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「ところでティル……。あの、恥ずかしいからそろそろ下ろしてくれない……?」
ティルにしっかりと肩と太ももを抱かれ、所謂お姫様抱っこの状態であることに気がついたルクリアは、申し訳ないながらも恥ずかしさが勝り、ティルと目を合わせられなくなってしまっていた。
「だーめ。これは無茶したリアちゃんへのおしおきです」
ルクリアは上から降ってくるティルの言葉で余計に気恥ずかしくなり横を向くと、事の一部始終を全て見ていたチェスカーら隊員達、そしてモモの視線が突き刺さる。
「いやあ、ルクリアちゃんも相当頑張ったと思うぜ。ただまぁ、そうやって抱かれてる方が可愛らしくて似合ってるけどな」
「……かっこよかった」
腕を組んで豪快に笑うチェスカーの顔は若干赤みがかっていて、結構な量のお酒を飲んだのだろうなと思わせる。モモは流石にお酒を飲んだ様子はないが、手にした小皿には美味しそうに調理された食材が山のように乗せられていた。美味しいものをたくさん食べられて幸せなのか、或いは先程の模擬戦を楽しんだのか、普段より少し声のトーンが上がり気味だ。
「だ~! はずかしい~! おーろーせー!!」
モモを始めとした皆の視線がティルに抱かれている自分に集まっているのが恥ずかしく、ルクリアはバタバタと両手両足を動かして抜け出そうとするが、その体が自由になる気配は全く無い。
「おやおや、これは賑やかなことですね」
不意に後方から声がする。一同が一斉に振り返ると、そこにいたのは一度ルクリアが配達した屋敷の主である初老の男、クリスがいた。
不意の見知らぬ人物の来訪に、モモは瞬時にチェスカーの背中によじ登って姿を隠し、ふわふわの耳の先だけをチェスカーの大きな肩から出して覗かせる。
「クリスさん、お久しぶりですね。今日はなにか御用でしたか?」
一部だけを覗かせるモモの頭部を、珍しいものを眺めるように見ていたクリスに、ルクリアを抱いたままのティルが声をかける。雰囲気は変わらないながらも、一瞬にして変わるティルの言葉遣いに、それまで騒いでいたルクリアも空気を読んで大人しくなる。
「ちょうど近くまできたのでこの前の資材のお礼を、と思いましてね。……お嬢ちゃんも久しぶり。足でも挫いたのかい?」
ティルの言葉に、帽子を取って微笑みを返すクリス。そのままティルに抱かれているルクリアに視線を向け、心配そうに、けれど落ち着いた声の調子のまま問いかける。その立ち居振る舞いは、さすがは豪邸の主を思わせる気品に溢れたものだ。
「えっあっあの……」
「えぇ、はしゃぎ過ぎちゃいました」
どう答えるべきか悩んで言葉を詰まらせるルクリアに、ティルは助け舟を出す。
「そうですか。お大事にして下さいね。――ふふ、二人とも、よくお似合いですよ」
本気とも冗談とも取れる物言いで微笑むクリス。言われた言葉の意味が全くわからないルクリアは、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて泳がせている。
「もう! からかわないでくださいよクリスさん!」
ルクリアとは対照的に、ティルは耳まで真っ赤に染め上げて、頬を膨らませながらクリスを睨みつける。しかしその視線から敵意や嫌悪は感じられず、拗ねたような表情の睨みだ。
「ほらお前ら、飯食い終わったろ。午後の訓練するぞー支度しろー」
クリスに気を遣ったのか、チェスカーは卓を囲んでわいわいと騒ぐ隊員達の尻を叩いて、訓練の支度をさせるために詰め所へと引き返す。チェスカーの肩から降ろされたモモはというと、クリスの視線から逃れるようにそそくさとティルの後ろへ走っていき隠れてしまう。
