第2話 虫の知らせ
というのが、恐怖を押して駆け付けた鏡村庄屋職の一念だったらしい。
さすがに真っ二つはなかろう。そういう想いは幾之助も清平も確かにあった。だが一方で、なにか恐ろしいことが起こりそうだという気持ちもその実、二人にはある。お互いがおたがい、口には出していなかったが昨日から妙な胸騒ぎをおぼえている。話す庄屋を前に、平然を装っていたものの、胸の内では二人がふたりとも戸惑ってしまう。真っ二つかどうかは別として、その破戒僧の出現は凶事の前触れではなかろうかと。
そんな二人の思いなぞ役人はお構いなしである。腹を押さえて大笑いしている。馬鹿に仕切っているのを隠そうとしないその役人を前にして幾之助も清平もじりじりとしていた。それで何を血迷ったか二人がふたりとも武蔵坊弁慶を信じていないのに、真っ二つになった死体をこのあほに見せられたらと思ってしまう。清平の方が役人に聞こえないよう独りごちる。
「こやつはわしが真っ二つにしてくれる」
幾之助が言った。
「そうじゃのう。そりゃぁ良き考えじゃ。じゃが、それは後の楽しみにとっておこう」
正否がころころと変わる、そういう時代であった。もてはやされたと思えば、地獄に落とされる。それに翻弄された二人はもうかれこれ三十路に掛かり老獪さを身に着けていた。監察府を後にすると高知城の北東、外堀に近い廿代町にある幾之助の家に入った。
清平は言った。
「弁慶かなにか知らんが、やはりわしらでその破戒僧を捕まえるほかあるまい」
清平は役人の鼻を明かそうというのだ。もちろん幾之介に異論はない。が、どうにも面白くない。
幾之助が言った。
「徒党を組むんじゃ。結局、届は出さねばならん」
「勝手にやったとなりぁ、弁慶を捕縛したとしても十中八九、やつらが言いがかりをつけてくる」
「いまの情勢はやつらに分がある。やつらはやりたいようにやるじゃろう」
「確かに。やつらはわしらを糞とも思ってない」
「腹が立つのぉ。あん時もそうじゃった」
四年前、投獄された武市半平太をはじめ土佐勤皇党の主だった者らを開放するため、郷士二十三人が立ちあがった。土佐三関の一つ岩佐番所に武装して立て籠ったのだ。だが、藩庁に派遣された兵八百に尽く捕まり、二十三人全て斬首となった。
清平は言った。
「いっそのこと、破戒僧はほおっておくか」
「本気か? 死んだのは郷士じゃぞ」
「だからだ。それで上士が動かないんだろ」
「上士も殺されたらいいんじゃ、と言いたいわけか」
「その実、おまえもそう思っている。庄屋の話からしてちょうどいいことに破戒僧のやつぁ、たぶん、見境がない」
二人は顔を見合わせてニヤッと笑った。幾之助が言った。
「じゃが、小役人のやつぁ、我らの訴えに聞く耳持たなかった」
「聞く耳持たなかったうえにわしらを馬鹿にしたんだ。何があっても全てはあの小役人の、やつの責任だ。わしらはちゃんと報告した。これでぶった斬る言い分が立つ」
「清平、やつの顔をしっかりと頭に叩き込んだじゃろうな」
「ああ。喉ちんこが左に曲がっておった」
藩主山内家の直臣を上士と呼んだ。当然、監察府で幾之助と清平を笑ったのは上士である。その上士は幾之助らを士格だと思っていない。だが現実は、庄屋も郷士と呼ばれる土地持ちも大小刀を差していた。一揆など百姓の反乱をことのほか恐れたこの時代に妙なことではないか。だが、土佐ではそれがまかり通った。