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帰り道、辺りの空気は日没が近いせいか、徐々に冷ややかさを増していく。
鮮やかなオレンジ色が草原を、砂利道を、そしてそこを行く人々を分け隔てなく染めて、今日の太陽の役割が終わったことを知らせる。そして反対側からは、それを見物するかのように月が顔を出す。
太陽のようなまんまるではなく、割れたような不恰好な半円がふたつと、その周りを彩るのは光を反射して輝く星屑たち。
「うぅ~さぶっ……。思ったよりかかっちゃったし早く帰りたいな~」
ルクリアは両手をさすりながら、大通りへと向かう路地を急いでいた。
時計の秒針のようにコツコツとブーツは軽快な音を鳴らし、それに従うように空のオレンジ色は朱色へと変化して、深い藍色になるための準備を進める。
統一国ローラシアの王都に位置するメリカだが、中心部を少し離れると人通りはまばらで、倉庫代わりに使われている外壁の剥がれ落ちたボロボロの建物や、今の街並みを作るために使われた建設資材の余りが無造作に並べられた空き地などで閑散としている。
この道も、日が落ちてくると明かりも少なく死角が多いので、安全な場所だとは言い難い。
近道になるルートだったのでここを通ることにしたが、夕暮れ時にこの場所を見るのは初めてだったので、その退廃的かつ幻想的とも言える風景に感動と、自分の知らない世界を見ているような、一抹の不安を覚えてしまう。
この道をまっすぐいけば商店街の大通り。その行き先を示すように、ルクリアの影を少しずつ伸ばしていく夕陽。
ようやく今日も無事に終わる、と、内心胸を撫で下ろしていたけれど、すぐにそんなことはなさそうだと思い知らされる。
そよ風と靴の音ばかりが寂しく反響していた路地に、前触れもなく突然大きな音が響き渡る。金属になにかを叩きつけるような音に続いて、なにかたくさんの軽いものが落ちるような音と、少年達の笑い声。続いて、カランカランとルクリアの足元へと転がってきた、保存食などがよく入れられる小ぶりな空き缶。
――正直、今自分の見たもの、聞いたものを全て忘れて、無かった事にして、さっさと店を閉めて自宅に帰りたかった。どうせロクでもない悪ガキ達のいたずらだ。関わるだけ疲れるし時間の無駄だから……。
そんなことを考えながらも、目の前に転がっている錆付いた空き缶を手に取り、誰かが踏んで転ばないようにと道の隅っこにそっと置く。それから大きなため息をつき、先ほど音のした建物の中を覗き込んで声をかける。
「ほらほら、暗くなる前にはやく家にかえりな――」
結局、通り道がてら声をかけてみたものの、最後まで言葉を発することができなかった。
そこに広がっていた光景は、想像していたものとは全く違うものだったからだ。
――薄暗く埃っぽい建物の中、床一面に散らばる空き缶と、その中に立つ少年がふたり。どちらも十代前半だろうか、ルクリアよりも一回りほど背は低い。ボロボロの服を着て、黒ずんだ肌が目を引く。そこまでは良かった。
少年のひとりが手にしていたのは、小ぶりなナイフ。それを、もうひとりが地面に押さえつけている灰色の何かに突きつけていた。
「なんだよ、何見てんだ?」
「……あんたたちなにしてんの」
こちらに気づき威嚇するような態度を取る少年。問いに答えることもなく、にやにやと年に似合わぬ嫌らしい笑みを浮かべている。
「はぁ……。やっぱ関わるんじゃなかった」
思わず口をついて出る本音。何はともあれ、この普通じゃない事態を見逃して帰るのはあまりにも後味が悪い。ひとまずは彼らが押さえつけている動物かなにかを開放させよう。
「おねーさんから提案です! 今すぐそれ置いてどっか行ってくれれば、何も見なかったことにしてあげるけど、どう?」
「なにがおねーさんだ。ブッ殺すぞクソアマ」
「はぁあ!? 上等だこんのクソガキ!!」
――久々にカチンと来た。売り言葉に買い言葉だ。こうなってしまっては、平和的解決は望めないだろう。残る手段はただ一つ、実力行使だ。腕に自信があるわけではないが、荷物を強奪されないためにある程度は鍛えている。その辺の子供に負けるほど弱いつもりはない。
