末を乾に聞かされた。
四番隊望月清平の下に池田忠三郎と池田陽三郎というものがいる。最初に牛鬼と接触したのがその四番隊で、忠三郎の方が牛鬼に食われた。その苗字が示す通り両名は兄弟で、その兄を失った陽三郎の怒りはいかばかりか。
四年ほどまえに尊皇攘夷派の浪人らが大和国で決起する事件があった。世に言う大和義挙、あるいは大和の乱。浪人らが自らを天誅組と称したことから天誅組の変とも言った。その際、陽三郎はもう一人の兄も失っていた。歳も十七で、大人として認められたとしてもまだ子供である。それがひとり残されたとなれば寂しさはひとしお身にしみよう。それだけに、牛鬼に向けられた怒りは尋常ではない。
咆える牛鬼を前にして、陽三郎は太刀を抜いた。そして、出鱈目に振り回す。動けないことをいいことに、その白刃のどれもが牛鬼の顔にかろうじて命中するのだが、刃が皮膚に通らず、当の牛鬼はまったくこたえない。牙を打ち鳴らし、ツバキをまき散らしながら応戦してくる。その様子に、陽三郎はさらに癇癪を起こし、もっと出鱈目に太刀を振るう。
見た目、あまりにいいものではない。十七の子供が目を真っ赤にして、まるで気がふれたようだ。が、しかし、陽三郎を思うと隊長の清平は止める気にはなれない。池田家は清平にとっても親戚筋にあたり、二人を、いや、大和で死んだ佐之助を含め三人をよく知っていた。気が済むまでやらすしかないというのである。
それを眺めている乾らはというと、清平が止めないのだから黙っているほかにどうしようもない。息切れした陽三郎は太刀を杖にするもまた、それを再開する。一体いつまで続けるのやら。その場の空気がそういう風になり始めていた。死んだのは忠三郎だけではない。今夜の騒動で今井村の郷士も鏡村の郷士も死んでいるのだ。下士の世間は狭い。彼らの中にも姻戚関係を結んでいた者らがいたかもしれないし、血縁だってそう。だとしたらぐっとこらえて涙を飲む者だっているであろうし、あるいはその中から、陽三郎の次はわしの番じゃと言い出す者も出るかもしれない。
「止めさせてくれ」
そんなことは耐えられないと、乾が清平にそう言った。それに答えて清平は陽三郎を羽交い締めにする。それでも陽三郎はギャンギャン騒ぎ、暴れ狂う。振り回される太刀が危ないので何人かが加勢する。牛鬼はというと、グルルと喉を鳴らしていた。
と、そこに安吾とたえが姿を見せる。騒いでいることなんてまったく気にかける様子もなく、二人は牛鬼の正面に立った。そして、腰から拳銃を抜くと安吾は、それをたえに手渡した。おもむろに、たえは銃口を牛鬼の眉間に向けた。そして、引き金を引く。




