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「さて、リアちゃん。あなたはまだ生きています。ここは詰所の医務室よ。ここまでで質問は?」
「えっわたしまだ生きてるの!? なんで!? じゃああいつは!? あの人喰いじじい!! ていうかえっ!? ほんとに生きてる!? 二人は本物!?」
息をつく暇もなく、ルクリアはティルに次々と質問を投げる。
どうやらわたしは死んでいなかったらしい。ここは天国でもなんでもなく、メリカにあるティルの部隊の詰所。どおりで見覚えのある風景なわけだ。
「順番に答えるから落ち着いてリアちゃん……」
ティルが苦笑いを浮かべて待ってくれとジェスチャーするのを見て、ようやく我に返るルクリア。栗毛色の髪を揺らして一息ついたティルは、ルクリアの訊きたかったであろうことを一つづつ説明する。
「さっきも言ったけど、リアちゃんは生きてるよ。もちろん、モモちゃんも。じゃあ、なんで生きてるのかって思うわよね。それは――」
「もしかして! ティルが助けに来てくれたの……? あれは幻聴じゃなかったの?」
ティルの言葉を遮るようにルクリアが言うと、ティルは小さく首を縦に振る。
「うん、そうよ。……正直、ギリギリだったけどね」
その時のことを思い出すように、伏し目がちになりながらティルは続ける。
「何かおかしいと思ってたの。いくら非番だったとはいえ、人喰いの魔獣なんてものが街に入ったら、すぐに私に知らせが来るはずだもの。だからあの日、城壁の修復が終わった後にイアンを問いただしたの。彼、泣きながら答えたわ。 『僕はずっとクリスの元で、いつ殺されるかわからない恐怖と共に育てられてきたんです。でも便利な操り人形として従うなら生かしてくれるって約束してくれたから……。僕はあの人に逆らえない』 って、ね」
悲痛な面持ちで話を続けるティル。
「ここにいる限りは安全だから大丈夫だ、ってなんとか説得して、一度家に帰りたいって言うからその日はそのまま帰したの。でも結局、それが間違いだった……。幼い頃から植え付けられたどうしようもない恐怖には、逆らえないものだったのよ」
「それじゃあモモを連れ去ったのは……」
「そう、イアンよ。道端に落ちていた血も……彼のものね」
ティルの言葉に、モモがぴくりと身体を震わせる。よほどあの出来事が怖かったのだろうか、ぎゅっと手を握りしめて、ただ何も言わずに窓から外の景色を眺めている。
「そんな殺人鬼を野放しにしておくわけにもいかないし、リアちゃんの家の玄関口にでも隠れてて、姿を現したら捕まえようと思って、夜が更けてから向かったんだけど……、家についたら扉は開きっぱなし、部屋はめちゃくちゃで。夜更けとは言え、まさかあんな早い時間から押し入るとは思ってもみなかった、私の落ち度ね」
悔しそうに歯噛みするティル。一度深呼吸をして、再び話を続ける。
「後はもう必死であの男の洋館に向かって、間一髪で間に合って今に至る……って感じね」
「じゃあ本当にティルが助けてくれたんだ……! ありがとう……。わたしひとりじゃダメだった。モモを救えなかった。ティルがきてくれなかったら……」
一通りティルの話を聞いて、ルクリアは自らの不甲斐なさを悔やむ。
いまこうして自分とモモが生きていることが嬉しいと同時に、自分ひとりじゃなにもできなかった弱さが悔しい。
「ほんと、いっぱいお説教したいところだけど、きっとわたしがリアちゃんだったら同じようにしただろうし……。それとリアちゃん気づいてた? あの洋館、周囲に一切マナがなかったこと」
ティルの言葉にルクリアははっとする。あの身体のどうしようもない重さと気だるさは、そうか、マナの供給がなくなっていたせいだったのか。それなら確かに、一番最初に訪れた時の嫌な気だるさの理由も納得できる。
「でもどうして? マナってあらゆる場所に等しく存在するものじゃなかったっけ。それがどうしてあの場所だけ?」
ルクリアのもっともな疑問に、ティルは少しバツが悪そうに目を逸らしながら答える。
「対魔導兵器って言ってね、マナや魔法に対して高い殺傷効果を持つ道具があるの。元々は投獄された罪人が魔法を使って逃げないようにとか、高い魔力を持つ魔獣を撃退するために作られたんだけど……。ほんとはね、軍で一括管理してるはずのものなんだけど、ものすごく高値で売れるからお金欲しさに闇市に流しちゃう子がいるの。ただのコレクターに渡るだけなら可愛いものなんだけど、悪意を持った人に渡ると目も当てられないのよ」
「じゃああの洋館の周りだけマナがなかったのも……」
「そう、対魔導兵器が発動していたからってことになるわね。大方、捕らえた ”獲物” が逃げないようにする監獄代わりに使っていたんでしょう。……ほらこれ、今は効果が出ないようにしてあるから安心して」
そう言いながらティルがポケットから取り出したのは、手のひらに収まる程度の黒い水晶の欠片のようなものだ。一見、とても兵器のようには見えないそれは、ティルが光にかざすと小さな身体の中でキラキラと白銀を瞬かせた。
「中には変質させたマナが入ってるの。起動すると、周囲一体のマナを殺し尽くして、それ以外のマナは寄り付かないように、これを中心に結界が張られるの。それが、リアちゃんを苦しめたものの正体よ」
ティルは終始申し訳無さそうな表情でルクリアに説明すると、水晶を元あったポケットの中へ無造作に放り込んだ。
