幕間「瑞原詩歌」
新キャラ登場しちゃった!!
幕間「瑞原詩歌」
許せなかった。恭平くんが。
どうして貴方は平気で私の前に現れるのか。
「これからよろしくお願いします。片倉恭平です」
動揺する感情を表に出すまいと必死だった。この死んだような表情が、少しは役に立ったのか。彼は気付いたようなそぶりはなかった。
しかし、当然ながら時間の問題だった。
彼は私を思い出したし、私も彼を思い出していた。
「馬鹿……」
ふらつく頭で精一杯の悪態をついた。立って歩くのがやっとだった。
全身に激痛が走った。恭平くんは鋭い。もう気づかれているだろう。
月明かりさえも疎ましく感じた。
――全て消えてしまえ。
何度そう願ったか。
自宅に帰る足取りは、重く虚ろだった。
◆
「遅いゆうてるやろお!! 詩歌ああ!!」
火花が散った。
父親の固く重い拳が、私の頭を殴ったのだ。
埃まみれの畳の上に崩れ落ちる。殴られるのは何百回目か、受け身は慣れていた。
「酒は? 買ってきたんかあ!?」
「……はい父さん、ここに」
むんず、と私の手から父は袋を奪う。期待に満ちたその顔はすぐに怒りで歪んだ。
買ってきたカップ酒のひとつが割れていたのだ。
さっき受け身をとった時、衝撃に耐えられなかったのだろう。ビニール袋の底が零れた酒でぷっくりとふくらんでいた。
「なんやああ! これはあああ!」
怒声、続く鈍い音。衝撃で浮く身体。遅れて来る激痛。
「……っ、かはっ」
胸を蹴られた。呼吸が止まる。
そこは、つい先日殴られたばかりで、痣になっていた所だった。
泣きたい。何度思ったか。
神様なんていない、というのはとうに理解していた。
それでも、この世の理不尽を呪わずにはいられなかった。
「す、いませ、ん、とう、さん」
とぎれとぎれに、かすれた声で父への謝罪を口にする。
――何か私が悪いことをしたのか。
ああそうか。
生まれてきたのがいけなかったのだ。
「誰がおまえを生かしてるおもてるんや?」
父は私をひとしきり殴ると、満足したのか、零れた酒を舐める。
ぴちゃぴちゃと大の男が酒をすする様は、この上なくおぞましかった。
「詩歌ああ、ちゃんと謝れるようなったなああ! これも父さんのおかげやなああ」
酒臭い息を吐き、獣は吠えた。
己の立場を自覚せよ、と。
誰に生かされているのか、と。
畳に擦りつけた額が痛んだ。
「は、い、……ありがと、う、ございます、とうさん」
「ええ子やなあ詩歌は、母さんに似てええ子やわああ」
にっこりと笑う父の表情に、私は全身の血が冷えていくのを感じた。
一年前、とうとう理不尽に耐えかね反抗したことがあった。
自分の主張を、出来る限り丁寧な言葉で纏め、父の酌をしながら頃合を見て、語った。
――育てていただいたことには感謝しております。ただ、私には夢があります。働いた金は家に入れます。どうか自活を許してはいただけないでしょうか。
結果、怒り狂った父に持っていた服は全て燃やされ、あろうことか明け方まで殴られた。
痣は二倍に増えた。泣き詫て許しを請うた。
本気で死を覚悟した。
その時私はついに、弱者の抵抗が無意味だと悟った。
従っておけば、死なない程度の暴力で済むと、理解した。
いや、理解させられた。
父はよく、ころころと態度を変えた。
半年前、父の怒声に驚いた隣人が、不審に思い警察を呼んだことがあった。
その時の父はうまかった。
部屋着以外の全てを燃やされた私に、愛人のダッフルコートを着せ、痣を隠した。
寒さを気遣う良き父を演じた。
私を矢面に出し、あろうことか売春の嫌疑をかけ、躾の一環と称し、叱ったと。
行き過ぎた指導もあったかもしれないが、娘の将来を憂い、手が出てしまったと。
二人組の警察官を前に、朗々たる語り口だった。
不良娘の不貞を嘆く、良き父親を演じた。
警察官の前で泣いて私に詫びる父に、科せられたのは、たかだか厳重注意だった。
彼らが途中から私を見る眼は、まるで汚物を眺めるそれであった。
予期せぬ訪問者を切り抜けた父から、その後激しい詰問――いや、拷問があった。
通報したのはおまえか。
親の愛がわからんのか。
気を失うまで殴られ、深夜に痛みで起きてからは、惨めさで一人さめざめと泣いた。
当然夕食は無かった。
「おまえが、生きてるのはわしのおかげやからのう」
父は私が買ってきた酒を飲むと、からからと笑った。
こう、酒を与えておけば幼子のように。
いったい、いつからこうなったのか。
どこから歯車が狂ったのか。
思い出すのはあの日のこと。
忘れたい記憶。でも、許されざる記憶。
片倉、恭平。
あの男を許すことなど、できるはずもなかった。
――貴方を殺して、私も死のう。
それで、この狂った歯車が止まるのであれば。
片倉恭平。
妹を、詩織を。
「殺した貴方を、私は決して許さない」
惨めな声で、呟くように。
しかし、はっきりと。
私はあの男への殺意を、噛みしめるように拳を握る。
それこそが私の生きる意味だと確信していたからだ。
幕間「瑞原詩歌」完
こんな新キャラ誰も待ってないよ……