「さて、それでは私はこの辺でお暇させていただくよ。暖かくなってきたことだし狩りの支度をしなくてはね」
「ええ、お身体にはお気をつけてくださいね」
「ありがとう。けれど楽しみは沢山あるからね。おちおち休んでもいられないさ」
そう言って柔和な表情を浮かべるクリス。対してティルは、半ば諦めの混じった苦笑を見せる。そんな二人を眺めて面白がるように、城壁から風に乗って飛び立つ小鳥が、澄み渡る鳴き声で笑った。
それを合図にしたように、ティルはルクリアをそっと地面に下ろし、クリスさんを見送るから行ってくるね、とすでに背を向けて歩くクリスを追って、訓練場を後にする。
「なんかあのひとにがて」
流れについていけず、キョトンとした表情のまま芝生に座るルクリアの服の裾を、同じく取り残されたモモがきゅっと握る。
「えっ? あ~うん……。なんか別世界の住人って感じだよね」
「そういうことじゃなくて……」
なにか気がかりなことがあったのか、俯いて口ごもるモモ。普段の態度が刺すように直球なだけに、ルクリアはモモの見せる珍しい様子に興味津々だ。
「ねえなに!? 気になるじゃん~どゆことどゆこと!」
ルクリアは目を輝かせ、モモが顔を背ける方向を何度も行き来しながら、しまいにはモモの頬を両手ではさみ、うりうりとこねくり回し始める。
はじめはうっとおしそうにしているだけのモモだったが、徐々に表情を引きつらせ、頬をされるがままにいじられたところでようやく口を開いた。
「ふぁふぁひゅあ!」
「え、なんて?」
怒りか、あるいは恥ずかしさか。なにか言葉を発したモモの顔が真紅に染まっていることにようやく気づいたルクリアは、ごまかすようにぎこちなく笑いながら、そっと両手をモモの頬から離して身体の後ろでもじもじと組む。
「えへへ~……。あっそうだ! お昼ごはんまだ余ってるかな~っと……」
しばらく目を泳がせた後、先程までモモ達が昼食を取っていた大きな鉄板目がけて、逃げるように後ずさりしながら駆けていくルクリア。モモは追いかけようとはせず、ただただ大きなため息をつく。
「しかしその表情はまんざらでもなさそうで、少しずつではあるけれど彼女への信頼を寄せていることが――」
「っ! ティルシーさん! いきなりうしろに出てくるのやめてください! いみのわからないこというのやめてください!」
「ごめんごめん。仲良さそうにしてていいなーってつい……ね?」
驚きで小さく跳ねるモモの耳。ピンと伸びた尻尾の影から覗く、恨めしそうなモモの表情を見て、ティルは楽しげに笑みを浮かべる。
「べつに……なかよくなんてない。あの人がごういんなだけ……です」
声のトーンと目線を落とし、モモは答える。
その後の若干の間を埋めるかのように、そよ風が草木を揺らす音と小鳥のさえずりが休符を奏でる。
「うん、リアちゃんは自分で決めちゃったらぜっっったい人の言うことは聞かない頑固な子だし、困ってても全部一人でなんとかしようとするし、そのくせに寂しがり屋だし、……
でも、モモちゃんのお世話してるリアちゃん、すごく楽しそうなんだ。それにモモちゃんも、ね」
ちゃんと取り分けられていた、自分のために小皿に盛られた昼食に夢中なルクリアを眺めながら、ティルはぽつりぽつりと零す。モモはどう返すべきか悩んでいるのか、難しい顔をしてずっとティルの足元に視線を飛ばしたままだ。
「モモちゃんが疲れない程度に仲良くしてあげてね。きっとリアちゃん喜ぶから。――さってと、そろそろ午後の基礎トレーニングでここ使うから、悪いけどまた私の部屋に来てもらってもいいー?」
モモが頷いたのを見ると、ティルはちょうど目線の合ったルクリアを呼ぶ。口の中いっぱいに食べ物を入れたまま芝生を駆けてくるルクリアを見て、モモが一言。
「あれじゃ、犬だ」