1-2 小さな小さな巡り合い
まだ空気も冷たい二月の終わり。薄桃色の長髪が揺れていた。
ここは、天を貫くような石造りの王城が中央に鎮座し、それを取り囲むように作られた城下街が賑わいを見せる場所 ”メリカ”
その中でもひときわ多くの人が集うのが、様々な店が立ち並ぶ、大きな一本道の商店街だ。
パン屋、八百屋、雑貨屋と食堂に酒場。分野を問わず店がひしめき合うその一角にある、赤いレンガ造りの小さな建物。何かの倉庫のようにも見えるそれは、街路の石畳に馴染んで見るものに安心感を覚えさせる。
建物の前には、【スマイリーデリバー】 とポップな字体で描かれた可愛らしい看板が立てられ、まるで後から思い出したように殴り書きで付け足された、『なんでも運ぶよ!』 の文字が目を引く。
「いやールクリアちゃん、いつも重い荷物わるいね」
「別に気にしなくていいよ~。むしろわたしに頼んでくれてありがとうって感じ!」
申し訳なさそうな表情で重そうに木箱を台車から下ろすのは、ガタイのいい身体とは対照的な、店の名前が刻印された可愛いデザインの前掛けが目立つ男だ。
対するこの店の主人、――ルクリアと呼ばれた若い女性は、薄桃色の長髪を嬉しそうに揺らして、置かれた木箱に腰をかける。可愛らしい笑顔は、まだ無垢な少女の面影を残しているが、裾を折り上げた空色のデニムに、ワンポイントの襟の刺繍が目を引く白いブラウス、その上に羽織った群青のジャケットが中性的な印象を与えていた。
「そんじゃ、よろしく頼むわ! これお代な!」
男はそう言ってルクリアに依頼料を渡すと、載せるものの無くなった台車を畳んで小脇に抱えて店から出ると、そのまま人混みの中へ姿を消した。
「いよっし! ちゃっちゃと届けちゃいますか~」
木箱から立ち上がり、埃を払うように両手をパンパンと鳴らしてから大きく背伸び。深呼吸をすれば、美味しそうな食べ物の香りを含んだ冬の空気が、身体を一杯に満たした。
店頭の看板に、不在を知らせる小さな張り紙を残して、特に戸締まりはせずに配達に出かける支度をする。他の荷物がある時はきっちりと戸締まりはするけれど、なにもない時はいつもこんな調子だ。
小さな店の中にあるのは、来客用のソファーとテーブルや椅子代わりに使っている空の木箱、それに荷物を包む布切れくらい。お腹を空かせた家無し子の腹を満たせるものも無ければ、盗人が欲しがるような高価なものもない。
「これは流石にこのままじゃ持てないかも……」
これから運ぶ木箱を軽く持ち上げてみて大体の重さを確かめてから、すぅ……と小さく息を吐き、集中する。
頭の中にイメージするのは、大きな力を纏った自分。大空のようにどこまでも広がる力をぎゅっと凝縮したような、そんな無限大の可能性を秘めたような力を――
ちょうど太陽が一日の半分の役目を果たす頃、通りを爽やかな風が駆け抜ける。それがふわりとルクリアの髪を撫でるとほぼ同時に、足元に展開される魔法の円陣。ルクリアと同じく薄桃色をした小さな魔法陣は、両腕に、両足に、まるでアクセサリーのように寄り添い、弾けて消える。
「――うん、こんなものかな」
準備運動代わりに、手を握ったり開いたり。普段と変わらぬ好感触に、思わずルクリアの口角は上がる。
そのまま先ほどの木箱を、まるで綿毛をつまむかのように片手で軽々と持ち上げると、中に詰められているのであろう飲料をたっぷりと蓄えたビンがカラカラと澄んだ音を立てた。
――みんなはこれを ”魔法” と呼ぶ。使い方は至って簡単、自分が望む、成し得たい結果を想像して、身体の中にある魔力を放出するだけだ。想いの丈がそのまま魔法となって手助けしてくれる、なんて、夢のような話だけれど、わたしが生きているのはそんな夢のような世界だ。
ちなみに、その想いをより鮮明に、克明に描き出すための詠唱と、発動名のあるものもあったりする。
詠唱と発動名なんて、なんだかカッコ良さげでわくわくするけれど、残念なことにわたしがこうして日々を過ごす分には必要のないものだ。
それに、例え使いたいと思ったとしても、人それぞれある程度の向き不向きはある。こうしてある程度の強度の魔法を維持できる適性があるだけ、わたしは恵まれていると思う。この世界には、魔法自体使うことのできない人だって沢山いるんだから――
ルクリアはそんなことを考えながら、昼下がりの街道を進む。
