030421 眠い→地震
北と東をだいたい利根川沿いに、西を関東山地と多摩川などで分けられる武州は、平将門の乱や後北条氏などで他から見れば有名らしい。そして、その中の主要なお城は新宿城・川越城・八王子城の3つ。
その内の1つであり、安土時代には氏衛門の先祖の人が武州経営の拠点としたお城が見える学校の校舎に私・羽柴薊はいた。
この『日記』を書いている政宗の従妹にあたる私は、父親が信州戸隠から武州の小松菜栽培のプランテーション農家の所に嫁いだため、産まれ育ち共にこの武州であり、信濃にはちょくちょく遊びにいく程度である。
しかし、政宗や輝兄がよく関東に遊びに来てくれたために、私や安土時代からの“知り合い”らしい氏衛門ともよく遊ぶ機会があり、そのときに歴史の授業みたいなのがあったから、先生の話も最初から殆ど右から左に聞き流して、窓から東の景色を見ていた。
東海道線の線路の真上であり、駅で言うと代々木駅の少し南から神泉駅の北ぐらいまでに聳え立つ新宿城は、新宿駅を挟んで南側に建っているから見えないから、奥江戸湾の対岸と新宿から下総まで湾の真上を通る横断橋が見えるだけの東側の景色は、ただ眠りを誘うだけ。
なので、頬杖をつきながら目蓋を閉じようとするのも自然の摂理だろう。
「羽柴。場所はどこだ?」
しかし、そこを社会科の教師の1人である横山先生が邪魔する。
それは何時もの事なので、耳に引っ掛かった単語と黒板から、適当に答えを探り出す。
「……駿州藤枝です」
「正解だ」
幕末の動乱というタイトル、伊藤博文など悪人達の名前の横に『塾』と書いていたから、幕末のキーワードの1つ『松下村塾』の場所の事かな? と適当に答えたら当たっていた。
高1の4月に幕末を教えているという不思議な授業をしている横山先生は、残念そうな表情を一瞬だけした後、チョークを持つ。
『緊急地震速報です 強い揺れに警戒してください』
その直後、チャイムも無しにいきなり聞いたことのある男性の声が流れた。
1995年に首都の間近で起きた近江大震災から急ピッチで進められ、今年から政宗が通う燈川学園など公共施設で試験的に導入された地震発生後大きな揺れが到達する数秒から数十秒前に警報を発することを企図した地震早期警報システムの1つーーそこまで、記憶が頭の中に流れた直後、横山先生の高い声が響く。
「机の下に!」
しかし、その声に私を含めた皆が動く前にそれは来た。
最初は、誰かが貧乏揺すりをしているような小さな揺れ。それで体が身構えてしまい固まった直後、グラッと校舎の2階の床が大きく揺れ、エレベーターが降り始めた時のような感覚が来た。
そして教室が、学校が激しく揺さぶられた。あり得ないほど多い軋轢音が充満し、机の上の物はバラバラと落ち、机の両端を掴みながら外を見ると学校の運動場と奥江戸湾への崖の間に立っている並木道の桜の木が例外なく揺れているのが見えた。
どこかでガラスが割れる音と悲鳴が聞こえた時に、ようやく私も机の下に潜らないといけない事に気付いて、椅子を引こうとする。が、そのタイミングで最初と同じぐらいの揺れがまた来た。
「きゃっ!」
滑り落ちるように床に叩き落とされ、机の角に額を強か打ち、視界が一瞬真っ黒になる。
しかし、その揺れが最後だったようで、急速に揺れは収まってきた。
「みんな大丈夫か!?」
近江の時以来久し振りに感じた強い揺れが収まった後、横山先生の声が教室に響くが、教室には泣き声が広がり始めた。
私は、ハンカチでじんじん痛む額を押さえながら、後ろに座っていた菖蒲の背中をさすり、机の下から周りを見た。
椅子の上で泣き崩れている瑞希ちゃんや呆然自失としている三芳くんなど色々な表情を浮かべているけど、一目見た限りでは大きなケガをした人はいないようだ。
『先程大きな地震がありました。生徒の皆さんは先生の指示に従い落ち着いて運動場に避難してください』
体育館でしか聞かない校長の声が放送でかかり、そこから漸く私達は動き始める。
この州立早稲田高校を大きく揺らした地震の正体を知ったのは、政宗より後の事となった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
関東で地震。
高等部の職員室に着いて、テレビを険しい表情を見つめていた保険の薬師先生からその事を聞いた時、まず思い浮かんだのは武蔵府中に住む薊の事だった。
震源は武蔵の北東にあり安土時代は佐竹氏が治めていた常陸の霞ヶ浦の近くで、地震の規模は近江大震災と同じマグニチュード7・3。震度は石岡市の7を筆頭に、土浦で6強、常州州都の水戸で6弱、千葉氏の下総と里見氏の上総・安房が合わさった房総州州都の千葉市で5強、そして武州州都の豊島市では5弱との事。北は津軽から西は摂州まで感じる事が出来たらしい。
「ある程度の被害はある、か」
薬師先生に許可を取ってから、私は電話をかける。関東は恐らく一円で混雑しているだろうから、災害用伝言板の方にだ。薊からの電話は無かったが、氏衛門の両親の方の電話はあった。両方とも無事らしい。
なので、一先ず薊の電話に「落ち着いたら連絡ちょうだい」とメールを送っておいて、私は職員室を出た。




