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第20話 『刀鬼』と『牛鬼』


 ことは、おとついの昼過ぎ、鏡川で桐の箱を拾ったことから始まった。大きさはこれくらい、と安吾は手で示してみせた。縦横六寸三寸、高さは一寸くらいか。ひと目で高価な品が入っていると感じ、たえに声を掛け、連れ立って廃寺の本堂でその蓋を開けた。するとどうだろう、それを待っていたかのように札が、次から次へと箱の中から飛び出していった。


 床に落ちた札はというと、唐草模様なのか、札全体に曲線ばかりが描かれていて、どの札もその絵柄ばかりだった。好奇心にかられ、安吾は一枚を拾ってみたという。


 唐草模様と打って変わって裏には、立派な絵が描かれ、字が書いてあった。弁慶のような僧と『刀鬼』である。それでもう一枚捲ってみた。今度の札は、体が蜘蛛のような形で、頭が牛の怪物、『牛鬼』とある。なにか嫌な予感がした。


 おどろおどろしいのだ。一見して、めでたい絵柄でないことは分かる。書いている単語もむべきものだ。人に仇成すものであることは容易に想像できる。


 それでもそれが人の手によって描かれていたのならばまだいい。洒落か、なにかの悪ふざけなのだろうと都合良く考えられる。


 だが、どう見たってその札はそうではない。筆を刷いた痕跡は見受けられないし、細部も省略せずこと細かく表現してある。


 描いたのではないとしたら。


 いや、よそう。百歩譲ってそれは見立て違いだったとして、それでも、絵の化物がいまにも札から飛び出してきそうだった。安吾もたえも不安が拭い切れない。


 もしかして、とんでもないことをしたのではあるまいか。


 そして、その不安は的中した。ふと、後ろに気配を感じた。固唾を呑んで、恐る恐る振り返る。


 札の絵そのままの、僧が立っていた。


「あっ!」 安吾とたえは抱き合った。


 じーっと高いところから見下ろされていた。やがて僧は、何も言わず去っていった。


 唖然と見送った。何もなかったのはいいが明らかに、あの僧は札から飛び出してきた! 間違いない。そして、札からはその大きさまで想像できなかったが実物はあまりにもデカかった。それにあの薙刀。郷士らが差す刀が爪楊枝つまようじに思えた。まさにあの僧は鬼だった。と、いうことは、『牛鬼』………。


 それを考えた途端、安吾もたえも体の震えが止まらない。逃げなくてはと、立とうとするが、腰が抜けて、もがくばかり。それでも二人は転げるようになんとか本堂を出た。そこでやっと腰に力が入り、そのまま裏手に走り、山の中に身を隠した。


 どれくらいたったのだろうか、自分たちの名前が呼ばれるのに安吾とたえは目を覚ました。抱き合って縮こまっているうちに寝てしまったに違いない。もう、日は暮れていた。


 皆が来てくれた。喜んだたえが返事をしようとした、まさにその時、葉擦れの音が聞こえた。はっとして二人は藪の下に潜る。遠く暗闇の中に、光る目があった。それが向きを変えたのだろう、消えた。


 山には、安吾とたえを呼ぶ声が木霊していた。たえは庄屋職の娘である。村人たちは総出で二人を探していた。それが悲鳴に変わる。安吾とたえはここでは危ないと、大きな木を見つけてその上に登った。そこからは、松明の明かりが山に散らばる、そんな様子が手に取るように分かる。そしてそれが、悲鳴とともに次々と消えていくのも否応なしに目に入った。


 恐ろしかった。身動きすら出来なかった。


 翌朝、安吾もたえも山を下りた。恐怖はあったが村人のことが心配であった。いや、取り残されるのが不安だったのかもしれない。そして、そういう意味でいうなら二人の予感は的中していた。


 廃寺の境内は死体の山であった。身内を探そうにも頭を食い取られ、誰かだれだか分からない。見るも無残。たぶん、山中もそうであったろう。夜、唐突にあのような化物と森で出くわせば取り乱すっていうものじゃない。なされるがまま。そう、餌になるしかないのだ。ただ、境内でいうなら村人たちは戦った。太刀や武器となった農具が四散している。ここで食い止めていたのであろう。


 安吾は、だれか生き残っている者がいるかもしれないと思った。これだけの人が戦ったのだ。いかに人喰う化物とてただでは済まされまい。そんな思いで、村に降りて生き残っている者を探し回ったがそれも徒労に終わる。だれもいないうえ、あの庄屋の土蔵である。死んでいたのはたえの捜索を庄屋に許されたか弱き者たち。乳飲み子、幼子、そして女二人。報せが来てここに避難していたのであろう。


 壁を突き破らんとする音がどんなに恐ろしかったことか。そこに立っていると安吾はその音が聞こえてきそうな気がした。そして、小さくなって震える子供達。顔は食われて無かったが、どの顔も見知っているから、怯えるその顔が目に浮かんできてしまう。


 たえはというと、ほとんど発狂していた。そのたえを、安吾は屋敷の奥に隠すと死体を運び出し、穴に埋めて葬った。


 不謹慎かもしれないが、なにかしていると正気が保てる気がした。が、それも終わってしまう。やるべきなにかを探していると安吾は、もう一度あの廃寺に行ってみようという気になってしまった。


 どうかしていると思ったが、一旦思うといてもたってもいられない。それに、たぶんではあるが、あの暗闇に光る恐ろしい目の化物は、昼間は襲ってこないと思えた。札を捲ってもすぐ出て来なかったことからみて、日光が苦手なのだろう。今はきっと現れはしない。どこか暗い闇の中で、コウモリやフクロウのように陽の光から身を隠しているのではないだろうか。


 果たして、安吾の推察通りであった。昨日、札が捲られると『牛鬼』は弘瀬村の少し下手しもての川淵に姿を現した。日中だったのでそこから出ることなく日が落ちるのを待っていた。『牛鬼』は己に課せられた使命を全うしなければならない。だがその前に『牛鬼』は、あの札を目指し一旦は廃寺に向かうのである。そして、惨劇が起こった。


 ともかくも、安吾はたえを置いて一人、屋敷を出た。


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