見た目は普通の女の子が、重そうな荷物も平然と運ぶ。そんな姿は街のちょっとした名物になっていて、すれ違う人々はみんな気さくに手を振ったり、声をかけたりしていた。小さな交流だけれど、街の人との触れ合いはルクリアのとっての日々の楽しみの一つでもある。
商店街の大通りを抜けて、開けた平原を歩く。きっちりと舗装されていた石畳から一変、砂利を押し固めて作られた街道は、案外石畳よりも歩きやすい。
ひんやりとした空気と、暖かな日差しのコラボレーションがとても気持ち良い。しかし、そんな中に混じる、鉄の焼けるような匂いにルクリアは思わず眉をしかめる。
この広い平原の辺り一帯は、第二次開発地域と銘打たれた場所でもある。大地をくり抜き、地中に眠る ”魔力の欠片” を吸い上げるための煙突。それを動かす時に出る匂いだろうか、気にしなければ気にならないが、気にし始めると気になってしまうような、そんな匂いが、寒さにも負けず生い茂る雑草の青い香りに混じって嗅覚を刺激する。
「やっぱこの匂い嫌い……。せっかく良い天気で気持ちよかったのにな~」
誰に言うでもなく不服そうにぶー垂れた表情を浮かべるルクリアだが、平原を過ぎ、配達先が見えてくると気を取り直す。
大きな城門と、そこから左右にどこまでも伸びる乳白色が綺麗な城壁。これはメリカの街をぐるりを取り囲むように作られていて、盗賊や魔獣の来襲を防ぐのに一役買っている。平和な暮らしを担う、ありがたい建物だ。
ちょうどその足下にある、頑丈そうな要塞を思わせる平屋が目的地だ。目的地がすぐそこまで見えてくると、自然と足取りも軽くなる。
「おっ、ルクリアちゃんか。相変わらずすげー身体強化だな」
【ローラシア統一国王軍基地-メリカ支部】と鉄板に文字を焼き付けて作られた重量感のある大きな表札。その横で、退屈そうに欠伸をしていた兵士の男性が、ルクリアの来訪に気づき声をかける。
「おっさん久しぶり~。お届け物持ってきたよ~」
「おっさん言うなよ……。チェスカーさんだろ? まぁ、確かにおっさんだけどよ」
「そだね~、ちょっと老けた?」
「成長期なんだよ、ほっとけ」
逆立てた黒髪の短髪に、軍指定の黒を基調とした制服、しっかり鍛えられた身体つきのチェスカーと、色素の薄い流れるような長髪に開放的な色の衣装、華奢な身体つきのルクリア。
この場を通りがかる誰が見ても、その凸凹加減に頬が緩むほど対照的な二人は、ひとしきり軽口を叩きあいながら、久々の再会を喜んだ。
そのままチェスカーに案内され、配達物を脇に抱えたまま基地へと足を踏み入れる。灰色で統一された外見とは裏腹に、建物の内部は木張りの床や壁が一面を覆っている。ルクリアの家と同じ柔らかい雰囲気の内装は、軍の基地、という緊張感よりも安心感を与えてくれた。
「今日はティルいるの~?」
無事配達を終え、食堂の長テーブルの端に座ってお茶をご馳走になっていたルクリアがチェスカーに訊ねる。
――ティル、正しくはティルシー。彼女はルクリアの古くからの友人で、チェスカーと同じくこの場所に身をおく人物だ。
最近あんまり会えてないから……と、ルクリアはティルとの面会を所望する。しかし、誰かがティルを呼びにいくまでもなく、その願いはすぐ叶えられた。
「あれー?リアちゃんどうしたのー?」
間延びした声のする方向へルクリアが振り向くと、そこにはちょうど休憩にきたティルの姿があった。
こげ茶色の内装に映える、栗毛色のふわふわの髪。ルクリアと年齢が大きく離れているわけではないけれど、圧倒的なお姉さんオーラを放つ人物。軍指定の制服を着てはいるものの、その上からストールをロングスカートのように巻きつけて、上着に至っては可愛くないから、という理由で私服のジャケットを着用している。
本来そんなことをすれば大目玉を喰らうこと間違いなしだけれど、彼女にはそれを許される理由があった。それは――
「ティル~久しぶり! 相っ変わらず隊長とは思えないくらい秩序のない制服だね~」
ルクリアの言葉に、ふふっ、と笑みを零す彼女の役職。それは、ルクリアたちの暮らす国、統一国ローラシアの首都、メリカを管轄する国王軍の部隊長。つまり、この場所における実質的なトップだ。
けれど、ティルからは威圧感のような息苦しい雰囲気は感じられない。それどころか、軍などという有事には最前線に立たされる組織には、最も向いていない雰囲気すら放っているように思える。
「ユルくていいじゃんか! なっ、隊長さん」
豪快に笑うチェスカーを横目に、ティルはルクリアの正面の席へ腰掛けた。ちょうど休憩で帰ってきたの、と言って、そのまま机の上に脱力した様子で横たわる。
