第15話 土蔵
門をくぐるとすぐさま線香の匂いが鼻についた。屋敷はというと、神隠しにあったごとくな村の様子とうって変わって荒れている。障子や戸が散乱し、床に足の踏み場がないうえそれは庭にまで及んでいた。庭池に浮いているものもあるし、植木に寄りかかっているのもある。相当な勢いで飛ばされたことがうかがい知れる。
相当な、といえば、灯篭の各部位がちりちりに転がっていた。その一つ一つの大きさから、立っていたならば軒よりも高い灯篭であったのは間違いない。土台は直径が四尺もある。それがどうだろう、転んでいる。片方から相当な力がかかったに違いない。
その一方で、庭の一画。大きな植木の前だけは、綺麗に片付けられていた。そのなんにもないところに腰ほどの高さにぽっかりと土が盛られてある。新兵衛はそばによって手を合わせた。これは塚なのだ。線香が束ねて燃してあった。
障子やら石を片づけた後に塚を作った。何物かが暴れて死人が出たということか。が、さほどでもない。破戒僧ならあの大薙刀で柱という柱は切られ、この家自体、形を成していなかった。と、すると別の化物の仕業か? 考えなしの暴れっぷりは中切村を彷彿とさせる。
分からなくなってきた。中切村の被害は甚大だ。それに比べたらこの村はどうだろう。あるいは、中切村を襲った何物かをここでは撃退出来たということか。いや、事前に知っていて避難したとも考えられる。そして、運悪く逃げ遅れた者が犠牲となった。
もし、中切村を襲ったような敵をさえぎるとしたら、と新兵衛は考えた。あの少年は生き延びた。たぶん土蔵に籠ったのだろう。
ところが、その土蔵には横から大きな穴が穿たれていた。そこから中に入ってみると白い壁のところどころに血しぶきがかかっている。死体はというと、片付けられたに違いない。となると十中八九、あの塚はここで死んだ者ら。ならば、あの少年は事前に避難できた者らの方の手。戻ってきて犠牲者を葬ったのだろう。あの少年から他の村人の行方を聞き出せるかもしれない。
新兵衛は、そう想像しつつ土蔵から出たところで、少年の姿を見た。濡れ縁に立っている。それがきびすを返し、屋敷の中に入っていった。
「待て! 待ってくれ!」と慌ててあとを追う。
なぜ逃げるのか? 走りながらもそんな疑問が頭を駆け巡っていた。化物と勘違いされているのだろうか。いや、そうとばかりはいえない。どうも誘っているようにも見える。よくよく考えると土蔵から新兵衛が出てくるのを待っていたかのようである。
障子やら襖がなくなっていて、さえぎるところもなにもない中を少年は走っていく。それが立ち止まった。なぜかそこだけ板戸があった。少年はその戸を引き、一歩踏み出すと身を翻して戸を閉めた。もう少しで少年に手が届くところだった新兵衛は、転がるようにその戸にへばり付いた。
「わしは城下の郷士、小松新兵衛ってもんじゃ。藩命によりここに来た。危害は加えん。すまぬがちょっとだけこの戸を開けてもらえぬか」
返事がない。
「ほんのちょっと開けてくれ、なぁに一尺もいらない。なにも食ってないんじゃろ。ここに握り飯がある」
少しだけ戸が開いた。すかさず背中の風呂敷包みと腰の水筒をその間に差し込む。するとそれは一瞬で中に消え、戸はまた閉まった。
逃げ込んだ場所に加え、その怯えきり様。もしかしてこの村で残っているのはこの少年だけではなかろうか。そんな考えが新兵衛の頭を一杯にしていた。と同時に疑問も湧く。もしそうならどうやって生き延びたのだろう。生半可なことではない。それを考えると中切村の惨劇が頭の中で重なってきて胸が苦しくなる。なんとしてでもこの子を生かしたい。命に変えても鏡村まで連れて行く。
とはいうものの、引きずっていく訳にもいかない。何が起こるかわからないところを先に進んでいくのだ。途中で逃げたり、勝手なまねをされたりではもちろん生還は難しい。要は、少年自らの意思で鏡村まで下ってもらわなくてはならないのだ。差し当って、この隠れ家から出る気があるのかないのか、先ずそれからだ。
「スミスアンドウエッソンって、知っているか。メリケンの銃で五連発だ。火縄のように面倒な玉込めはないし、敵が来たらドン、ドン、ドンと五発まで即発射出来るっていう代物だ。日ノ本には数えるくらいしか入ってきていない。ほしいか?」
返事がない。
「それをいま持っている。鏡村まで行くと約束してくれたらあげてもいい。どうか?」