第10話 馬廻
十二月八日
龍馬は別として、新兵衛の父は半平太らを毛嫌いしていた。だからというわけでもないが、新兵衛自身も半平太らが嫌いだった。理由を上げれば色々ある。参政吉田東洋の暗殺、京での天誅活動などと言っておこうか。だが、それは取って付けた理由で本当はもっと奥底にある。根本的にというか、彼らと交わること自体違和感を覚えたのだ。といって上士らと己が合うかといえばそれ以上に隔たりを感じる。もしかして二本差し自体を嫌っているのかもしれない。
そんな新兵衛であったから、土佐勤皇党に加わらなかった理由をあからさまに言うわけがない。別に薄情とか臆病とかそんなことではなく、彼らの中でポツンとするのが嫌なだけなのだ。その点でいうなら龍馬がうらやましいと思う。空気を読んで上手く立ち回る才覚があった。そのためか、半平太に可愛がられていた。
いまでも新兵衛は、龍馬の口から土佐勤皇党に加わったと聞いた時のことを思い出す。龍馬は半平太の道場に通っていたのでそうなるのは当然といえば当然だったがその龍馬を前にして、わしをおいていくのかと内心で声も出さずに言ったところ、それが龍馬にはわかったのだろう、この国があぶないんじゃ、すまぬと頭を下げられた。
ばかなと思った。人ひとりでなにが出来ようか。無謀というしかいいようがない。だが、龍馬は大まじめだった。西洋事情に詳しい河田小龍に教えを受けていたし、その小龍を目にかけていたのが吉田東洋であることはよく知られている。それらと相容れぬ半平太と組むのを竜馬自身、心底よしと思ってなかったろうし、半平太が友人であればこそ双方反目するのにはがゆく思ったのだろう。なんだかんだ言っても龍馬は間違いなく、半平太らに疑問を持っていたはずなのだ。もっと言うならば、もしかして自分以上に二本差しの愚かさを痛感していたのかもしれない。
それでもあえて飛び込んだからには土佐勤皇党内部から組織の方向性をかえようとしていたのではなかろうか。龍馬にはそういう度量があった。結局、半平太が吉田東洋を害すと決断するに至り、双方たもとを分かつのだが、その間も竜馬は、半平太らの暴走をずっと止めていた。そしてそれが自分の役目だと思っていたに違いない。その証拠に龍馬が去って、その後の半平太らは見るも無残、武士というより殺し屋に成り下がった。
半平太がいない今となってみても、みなの性根は変わっていないと新兵衛は思う。その彼らとどう接せればいいのだろうか。龍馬のような度量は持ち合わせていないし、かといっていたぶられるままというのもたえ難い。
夜明け前の薄暗い中、藩校致道館を前にして新兵衛はそんなことを考えていた。立ち止まっているところに次々と人が追い越していく。土佐勤皇党の連中。胸を張ってさっそうと歩くその姿は、己に藩命が下ったことに誇らしく思っているのであろう、生気がみなぎっている。その高揚を見るにつけ、新兵衛は逆にげんなりとしてくる。
道場の入り口で小笠原謙吉に衣類を手渡された。すでに謙吉はその服を着用していて、洋服にサラシで太刀を固定するといったかっこうをしていた。道場の中を覗くとまるっきり喋らず恐ろしいほどしかめっ面の者もいれば、ベルトをどう止めるかで騒いでいる者もいる。三十人弱が謙吉を手本に見よう見まねで着替えていた。
全員が着替え終わる頃を見計らってのことであろう、乾退助と小笠原唯八、それに樋口真吉が現れた。乾が三人の中央に位置すると、集められた二十六名は皆、かしこまってその言葉を待つ。
果たして樋口が軍の編成を発表した。
司令 乾退助
大軍監 小笠原唯八
小軍監 樋口真吉
一番隊隊長 大石弥太郎
二番隊隊長 五十嵐幾之助
三番隊隊長 池知退蔵
四番隊隊長 望月清平
五番隊隊長 田辺豪次郎
そして、それから外れた者はそれぞれ名前が呼ばれ、配される隊の番号を言い渡される。その最後は新兵衛であった。
「小松新兵衛、伝令。以上」
どよめきが起こった。そんな中、阿部多司馬のみが手を挙げていた。昨日、破戒僧騒ぎの後、乾邸に駆け込んで来た三人のうちの一人である。
樋口が、乾を見た。「構わんよ」と乾が言う。それを受け、樋口が多司馬を指した。道場が水を打つ。
多司馬が立った。
「伝令とはつまり、馬廻ということですか?」
「その名のとおり伝令は伝令じゃ、それがどうした」
「馬廻は大将のそばに控え、伝令はもちろんのこと護衛も努めます。いざとなったら前線へも出ます。新兵衛では心もとない」