第12話 乗馬
素人なれしているのだろう馬は、新兵衛を乗せても驚かない。並足で進み、その馬上で新兵衛は朝日を見た。陰となった高知城の向こうにひかり輝く日が、空を赤々と染めていた。
馬というものに乗ってみて、新兵衛は一つ発見があった。ちょっとした目線の違いが町並みを変えて見せるのだ。塀や垣根越しに町屋の中が見て取れる。立派な松だのう、と庭に飾ってある盆栽に感心しつつ、雨どいに落ち葉が詰まっているのを心配する。
目線の高さといえば、豪商播磨屋の塀である。つい最近その道沿いを歩いたが、こんなに低かったろうかと不思議に思った。子供の頃は塀があまりにも高いから押しつぶされそうで怖くて傍を歩けなかった。あの頃は何もかも大きく見えた。大人だってそう。犬ころだってそう。それをいうなら本丁筋の一丁目から二丁目がどんなに遠かったことか。家を離れれば、また帰ってこられるだろうかと尻込みしたものだった。
ふふっと新兵衛は思い出し笑いをした。家の前で遊んでいるところを、通り過ぎてゆく龍馬を思い返していた。
龍馬は江ノ口川を渡って大膳様町の私塾に通っていた。初めは偉いなとは思ったが、なんのことはない。よく泣いて帰ってきていた。新兵衛はそれを待っていて、あ、来た来たってなもんだった。それから一緒に遊んだ。いま考えれば、泣き虫と引っ込み思案がよくもつるんだものだと感心する。あの頃は良かったなぁと新兵衛は心よりそう思った。
それから鏡川に出て、馬を走らせてみる。思ったよりうまく乗れた。馬の揺れにも息があってきて、さらに速度が上がる。風圧を感じた。空を飛んだとしたらこんな感じなのかもしれない。服がぱたぱたと後ろ手に踊る。それが空に旋回する鳶や鷹を思わせた。
さらに速度が上がる。前から後ろへ木々がどんどん流れてゆく。心躍らせた。もっと早く。それに馬が答える。風を切る。駆け抜ける新兵衛に落ち葉が舞う。わしは風になった、と新兵衛は思った。
しばらくして急激に速度が落ちる。それから馬は並足になり、立ち止まった。もう鏡村とは目と鼻の先である。新兵衛は馬から降りた。
どうやら馬は怯えているらしい。震えているのに心配し、その鼻筋を撫でながら考えた。この二三日、嫌な感じがしていた。昨日の化物は鏡村を通ってきたというし、それこそその化物が土佐山の方角へ飛んでいくのを目の当たりにした。立ち止まった馬の様子から、その原因がこの道の先にあることは言うまでもない。鞍にかけてあった風呂敷包みと水筒を取った。
「さ、お帰り。ここまでありがとうな。たのしかったよ」 馬の手綱を離した。
まごまごしている馬に、「さ、行け。こっからはわしの仕事だ」と尻を叩く。馬は来た道を戻っていった。
離れていく馬の姿が小さくなるまで見守った新兵衛は、風呂敷包みの端を肩の方からと脇の方からと回し、それを胸の前で結ぶ。そして息を大きく吸って、吐く。
鏡川のざわめき。葉を落とした森。そして、閑散とした道に旋風が砂塵を巻き上げて走っていく。鳥の声も全くと言っていいほど聞こえて来ない。下っ腹にぐっと力を入れると、新兵衛は先に進んだ。
やがて山が開け、山肌一面に鱗のごとく棚田が広がる。刈り取られた田んぼにうっすらと水が張られ、きらきらと光っていた。普通ならそこに水鳥が何羽もいようものだが、いない。いるのは、あぜ道を器用に歩く腰の曲がった作人ばかりだ。
道沿いに流れる鏡川は正面の山を間仕切りに、左右に別れ、それぞれが淵源に向かう。そして道もまた、橋で鏡川を一旦またぎ、山に突き当たって川と同じように二股となる。それを左に曲がると、道はまた二股となり、一方は川沿い、一方は山へ入る道である。山道の方に集落があり、そこが目的の鏡村なのだ。
早速、新兵衛は庄屋職に会った。庄屋職は待ち望んでいたのか、飛んでくると新兵衛の言葉に、はいっ、はいっと返事も弾んでいる。後から付いてきた村人も、破戒僧に真っ二つに斬られた郷士を見ているので話が早い。その場でだれが残るか人選が行われ、あとの者は避難する準備に取り掛かる。
新宮神社は大利村にある。そこは先ほどの鏡川が二手に別れた右側の対岸で、列を造った村人は橋を渡り、そこから折り返して川をさかのぼる方向に進んでゆく。
一方で、新兵衛は残った者らには篝火の準備を命じた。そして日暮れ前には火を灯せと言い残し、独りで先を目指した。といっても、唯八にはそんなことを言われてはいない。篝火なんて一言もなかったし、先に行くのは何人か連れだって行けとのことであった。言うまでもなく、それを敢えて破ったには訳がある。無事、鏡村に帰ってきても暗闇の中で化物に襲われるのはごめんこうむる。
それにあの化物を思い返すとそんなに危険はなさそうな気もする。やつはただ、太刀が欲しいだけなのではないか。それを差し出せば危害を加えてこないはずだ。事実、化物にとって絶好の機会であったにもかかわらず、背を向けていた新兵衛をおいといて、化物は橋床に刺さった太刀の方へと手を伸ばしていた。背負い櫃に詰まった太刀もそれを裏付ける。
いや、まてよ。それでスミスアンドウエッソン?
んなはずはないと思う。この考えはだれにも言ってはいないのだ。姑息だと思われるかもしれないが、たぶん言っても馬鹿にされるだろうし、この仕事は自分むきなのだ。事情を知る己をおいて他に、戦いの最中太刀を捨てる馬鹿はいないし、逃げ足だってだれにも負けないという自負がある。
とはいうものの、化物を捕らえろというなら話は別。それは後からくる乾らがやってくれるだろうし、その準備にも抜かりはないだろう。