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第1話 鏡村刃傷沙汰




 十二月七日


 


 五十嵐幾之助と望月清平は、監察府の対応に不服であった。


 昨日の夕刻、土佐郡鏡村に大入道が現れたという。大げさだと笑われかねないのだが、その体躯は人の倍では利かない。なんせ拳は子供の頭ほどある。加えてそのかっこう。明らかに物語の中に聞いた人物を彷彿とさせる。頭巾をかぶった破戒僧風体に、斬馬刀と見紛みまがう刀身の大薙刀。柄の太さはまるで丸太なのに物干し竿ほどの長さがある。そして、その背中にはそれこそ子供が隠れられるだろう大きなひつ


 それがたまたま通り掛った郷士を真っ二つ、誇張ではない。大薙刀を肩に傾けて闊歩していたかと思うと、いつの間にかその刀身が郷士の股下にきらめいていた。魚を捌こうとて、ああは出来ない。瞬く間に人を左右均等に切り分けたのだ。


 それを目の当たりにした百姓らが、悲鳴やら驚きの声やらを上げているのだが、破戒僧はというと、気にするそぶりはない。いや、まったくの無表情であった。背負いし櫃にその郷士ごうしの刀を放り込んで、来た時のように平然と行ってしまった。


 信じられない話ではあるが、幾之助と清平は、そっくりそのまま監察府の役人に言って聞かせた。


「それでは正真正銘、武蔵坊弁慶じゃのう」


 そう言って、役人は声を上げて笑った。それだけでない。夢を見たのだと馬鹿にした。といっても、狐狸変化こりへんげの類にばかされた、とまでは言わなかった。巨大な鉄の塊が水に浮き、やかんに吹き出すあの蒸気が船を走らせる世の中である。世界に立ち遅れているのをだれもが実感し、それを取り戻そうと血で血を洗う、そういう時代だった。これからも多くの血が流されるのであろう。狸や狐の仕業なぞとは役人も、さすがに恥ずかしくて言えなかったに違いない。


 そんなことは、幾之助らとて同じである。二人は実際に武蔵坊弁慶を目の当たりにしたわけじゃない。もしその目で見たなら他に言いようがあったろう。だが、悲しいかな、鏡村で狼藉をはたらいた男は、だれがどう聞いても、どう問いただしても武蔵坊弁慶なのである。


 幾之助らにしても、狐狸変化なぞ迷信だということは十分承知の上だ。そもそも監察府に出向いた時点で、信じてもらえるどころか馬鹿にされるのは覚悟していた。鏡村庄屋職の訴えだろうがなんだろうが、それを真に受けたとなれば時代錯誤の懐古主義者か、世の中っていうものを知らない田舎もんかと思われる。しかもだ、馬鹿にする相手もそもそもが権力にしがみつくカビの生えた藩の役人。幾之助も清平も、二人がふたりとも声が喉元まで出かかった。そんなこったぁ、我らだって百も承知。正直、鏡村庄屋職が言うような、そんな妄想に付き合っている暇なぞ、この我らにもないのだと。


 が、それはおくびにもだせない。土佐には庄屋同盟というものがある。天保年間に結ばれたこの同盟は国学思想に基づく。とどのつまり、耕す土地は天皇のものであるから将軍も大名も庄屋も同じ天皇の臣。それが学問上の考えとはいえ、徳川の幕藩体制にまかり通るはずもなく、庄屋同盟は秘密結社のなにものでもなかった。


 尊王攘夷をうたう武市半平太のもとで結成された土佐勤皇党も、国学思想に基づいている。いまはその半平太も亡く、それでも党員であり続けようとする幾之助と清平は、多分に漏れずその庄屋同盟から影響を受けている。そして、その庄屋同盟結成の原因が城下に在住する町方庄屋と在地庄屋の諍いであるのも承知していた。百姓といえども鏡村庄屋職をぞんざいに扱えないのだ。


 しかし、そういう訳があるにしてもだ、城下に訴えに来た鏡村庄屋職の態度があまりにも切迫して見えた。


 それが言うには、事件を報せるため城下へ走る道中、鏡川沿いの道で破戒僧の背中を見た。ぞっとしたってもんじゃない、なんせ人を真っ二つに切り分けた怪物、それが自分と同じ方向へ歩いて行っているのだ。なんとしてでも先を越さねば。城下にでも入られたら大変なことになる。それで間道から追い越してやって来た次第。



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