そんな様子をチラチラと気にしながらも、相変わらずそっぽを向いたままのモモを見て、ルクリアはふとひとつの疑問を浮かべる。
「ねえ、さっき道端の血はイアンのだ、ってティルは言ってたけど、なんでそうだってわかったの? 部屋だってモモを捕らえるためにすごい魔法使った痕が残ってたし……」
ルクリアの言葉に、ぴくりとモモが反応してティルを見る。その目が訴えているのは、間違いなく、ティルシーさんがせつめいして。の意だろう。
それを汲んでか、微笑んで頷いたティルはルクリアに向き直ってその理由を話し始める。
「リアちゃん、あの魔法を使ったのはね……モモちゃんなの。どうしてあんなことになってたのか私にはわからないけど、モモちゃんがそう話してくれたわ」
「そう……なんだ。頑張ったじゃん、モモ」
ちょうどいい言葉が見つからず、狼狽を隠せないながらも言葉を返すルクリア。モモはただそっぽを向いたまま振り向くこともしない。小さな肩が微かに震えているようにも見えるが、これ以上なんと声をかければいいかルクリアにはわからなかった。
「あの男も拘束して投獄されたから、ひとまずのところはもう安心して大丈夫。まだ身体だって本調子じゃないだろうし、リアちゃんはここでゆっくり休むこと。モモちゃんも、ね。……そうだ、私ちょっと用事があるから、一回外すね。逃げたりしないで絶対安静にしてること!」
「逃げる元気もありませんよ~だ」
ティルは何かを見かねたような表情でそれだけ言い残すと、そそくさと部屋を後にしてしまった。
二人を残した部屋を包む静寂。時折、外で軽快に鳴く小鳥の声だけが高らかに響き渡る。
どうにも気まずいこの空間、モモはずっと目を合わせてくれないけれど、このままではダメだとルクリアは思い、意を決してモモに話しかける。
「モモ、あのさ……」
「うん」
「大変……だったね」
「うん」
「怖かったよね」
「……うん」
次第に涙声になっていくモモ。こんな事を言っても今更だな、とルクリアが苦笑して髪をかきあげていると、不意にモモが振り向き、大粒の涙を流しながらルクリアの胸に飛びつく。
「ぐえ……モモ痛いよ――」
「なんでオレなんかをたすけにきたんだよ! こんなめにあってまで! ひとりでにげればよかったんだ!」
ルクリアが痛がるのもお構いなしに、思い切りしがみついて号泣するモモ。服を掴む手に目立つ、縛り上げられたときにできたのであろう手首の擦り傷が、見ているだけでも痛々しい。
「オレのためにこんな目にあうひつようなんかないのに! みすてればいいんだ! いますぐにでもあっちにいけって……。ちかづくなって……!」
モモは言葉とは裏腹に、しっかりとルクリアを抱きしめて離さない。顔こそ見えないけれど、きっと涙と鼻水でぐしょぐしょなのだろう。そっと抱き返すように頭を撫でても、モモの嗚咽と感情の奔流が収まる気配はない。
「オレがしんだってだれもかなしまないんだから! でも、ねーちゃんがしんだらみんなかなしむから……。もうオレになんてかまわないで自分のために生きろよ! もういいんだよ……。じゅうぶんしあわせだったよ……」
次第にモモの叫びは消え入りそうな声になっていく。
「まったく、言いたい放題だなぁ。このバカ妹め。……助けてもらったら ”なんで” じゃなくて ”ありがとう” でしょ~」
モモの言いたいことはわかる。きっとルクリアがモモの立場なら、同じことを思い、言うだろう。それでも、ルクリアにも言いたいことはあるし、それをモモに伝えなくてはいけないと思う。だから、思い切りモモを抱きしめて、そこにある確かな体温を感じながら、ルクリアは言う。
「モモが死んだら悲しいよ。少なくとも、わたしは悲しい。それにね、わたしはわたしのためにモモを助けたの。嫌々仕方なくなんかじゃないよ」
「なんでそこまであかのたにんにできるんだよ……。バカかよ……」
「バカはあんたでしょ。いい? 可愛い妹を助けるのは ”ねーちゃん” の楽しみなの! 生きがいなの! それを奪おうだなんて、例えモモが相手でも許さないんだから」
「いみわからねーよ……。やっぱバカなんだな。オレにもバカがうつりそうだ」
一通り言いたいことを言い切った後、ルクリアは自分も涙を流していることに気づいた。悲しいわけじゃない。今こうしてモモと一緒にいられることが嬉しいはずなのに、なぜだか涙は止まらない。
それからも、モモは泣きながらいろいろなことを話してくれた。
恐怖心から振るった魔法で、人を傷つけたこと。それをティルに話したら、何も言わずに抱きしめてくれたこと。ルクリアやティルは好きだけど、この世界も、人とは違う自分も大嫌いだと言うこと……。
泣きじゃくるモモの話に相槌を打ちながらルクリアは静かに聞いた。
一通りモモが話したその後、ルクリアは赤くなった鼻をすすりながら、自分の胸に頭をうずめるモモをじっと見る。そして一言、静かに怒りで震える声で言った。
「あの、そこで鼻拭くの、とっても汚いからやめてくれるかな……モモちゃんさん?」
「……ありがとう」
「うるさい! 離れろ! うわぁ~あ!! スライムみたいに鼻水を伸ばすな~!!」
「――ふふ、リアちゃんをよろしくね、モモちゃん」
医務室の扉の外、壁により掛かるようにして立って、ひとり静かにルクリアとモモの会話を聞いていたティル。目論見通り本音をぶつけ合えた二人に、聞こえないとわかっていながらも小さな声で呟いて、嬉しそうに、けれどどこか寂しそうな笑顔で部屋の前を後にした。




