第14話 神隠し
ゆきが今日の朝、別れ際に言った。わたしは死なないと。機嫌を直してくれたかとほっとして笑顔を返した。だが、その言葉をそのままとれない。昨夜もわたしのことは構わずに思いっ切りやってくださいみたいなことを言っていた。そうであろうか。ゆきが言いたかったのは、本当はそういうことではなかったのかもしれない。
「ゆき、すまぬ」
生きて帰れる保証はない。考えていた以上なことが起きてしまっていた。甘かったと言わざるを得ない。
それでも、ここが始まりでも終わりでもないはず。旋風に巻き込まれたあの破戒僧風体の化物が常通寺橋からここに降り立った形跡はないし、ここの惨状は状況から判断するに、別の何かの仕業に違いない。
見極めて報告しなければ、後続の者らが大変なことになる。
そんな新兵衛の心配をよそに、その先の弘瀬村は様子が違った。依然として人がいないものの、荒らされた形跡が見当たらない。どうしたことかと戸惑いつつ、中切村のときのように声をかけずに今度はゆるゆると歩みを送る。
村の中程で家に入ってみる。死体がないのはほっとしたが、人気がないのに人の匂いというか、体温というか、生々しさを感じた。
かまどの脇に水を満たした桶がある。そこに大豆が浸かっていた。何倍にも膨らんだ大豆を一粒摘む。弾力の具合から丸一日以上は浸かっていると新兵衛はみた。
板間に上がり、囲炉裏に掛かった鍋を火箸で避ける。その下には使われた木炭の灰が混ぜ込まれずにその形を留めている。
床板を指でなぞる。うっすら線が描かれるが、指先にはそれほど埃はついていない。見渡すともちろん死体なぞない。
家を出た。たぶん、他の家も同様だろう。これでは村人全員が同時に神隠しにあったようなものだ。信じられない話だが、そうだったとしよう。浸った大豆から推察するに、消えたのは昨日の晩ではない。村人はおとついの六日、囲炉裏のようすから夕食が終わるまでここにいたのではあるまいか。
破戒僧風体の化物が鏡村を通ったのは、ほぼ時を同じくして六日の夕刻。それからやつはあちこち彷徨ったのだろう。七日の朝五つ頃、あの小高坂村での騒ぎであったから、弘瀬村の神隠しと破戒僧風体の化物は関係ないとみていい。
一方で、中切村の惨劇はというと、腐敗の具合から見て昨日、七日の夜でほぼ間違いはない。時間的には六日の夕食後に事が起こっただろう弘瀬村の異変と、中切村は関連していそうな気がする。
新兵衛は砂地に指を走らせた。考えを整理してみたのだ。
『 今日は八日
小高坂村 七日の朝五つ頃 破戒僧
鏡 村 六日の夕刻 破戒僧
今井村 無し
中切村 七日の夜、推測 人肉
弘瀬村 六日の夕食後、推測 神隠し』
書き記した村の順は、城下から近いところからである。これから判断するに、二つのことが同時進行していたと見て間違いなかろう。といっても、神隠しと惨劇とはまるでようすが違う。それでいてこれら全ては、なんらかの事柄で一つにつながっているといわざるを得ない。状況がどれも、あまりに怪異なのだ。だとしたら、それが何でつながっているのか。答えを得られぬまま、さらに進もうか、と新兵衛はそんなことを考えていた。この先には桑尾村がある。そこまでいけば土佐山の山頂とはもう目と鼻の先だった。
ふと、背後に気配を感じた。振り返ると家屋の途切れたところに十二三の少年が立っていた。声をかけようとしたところ、逃げてゆく。新兵衛は慌ててあとを追った。
少年は、山肌にある田んぼの畦を上へ上へと走っていた。向かう先には庄屋の屋敷がある。果たして少年は屋敷の中に消えた。