三話「アザレアの花言葉」①
眠れるわけなどなかった。
ただ、己が無力に絶望した。
なにより自分が許せなかった。
どうやって帰ってきたかも覚えていないが、自分は今家の中だった。
ああ、どうして。
「詩織……」
淡き思い出の名を呼ぶ。
とうにこの世にはいないというのに。
「すまない……」
泣きはらした目が痛かった。
◆
「詩歌は家族から暴行を受けているな? 早広」
早広は、俯き、泣いていた。
時間にして何秒たっただろうか。
数回の逡巡の後、彼女は口をひらいた。
「詩歌ちゃんを、助けてあげてください」
曇りなき眼で、早広はそう言った。
心を読むまでもない。
信じても良い、そう思った。
「ああ」
早広の手を握る。
真っ直ぐに彼女の瞳を見た。
「必ず、助け出す」
早広は顔をくしゃりと緩ませ、眼を潤ませた。
少し力が抜けたのか、ふらつく彼女を支える。
「あ……」
少し、抱きしめるような形になったのは意図してのことではない。
しかし、彼女はそのまま続けた。
「……すみません、でも、私はあなたの事をあまり知らないんです」
申し訳無さそうに、ただはっきりと。
「信用出来ない、と。そこまで言うつもりはありません。ただ、どうしても勇気が出ないんです」
悲痛な声で。
震えるように。
「……過去に一度、ちょうど半年前、警察を呼んだことがあったんです。ご近所から通報があったと装ってくださいと、お願いしたんです」
――詩歌ちゃんを助けたくて。
ところどころに嗚咽が混ざっていた。
「もう大丈夫だ、と思って安心して、眠って、次の日にバイトに来たら、詩歌ちゃんが、ボロボロになっていて、どうしたのって声をかけて」
もう、やめろよ。
とても、聞いてられない。
「っ、そしたら、……詩歌ちゃん、泣きはらした眼を擦りながら、叶さんありがとうって」
「早広、わかった、もういい」
絶望に染まった声で、彼女は叫んだ。
「……もう、なにもしないでって」
俺は、早広に何も言えなかった。
彼女の疑心暗鬼を取り除く方法が、俺にはわからなかった。
早広が落ち着いたのは二十分ほどあとだった。
家まで送る、と言ったが彼女は強がり、断った。
作り笑顔が痛々しかった。
そこから、会話はほとんどなく、店舗の施錠を済まし、別れた。
月明かりに照らされたアザレアの深緑が、妙に不気味に思えた。
◆