2-8
無邪気にティルはそう言うと、開いていたままの手をきゅっと軽く握る。
――自分でできる最大強度の拘束をかけてあるから大丈夫……、簡単に抜け出せるはずはない。そんな考えはあまりにも甘すぎたと言うことを、ルクリアは一瞬のうちに思い知る。
ティルは拘束されたままの状態で、自らの頭上に魔法を展開した。いくつもの矢じりのような形状の赤い光の先端が指し示すのはルクリアではなく、ティル自身だ。疑問に思う隙もなく、それは鋭い風切音と共にティル目掛けて降り注ぐ。
「えっ、ちょ……ええ!?」
予想だにしなかったティルの行動に、思わず悲鳴にも似た声が出てしまう。
轟音とともに立ち上る土煙。すぐ先の様子すら見えない霧のような煙の中、一筋の真紅の閃光が弾け瞬くと、土煙を払うように一振り。
粉々になったステイトロックの魔法と、その残滓である桃色の光が薄れていく中から姿を現すティル。
「そんな壊し方アリなの……」
「うーん……どっちかっていうと、力づくで引きちぎっちゃうリアちゃんの方に私はびっくりしたけどなー……」
お互い苦笑いを浮かべたままひと時が流れる。
「それじゃ仕切り直し。楽しんでいこー」
言うが早いかティルは魔法を展開させ、先程の矢じりのように尖った、けれど大きさはそれの比ではないものを右手に取る。赤く光る鋭利な魔法、投擲してくるのかと思いきや、ティルはそれを手にしたままルクリアに詰め寄る。
一瞬で距離を詰めてきたティルは、手にした魔法の光をまるで槍を扱うようにして、こちらに向けて突き出す。
初撃は見切れた。返す刀で回避の勢いを乗せた回し蹴り。しかしティルはそれを左手で難なく防ぐと、右手に持った魔法の槍を地面すれすれから腹部を狙っての横振りを繰り出してくる。
「なんなのそれ~頑丈すぎるでしょその魔法!」
ギリギリのところで盾を展開して槍の直撃を防ぎ、そのまま肘打ちで壊すべく槍に一撃を入れるが、ティルの魔法は全く打ち負ける気配はない。
「魔法の固着化だよー。ちょっとずつ魔力を流し込んで形状を維持させるの」
要はこの魔法の盾を作り出すのと同じことらしいが、それをこの強度で長時間維持するのは並大抵のことではない。普段はどこか抜けた幼馴染だと思っていたが、こうしてその実力をまざまざと見せつけられると、彼女は曲がりなりにも戦うために組織された部隊のトップだということを思い知らされる。
「当然のように! やってのけるのを! やめてよね!」
休みなく繰り出されるティルの猛攻を必死で避けながら、動作ごとに怨嗟の言葉を吐き出していく。
まだティルの一挙一動は見えている。それは明らかに手加減されているからだと薄々感じることはできたが、とても楽しそうな表情を浮かべて身体を動かすティルを見ていると、そんなことはどうでも良くなってくるくらいに、自分も楽しい気持ちになる。こんなところも多くの人に慕われる要因のひとつなのだろうか。
「リアちゃーん、ぼーっとしてたら死んじゃうよ?」
「わたし死ぬの!?」
冗談に聞こえない冗談を言いながらも、ティルは攻撃の手を緩めない。体力には自信があるけれど、このままではジリ貧だ。
強烈な刺突を避け、身体の飛んだ場所でふと横を見ると、黄色と黒の塗装が目立つ球状の物体が目に入る。
――思い出した。魔導銃の訓練で使うもの……。確かすぐ近くの倉庫に……!
「ステイトロック!」
「おっと! もう当たらないよっ」
拘束を避けるために、ほんの一瞬ティルの攻撃の手が止まる。だが、それで十分だ。
今まで生きてきた中でも一番と言っていいほどの魔力を一気に両足に叩き込む。骨と肉の耐えられる限界。極限まで力を増幅して地を蹴ると、自分でも驚くほどの速度が出た。
「えっ、うわっちょ……待って止まらないいぃぃ」
意に反した加速のせいで頭が回らない。みるみるうちに視界に迫り来るのは、あの大きな鉄板とそれを取り囲むチェスカー達。
ルクリアの状況を知らない彼らは、次は何をするのかと、皆興味津々でこちらを見ている。
「はぁ……相変わらず頑張りすぎるとめちゃくちゃやるんだから……。しょうがないな」
小さなため息をつきながら、ティルはルクリアのすっ飛んでいった方向目がけて全力で後を追う。
――どうしよう、このままだと止まりきれない……。モモ達に怪我させちゃうし、なにより鉄板の上で自分が焼肉になるのが嫌すぎる!
ぐるぐると回る思考の中、刻一刻と衝突の時が近づいてくる。半ば諦め混じりに強く目を瞑った時、思い切り誰かに腕を引っ張られるような感覚に襲われる。もがく足は宙に浮き、目を開けてみれば視界に入るのは雲一つない青空。平衡感覚が狂い、今自分はどうなっているのかもわからないままに空を見つめていると、徐々に背中から地面に落ちていくような感覚がやってくきた。
ようやく自分の置かれた状況を理解するが、身体は思うように動かない。もう一度、地面に激突する瞬間に備えて固く目を瞑り、身体を丸くしてその時を待つが、墜落の痛みが襲いくる様子は一向にない。それどころか、逆にふわりとした感覚が背中を包んで、柔らかな香りと、羽毛のようなものが顔をくすぐる。
「ふぅ。大丈夫だった?」
恐る恐る目を開けると、そこにはこちらを心配そうに覗き込むティルの顔。
――あぁ、ティルがわたしを助けてくれたんだ。悔しいけど、完敗だなぁ。
「うん、大丈夫! ……やっぱティルは強いな~。全然かなわないや」
「リアちゃんやモモちゃんや、この街に住むみんなを守るために鍛えましたから、ねっ」
そう言って微笑むティルは、逆光も相まってとてもまぶしくて、自分では到底敵わない存在なんだと、ルクリアは改めて感じた。