第22話 偽証
安吾は固まっていた。
あっと思った。同じ絵を引けば化物は消える。アタリがあるかどうかは別として、それは間違いない。なんせその目で見た。
あの化物を消すことができる! あの憎らしい化物を!
暗闇に目を光らせる何物かを思い出していた。『牛鬼』と札には書いてあった。出くわした時、まっくらでその姿は見えなかったが、札にはその姿がちゃんと描かれていた。
ぱっと見、蜘蛛を思わせる。ダンゴを二つ串に刺したような胴。そこに六本、細く長く甲虫を思わせる脚がついていて、恐ろしいことに、どの脚も肘から先は象牙を思わせる爪が伸びていた。そして、牛の頭。草食のはずだが、どの歯も尖った犬歯のようで、上からはともかく、下からも生えている。その顎にやられたらひとたまりもない。だが、最も恐ろしいのはその目だ。人のとまったく同じで、知性や感情を感じずにはいられない。
それを、なんとか引き当てて、退治する。目の前に広がる札をざっと見た。今ならぱっと見で大体数が分かる。二十か、それ前後。
だが、捲るとなれば話は変わる。なんと多く見えることか。三十や四十じゃぁきかない。耐え難い不安と緊張にまた襲われる。喉がひりひりし、口の中はからからだった。うつむいたところで顔を手で覆い、拭う。手が脂汗でべちょべちょだった。
固唾を飲む。
これだと決めたところを勢い良く捲る。
白い蛇に『うわばみ』
外で、砂が擦れる音がした。しだいに大きくなる。向かってきているようであった。それがザザザっと間近で聞こえたかと思うと、豪音と共に本堂の戸が四枚、跳ねとんだ。目の前に巨大な蛇の頭がある。触れるか触れないかのところで、口からはみ出した真っ赤な舌が踊っている。その舌が引っ込んだかと思うと顔が上下に裂けた。天井に届かんばかりの大口。
食われる!
無我夢中に、それこそ手元を見ずに札を捲った。
外で、今度はカサカサっと、まるで笊のうえで豆を転がすような音が聞こえた。途端、うわばみが口を閉じ、振り返る。
本堂にはまだ、戸板が二枚残されていた。うわばみが先ほど四枚飛ばし、辛うじて残っていた二枚だった。うわばみはその巨体に反して俊敏で、振り返る動きでその二枚の内、左側は安吾の方へ、右側は外へと凄まじい勢いで跳ね飛ばしてしまった。
安吾は言った。
「それから二匹が戦い始めた」
なるほど、そういうことだったのか、と新兵衛は思った。巨大な蛇に、大百足の戦い。中切村の惨劇に、弘瀬村が神隠しにあった訳。破戒僧が土佐山に飛んで行ったのもそう。それでわしはというと、知らず知らずのうちに安吾に助けられていた。
乾が言った。
「君は命からがらそこから離れたが、二度と戻れなくなってしまった。だから、その本堂に行きたいと君は言うんだね」
安吾は深くうなずいた。
「こんな時に嘘を言ってはいけないよ、西森君」
驚いた。突然、乾はなにを言い出すのか、と新兵衛は思った。わしの話は聞いてくれたのに安吾のはハナから全否定か、それはないってもんだろ。
「乾さん!」と叫んで、二人の間に割って入ろうとしたところ、樋口に肩を掴まれた。
「乾さんと西森が話をしている」
「されど、」と新兵衛は返したが、樋口は首を横に振る。
乾は言った。
「な。小松君も納得しないではないか。だからこそ、小松君がいるこの場で言いたいのだが、いいかな。西森君、いや、弘瀬君」
安吾がしゃべっている最中もたえは平伏したままで、顔を見せない。新兵衛は、腑に落ちなかった。なぜか話が、安吾からたえに移ってしまっている。一体、この子供らをどうしたいんだ、乾さん。
その乾はというと、まだ子供たちを許さない。
「返事がないってことは嫌なのかい。じゃぁ、君は行かないのだね」
「行きます。行きたいです」と蚊の泣くような声でたえが言った。
ばかな、と新兵衛は思った。
「乾さん! おかしいじゃないか。なんでたえがわしらと一緒に行く! たえは大利村の新宮神社に避難するんじゃなかったのか!」
「ほらね。小松君がそう言ってしまうだろ。こう見えてもね、彼は女性に理解があるんだ」