旦那様と執事
ドコっ……ボコボコボコっ
「ぐへっ」
ベキッ
「や……やめ」
グアラッシャーン…………
路地から聞こえる壮絶な音にそこを歩いていた人々は足を止めてそちらを見る。
ざわつく街角。
警邏隊を呼んだ方がいいか、誰か見に行った方がいいのではないかと人々は口を開く。
「うっ……」
なにあれ。やばいんじゃないか。
小さなうめき声とともに泥まみれで且つ破れて地肌の見える服を着た満身創痍の男が一人出てきた。
元の服の色が何色なのかも分からない。
男が一歩一歩通りに出てくるに従って雑踏の人だかりの足も下がる。
助けようとも野垂れ死にしても構わない。そんな集団心理が透けて見えるようだったな雰囲気の中、雑踏からのびるすらりと長い脚。視線が男とその足の持ち主へと向かう。
「エスカリオ様。お遊びの時間はここまでにございます」
なんとも涼しげな声。辺りにいた女性が一気にざわついた。
現れたのは隙のない執事服の男。
この場にいるのは場違い。更に言えば完璧なる執事が傅くのがボロ雑巾のような男というのも違和感が否めない。
「遊んでねぇよ。おい。五番隊を奥に向かわせろ。まったく過重労働だ。くそっ」
「おやおや、仕事中毒の旦那様とは思えない発言ですね。いつまでそこにいらっしゃるのですか? 早く退散しないと面倒が来ますよ」
「そりゃあめんどくせぇなぁ。おい、手を貸せ。流石に億劫だ」
「動かないわけではなく動けないのですね。情けない」
「馬鹿野郎。俺が何人をのしてきたと思っているんだ」
「まぁよいでしょう。今日は甘えさせてあげましょう」
だるそうに地面に座り込んでいる男の傍による執事は滑らかな仕草でそのまま横に座り―—小汚いだが、よく見るとそこそこ見れる顔なのではないかと思える男を抱き上げた。それはもう大事なものを抱えるようなお姫様抱っこで。
黄色い悲鳴が二つほど上がった。
どうやら楽しい趣味を持っている人も見物人に混ざっていたようだ。
ざわつく周囲の見物人達をよそに人を抱き上げているとは思えない涼しい顔で執事は見物人の輪を抜けて、待機させていた馬車へと消えた。その馬車も直に走り出し街中へと消えていった。
ざわつく雑踏と今更にやってきた警邏隊を残して。
「アリー!」
「ディビ!」
「見た?」
「見た!」
「「きゃーーー下克上ぉぉぉ」」
その少女達は休暇を庶民街で楽しむべく自分たちが働く貴族街からおりてきていた。
少女達の名前はアリーナとディルビア。
とある屋敷で働いている仲の良い侍女同士休みが合えばこうして街に遊びに来たりしていた。
たまたまお昼ご飯も食べたし、そろそろお屋敷に帰ろうかぁと買い物した戦利品を両手に歩いていたところ、仕えている屋敷の筆頭執事がボロボロな男に話しかけていた。
「エスカリオ様」といつも通りの(勤め先の屋敷の侍女達には話すだけで妊娠しそうな)イケボでボロボロな男に言うではないか。
二人は二度目どころか、何度も見て、それが主と理解したところで、事件が起きた。
筆頭執事による主お姫様抱っこ事件。
思わず二人は叫んだ。下克上だと。
それが筆頭執事の耳に入っていたと知らずに。