久しぶりの再会にも関わらず、以前と全く変わりない様子のティルを見て、ルクリアは安心感すら覚えてしまう。
「そうそう、リアちゃんきいてよー。ちょっと前から議会のお偉いさんがひとり行方不明でさ。まいにちまいにち捜索で疲れちゃったよー」
ティルは自身の近況を語りつつ、テーブルの上に置かれたままになっている届けられた木箱の中身を漁る。その中から小分けにされたクッキーを取り出すと、ルクリアとチェスカーにひと包みずつ投げてよこし、それから自分も美味しそうにかじりついた。
つられて手のひらサイズのクッキーを口に放ると、しっとりとした肌触りの生地が口の中で解ける。バニラ風味のほんのりとした甘みが広がると同時に、その控えめな甘さを嫌味なく引き立てる塩気が舌を刺激した。あまりの美味しさに、飲み込むことをためらっている間に溶けるように無くなってしまったクッキーは、確かにそこに存在していた余韻だけを味覚に残していく。
「あっれ~? そういえばティル、この前会った時、甘いものやめて痩せるんだって言ってなかったっけ~?」
「いいの。それとこれとは別。だからいいの」
さっさと食べ終わり、暇を持て余してちょっと意地悪な表情でお腹をつつくルクリアを意にも介さず、ティルはひとくち、またひとくちとクッキーを食べていく。そして、辺りにバターと砂糖の魅惑的な甘い香りが広がる頃には、もうティルの手にしていたクッキーの姿はひとかけらも残さずに消えていた。
そんなティルを、別に太ってるわけでもないのに痩せる必要ないよね……と、ルクリアはただ不思議そうに見つめるしかできないようで。
「ごちそうさまでした……っと。それじゃあ私、そろそろ行くね。屋根が壊れちゃったおうちがあって、直さなきゃいけないの」
食休みを取る暇もなくティルはそっと席を立つ。
国王軍と言っても、メリカでは砦を襲う敵も、戦争を仕掛ける相手もいない。だから、普段の彼女らの仕事は、訓練と街の警ら、それから街の人達ではちょっと危険な作業が主だ。この緩い雰囲気も、そんな背景があってのことなのだろう。
「そうそう、ここからちょっと南に行った街外れに、大きな洋館があるの知ってる?」
ティルからの不意の質問に、記憶の中にある地図を思い起こす。
――大きな洋館……うーん、知ってるような知らないような。
「ごめん~ちょっとわからないかも……」
「ううん、大丈夫よ。それで、そこの家主さんから頼まれ物されててね? ――そう! ここまで言えば頭の良いリアちゃんならもうわかるよねー」
「なんですか? 煽ってるんですか? わかりませんよ~だ!」
と、一通りティルをいじめたところで、困ったように苦笑いを浮かべるティルを満足気に眺めながら、ルクリアは言った。
「それで、なにを届ければいいの? ちゃんと届けるから、まかせて!」
それじゃあこれ、よろしくねー。と、どこからか持ってきた頑丈そうな鉄の棒数本をルクリアに渡して、ティルはそのまま食堂を後にした。
「訓練所のほうも顔出すか? 連中、喜ぶと思うぜ」
「また今度にするよ~。日が暮れちゃう前には帰りたいし」
残念そうな表情を浮かべるチェスカーだったが、また来いよ、と支度をするルクリアの肩をたたく。
もちろん! と、それに応え、チェスカーに見送られながら基地の玄関まで鉄の棒をまわりにぶつけないように慎重に運ぶ。
身体強化の魔法を使っていても、それなりに重さを感じるこれを顔色ひとつ変えずに運んできたティルは実はすごい人なんじゃないだろうか……と、ルクリアは今更ながらに実感する。そして玄関の曲がり角で、勢いあまって手にした棒を思い切り壁にぶつけた。
「なあ……いま――」
「ううん! ぶつけたりしてないよ! わたしはこれをどこにもぶつけずに運んできたし、壁がへこんだりもしてない。大丈夫」
何か言いかけたチェスカーの言葉を誤魔化すようにさえぎり、その流れで街外れの洋館への道を訊ねる。
「ここ、まっすぐ下におりてけば見える?」
「あぁ、ずっと行ってちょっとした雑木林を抜ければ目の前だ。結構でかい建物だからすぐわかると思うぜ。地図、いるか?」
「ううん、すぐ見つかりそうだしいいかな~」
「そうか、迷わないように気をつけろよ」
「迷わないし! いつまでも人のこと子供だと思って~! ――じゃあね、またそのうち遊びに来るから」
いつでも遊びにこいよ、と手を振るチェスカーを背に街道を下る。