ナイフを持った少年が一直線に駆けてくる。もう一人の少年はその場から動かないままだ。
そう長くない距離を一気に詰めてきた少年は、逆手に持ったナイフを手慣れた様子で振るう。――物騒なことだ。今更気づいたけれど、目つきもその辺にいる子供とはまるで違っている。
下から上へ勢い良く振り抜かれたナイフを避ける。たまに軍の基地で模擬戦闘をして遊ばせてもらっている身だ、この程度の物を避けるのは造作もない。
瞬時に反撃に転じる。ナイフを振り上げたままガラ空きの腹部目がけて、ある程度加減した拳を飛ばす。しかしそれは宙を切り、ナイフの少年がそのまま真横へ距離を取ると同時に、その後ろからこちらを目がけて飛んでくる小さな火球。
「うわあぶなっ! ちょっと、火事になったらどうすんの!」
幸い、大して速くもない、威力も無さそうな火球の魔法を屈んで避け、思わず怒声を浴びせているところにも構わず再びナイフの刃先が襲来する。
頬スレスレのところで躱せたと思ったが、一瞬反応が遅れたせいかわずかに掠ったようだ。鈍い痛みがじわじわと頬に押し寄せる。
「女の子の顔に傷をつけるなんて……! 絶対許さない! 身体強化――リインフォースメント!!」
魔法名を叫ぶと、薄桃色の光が辺りに弾けて渦を巻き、一陣の風を残して消える。
――リインフォースメントは自己強化魔法のひとつ。普段配達で重い荷物を持つときに使っているものだ。こうして名前を呼んで発動させるのは、ティルにこれを教わった時以来か。
手っ取り早く二対一の状況を打開するため、そして傷つけられた大切な身体のために思わず発動させてしまった魔法。
「さあ! どっからでもかかって――あれ?」
思い切りこちらを睨みつけ、何か合図をして二人一緒に距離を詰めてくる少年達。そのまま襲い来るのかと思いきや真横を通り過ぎ、舌打ちを残して建物の出口から足早に姿を消した。
「も~! なんだったの! 物騒! 怖い! 疲れた~!」
使いみちの無くなってしまった魔法を拡散させて、ひたすらに不満を口にしてみる。その声は建物に寂しい残響を残して、薄桃色の粒子と共に宙に舞って消えていく。
「――で、結局これはなに…………。うそ、ひどい。なんでこんなこと」
間一髪救出できた、動かない灰色のなにかの正体を見るべく、恐る恐るルクリアは近寄ってみる。
薄暗いせいか遠目ではわからなかったものの、近くで見るとはっきりその正体がわかった。
埃と空き缶に埋もれ、ボロボロの布切れを身につけて、今はもう生きているのかすらもわからない、先ほどの少年達と同じくらいの年齢に見える子供。
獣のような三角の耳が、砂と埃にまみれた灰色の毛髪の隙間から顔を出していて、腰の辺りからはまるで先端が鋭利な矢印にも見える尻尾のようなものも伸びていた。
「そっか、混血種の子か……」
――古くからの言い伝えで、混血種は災厄を招く、というものがある。もちろん、その伝承と連動した災厄の記録はなく、異種族同士の交配では滅多に成されない異質な存在を恐れた人々が作り上げたでまかせなのだろう。それでも、そんな根拠のない言い伝えを信じる人は少なくない。現にこうして目の前にも、確かな理由こそわからないが虐げられた混血種の子がいるのだから。
混血種の子供に恐る恐る近づき、地面に散らばった空き缶を払いのけて、横たわる痩せた小さな身体をそっと抱き上げる。きちんと食事も取れていなかったのか、あまりの軽さに驚きの表情を隠せなかった。
「孤児……だよね。混血種ってだけでこんな目に遭わされて……」
悲しさと憤りが感情を揺さぶるが、ひとまずは生死の確認をする。自分の耳を混血種の子の口元に近づけ、弱々しいながらも呼吸をしていることを確かめると、小さくため息。生きているのなら、それでいい。
けれど、このまま気を失った子供を、もうすぐ夜の訪れるこんな場所に放置しておくわけにもいかない。どうするべきか思い悩む素振りはしてみるが、それはただ心の準備をするための時間で、本当のところどうしたいかは既に心に決まっていた。
思わず漏れる小さなため息。
頬に僅かに滲んだ血を指で拭い、覚悟を決めて、そっと混血種の子供を背中におぶった。
すっかり冷たくなってしまった空気の中、背中にほんのりとした暖かさを感じながら、いつもの家路を目指して静かになった路地を歩く。