昔から面倒見がいいのはいいところだけれど、いつまでも子ども扱いしないで欲しいな……。これでも一応立派な大人なんだから……。
思春期の少年少女のような微妙な感情と、他人にも関わらず可愛がってくれる感謝の気持ちの混じった、なんともいえない表情。
おやつどきの暖かな日差しが地面を照らし、それに応えるように街道に広がる平原の草花がキラキラと光り輝く。初めて歩く自然豊かな街道の風景を、いい天気のお陰で心行くまで堪能することができた。
街道から雑木林に入り、細い道を歩く事数分。ようやく姿を見せた目的地の洋館に、ルクリアは多少驚いた表情を見せる。
「思ってたよりおっきい~……」
ちょっとした古城を思わせる、豪勢な作りの洋館。華美な装飾こそないが、重厚な作りのそれは威厳さえ放っているように思えた。いやに飾らないステンドグラスの窓、大きくはないけれど、丁寧に手入れの行き届いた庭、青々と茂る樹木が屋敷を取り囲み、木漏れ日が外壁に描く模様は、まるで芸術作品のよう。
「お届けもので~す! 誰かいませんか~!」
雰囲気に飲まれていても仕方がないと、庭先にあったベルを鳴らし、ルクリアは声をあげる。
――心なしか、さっきまでよりも荷物が重く感じるし、身体もだるい。風邪でも引いたかな……。
そんなことを思いながら待つこと数十秒。とりあえず荷物だけでも降ろそうと、身体をかがめようとした矢先に、玄関のドアが開かれた。
「これはこれは、すみません。ちょうど食事を取っていたところでして」
ドアの向こうから現れた家主と思わしき人物は、想像していた人物像とは少し違っていた。
初老の男性。全体的に痩せていて杖をついてはいるが、しっかりとした背筋と不自由さを感じさせない足取りが健康そうだという印象を与える。もっと
これだけの建物の持ち主なのだから、威張りくさったふくよかな中年おやじか召使いが出てくると想像していただけに、多少驚きを隠せずにいたが、すぐにここへ来た目的を思い出す。
「あ、えっと……ローラシア国王軍メリカ支部の、ティルシーさんからのお届けものです! とても重いので、必要なら使う場所まで運びますけど……」
男性は上品な笑みを浮かべると、それは大丈夫だよとルクリアに告げる。
「家具が壊れてしまってね。それの補強で使おうと思っていたんだ。私だけでもすぐにできるから、心配はいらないよ、お譲ちゃん」
また子ども扱いされた……。内心ため息をつきながらも笑顔を忘れないようにしつつ、配達物である鉄の棒数本を丁寧に地面へ降ろす。ようやく自由を得たそれは小気味良い音を辺りに響かせ、無事依頼が終わったことを知らせた。
家主に配達完了の証となる、魔力手形のサインを頼むルクリア。しかし、家主の男性は残念そうな表情で首を横に振る。
「すまないね……。年のせいか、なかなか自由に魔法をだせなくなっていてね……。代わりに筆記のサインでもいいかな」
珍しい話ではない。老いたり、過去の失敗がきっかけだったり、元々適正のないものだったり、魔法を自由に使えない人は結構いる。
みんな、いつもどこか寂しそうに 「ごめんね」 と謝るけれど、むしろ謝るべきなのはこっちなのにな、と毎回思ってしまう。そして、当然そんな人たちのための準備も万全だ。
「当然です! それじゃ、ここに書いちゃってください!」
慣れた手つきでジャケットの胸ポケットからサイン用のペンを出し、手形の紙に直接サインを書いてもらう。
本来ならここで届け先になる相手の魔力を手形に込めれば、依頼主に事前に渡してある対になる紙にそれが転送されて配達の完了を知らせるのだが、それができない時にはこうして昔ながらの方法を取る。
もう一度依頼主のところへ行く手間はあるけれど、その時に見られるありがとう、という笑顔が十分すぎる報酬だ。
「それじゃあ、失礼しますね!」
「あぁ、ありがとうね」
多少の気だるさを表情に出さないように、無事笑顔で配達を終えて洋館を後にする。店を出た頃は真上にあった太陽も今では少し傾いて、これから帰路に着く人々を出迎えるような鮮やかな色へと変わる支度をしていた。
「結構時間かかっちゃったなぁ~……。お腹減ったし、ティルのとこは明日いけばいいかな……」
ひとりごちて、もと来た道を戻る。荷物がなくなったせいか、さっきまでの身体のだるさは消えている。それでもどうにも気分が浮かず、珍しく仕事を後回しにして、店を閉めるために近道で商店街へと足を進めていった。